僕は自分の写真を「世界のはたらきものに贈る賛歌」だと思っています。もちろん勝手に歌っているのです。誰に頼まれたわけでもありません。
目的はカネです。日本で仕事が見つかったらラッキーだし、見つからなくてもあなたに寄生して暮らせばいい、と考えているのです。
東南アジアを旅していると、思わぬかたちで「あの戦争」に出くわすことがある。
12年前のはじめての旅が、その後の人生に決定的な転機をもたらした。このあと僕は何かにとりつかれたようにアジアの国々を放浪することになる。
写真における「感性」とは、自分が好奇心を向ける対象の「偏り」です。何が美しくて、何が醜いのかを判断する基準となるものです。
この子が泣くのには何か原因があるのではない。「泣きたい気分」というものがまず先にあって、「泣きの理由」は後から適当なものを見つけて泣いているらしい。
背伸びしないで、自分がすでに身につけている言葉だけで、使い慣れた道具だけを使って話すように心がけています。
長旅を終えて日本に帰ってきてから、再び携帯電話のない生活をはじめた。
ネットもなく電気も水道もトイレもない。そのような生活に耐えられるのは1ヶ月が限度だろう。
「ガヤの実家に行こう」との誘いに乗せられて、一人の日本人が列車でガヤに向かった。