いま本屋さんには、いわゆる「絶景本」があふれている。その大半がストックフォトをつなぎ合わせた作りになっている。安易と言えば安易だけれど、これが売れるもんだから、多くの出版社が二匹目、三匹目のドジョウを狙って出版を続けているわけだ。
 
 写真家の思いや個性が強く反映された写真集は作りにくいし、なかなか売れない時代なのかもしれない。僕の新刊『写真を撮るって、誰かに小さく恋することだと思う。』もセールス的には苦戦するだろう。
 
 それでも、こういう本を求めている人は、必ずどこかにいるはずだ。僕はそう信じている。「絶景だけが旅じゃない!」という思いに共感してくれる人は、(決して多数派ではないにしても)少なからずいるはずだ。
 
 僕が共著者の一人として参加した「撮り・旅!」という本の冒頭に、こんな言葉がある。
<「右に行け」と言われた分かれ道を、つい左に行ってみたくなる人。…小洒落たオープンカフェより、道端の屋台で買い食いをする方が好きな人。…自分の居場所と思える場所を、旅をしながら心のどこかで探している人。そんな旅人たちに読んでもらいたい本です>
 
 わかるなぁ。すごくよくわかる。
 ちょっと天邪鬼で、世間に対しては偏屈で、でも自分の感覚には素直な人間。「旅行」じゃない「旅」をする人間って、おおむねこういう性質を持っているんじゃないかと思う。
 
 振り返ってみると、僕はずっと「絶景」や「観光地」から離れた旅ばかりしていた。
 実は僕はいまだにタージマハールに行ったことがない。インド渡航歴5回、滞在日数は1年近くにもなるというのに、あの壮麗な白亜の世界遺産に足を伸ばしたことがないのだ。自分でもどうかしていると思う。
 
 行き先を決めずに、行き当たりばったりに旅をしていると、徐々に感覚が研ぎ澄まされ、直感が鍛えられていくのがわかる。
 旅の「手綱」を自分がしっかりと握っている感覚。それが僕にとって何よりも大切なことなのだ。
 
 ガイドブックや絶景本が提供してくれるのは、「すでに誰かが開拓した場所」だ。そうではない場所に行きたければ、自分の足で歩き出さなければいけない。
 もちろん最初は怖い。でも、ほんのちょっとの勇気を持って一歩を踏み出せば、きっと「自分しか知らない場所」にたどり着くことができるはずだ。
 


ベトナム最北部ハザン省。中国との国境が間近に迫った山村では、まだ小さな女の子が幼子を背負って畑を耕していた。あぁ、なんてたくましいんだろう。
 

ベトナム北部の山岳地帯。大量の薪や枯れ葉を背負って家路を急ぐ女の子がいた。薪を集めるのは、半日がかりの大変な仕事だ。
 

ベトナム北部カオバン省には「毛のない部族」が住んでいる。すべての女性は、適齢期なると髪の毛と眉毛を全部抜いてしまうのだ。「昔、村の女が髪の毛入りのスープを飲んで死んでしまって以来、女性が髪の毛を伸ばすことがタブーになった」という。
 

ベトナム北部ハザン省。水牛の巨体を巧みに操って田んぼの代掻きを行う女性。その姿はオーケストラの指揮者のように優雅で力強かった。
 

女たちが汗水垂らして働く横で、男たちがグータラと寝そべっている。ベトナムでよく見る光景だ。東南アジアの男たちは概してあまり熱心に働かないが、ベトナムはその中でもグータラ度が高い。その分、女たちには頭が上がらないのだ。
 

ベトナムの市場は果物が豊富。中でも大きくて細長いスイカは最もポピュラーな果物だ。山積みにされた新鮮なスイカを売る店先に幼い女の子がぽつんと座っていた。この年で店番をしている・・・のかどうかは、よくわからなかったけれど。
 

ベトナム料理に欠かせない調味料「ニョクマム」は小魚を大きな瓶の中に漬け込んで作る。そのニョクマム工場で働いている女の子。はち切れんばかりの笑顔だった。
 

ベトナム名物のライスペーパーを作る工場。水で溶いた米粉を熱した布の上に広げて固める。竹で編んだ網に広げて天日で乾かせば完成だ。
これが美味しい生春巻きになるわけですね。
 

ベトナム中部の丘陵地帯では、お茶の栽培が盛ん。茶葉の収穫を行うのは、10代の女の子たちだ。