40歳の誕生日をインドで迎えた。「不惑」なんて言い方はもうしないのかもしれないけど、若い頃に想像していた40歳とはずいぶん違う場所に立っているのは間違いない。「惑わない」どころか、「迷い続ける」40歳。なにしろ今、これからどこに行くのか決まっていないほどの迷いっぷりなのだ。
 
 いつも宿をチェックアウトしたあと、最初に浴びる日の光の強さで行き先を決める。
 爽やかに晴れ渡った空なら、農村を撮るのに適している。曇り空なら街中の方がいい。幸いにして雨はまだ一度も降っていないが(インドは乾季の真っ最中)、もしそうなったら無理せずに宿で休むだろう。
 いずれにしても、今どこに行きたいのか、まず自分の気持ちを探ることからまず始める。誰も行き先を決めてはくれない。これは僕自身の旅なのだから。
 
 20代の頃は「写真」よりも「旅」の方が好きだった。「ここではないどこかへ行ける」というだけで胸が高鳴った。写真はあくまでも旅のオマケでしかなかった。写真を撮らなくたって、異国の町をあてもなく歩いているだけで、十分に楽しかった。
 
 それがいつの間にか、「写真」のウェイトがどんどん大きくなっていった。写真を撮るために旅をするようになった。「撮る」という明確な目的を持つことで、よりディープな場所に足を踏み入れるようになった。今ではカメラを持たない旅なんて考えられない。
 
 笑顔に出会えたから、それを写真に撮るのではない。
 カメラを持っているからこそ、そこに笑顔が生まれるのだ。
 インドの田舎町をぶらぶらと歩いていると、そう感じることが多い。
 僕にとってカメラは大切なコミュニケーションツールでもあるのだ。
 

オリッサ州の小数部族の住む村で出会った少年。屈託のない笑顔だ。

 
 20代の頃は「こんな旅は若い時にしかできないだろう」って思っていた。バックパッカーは若者の特権だから、それができるうちに楽しんでやろうと。
 
 でも今はそんな風には思わない。20代の頃よりも、もっとハードでもっとディープな旅を求めているからだ。インド屈指の悪路を一日走り続けて埃だらけになっても、水を浴びてきれいさっぱり洗い流してしまえば、あとに残るのは充実感だけだし、相変わらず1泊300円の安宿に(南京虫とベッドの硬さと外の騒音に悪態をつきながらも)寝泊まりしている。
 

川で洗濯をするおばさん。洗濯物を石に豪快に叩きつけるのがインド流だ。
 

 別に「永遠に年をとらない」とか「ずっと若者でいたい」などと思っているわけではない。誰がなんと言おうと、時間は不可逆的に流れていて、いつかは必ず僕にも体力的な限界が訪れるだろう。そのときが来れば、ただ黙って受け入れるしかない。
 
 でも今はまだ、そのときではない。
 
 今日もよく走り、よく撮った。
 様々な光に出会い、様々な笑顔に出会った。
 存分に旅を楽しんでいる。それだけで今、幸せだ。
 
 「ワクワクする40代」でいこうと思う。
 


インドからメリー・クリスマス! クリスマスなんてインド人には基本的には関係ないのですが、一応サンタの格好で呼び込みをしている男もいた。最高気温30度だから汗だくだったけど。
ところでサンタの隣にいる人は誰? あぁネズミのミッキーさんの親戚ですね。
 

オリッサ州の山村に住む少数部族マリ族の女性。髪に油をたっぷりと塗り込んで、櫛でとかしていた。
 

「写真撮って!」って寄ってきたのに、そんな厳しい顔しなくたっていいじゃない。
 

アンドラプラデシュ州の羊飼いは、番傘風のユニークな日傘を差して羊を見張っていた。歌舞伎役者みたいなポーズが決まっていた。