ムーミンのDVDを見ていた娘が「パパもスナフキンなの?」と言ったそうだ。
 
「スナフキンと一緒に旅に出たい」と言うムーミンに、スナフキンは答える。
「僕は孤独になるために旅に出る。孤独な旅を終えてムーミン谷に帰ってきた時の素晴らしい気持ちを味わうためにね。それに旅は楽しいことばかりじゃない。つらいことだってあるさ」
 そんな場面を見て、娘は「パパもスナフキンみたいにつらいことがあるのかなぁ」と呟いたんだとか。彼女が持っている想像力をフル回転させて出てきた言葉だと思う。
 
 僕はスナフキンほどカッコ良くもないし哲学的なセリフを言えるわけではないけど、「孤独になるために旅に出る」というのは多くの旅人に当てはまることだと思う。
 一人になる。たった一人で異国の町を歩く。つらいことも、腹が立つこともある。でもそれをくぐり抜けて旅を終えた時、帰るべき「ホーム」の温もりやかけがえのなさがよりいっそう際立つのだ。
 
 旅は楽しいことばかりではない。不愉快なこともいっぱいある。
 例えばカーンチプラムという町で泊まった宿はひどかった。ここは有名な寺院がある巡礼地で、インド人旅行者が押し寄せるので、宿が高く、どこも満室なのだ。1時間近く宿探しをして、疲れ果てて300ルピーの小汚いロッジを見つけて、チェックインしたのだが、これが失敗だった。
 
 小さなベッドひとつだけで、ろくに掃除もされていないことも、蚊が多いことも許そう。どうせ寝るだけだから。問題は大通りの真ん前にあって、ものすごくうるさいことだった。夜中になっても騒音は止まない。大型トラックの地響きのような走行音と、猛烈なクラクションの音圧が、ほぼ直に伝わってくるのだ。眠りたくても眠れない。インド人のように「騒音耐性」があればいいのだが、あいにく根が日本人なものだから、静かな環境でないとぐっすり眠れないのだ。
 
 バイク旅だって決してみんなにお勧めできるようなものではない。インドの道路を走っている限り常に危険と隣り合わせだし、バイクはしょっちゅう故障する。「安全」「快適」とは真逆の旅だ。
 
 それでも、こういう旅を選ぶ人がいる。たぶんそういう人は誰に勧められなくても、みんな止めても、自分の力だけでやろうとするものだ。強い内的な動機を持った人(ある種の狂気と言い換えてもいいかもしれない)だけが、やるべきことだと思う。僕だっていつもインド人に「こんなちゃちなバイクでインド一周なんてできるはずない」と言われる。実はいま三周目なんだけどね。
 
 爽やかに晴れ上がった朝の空を見上げる。
「今日という日はたった一度だけなんだ」と改めて思う。
 さぁ、今日にしか出会えないものに会いに行こう。
 

ゆっくりと地平線めがけて落ちていく太陽が、ありふれた寺院を一枚の影絵に仕立てていた。
 

川の水で水牛を洗う男。水牛は暑さに弱く、朝と夕方に水に浸かって体を冷やさないといけない。巨体に似合わず、繊細な動物なのです。
 

竹を運ぶ労働者。あぁなんて無駄にカッコいいんだろう
 

ふんどしひとつで川に入って沐浴する老人。体を洗った後には、朝日に向かって手を合わせる。
 

最近の夜の楽しみはポンカンを食べること。毎日1キロずつ買って、晩と翌朝に食べている。キロ30から50ルピー(60から100円)と安くて、とても甘い。ポンカンの原産地はインドなので、どの町にもこういう屋台が回っています。
 

物陰からじっと見つめていた二つの大きな瞳
 

こらこら、トウガラシは投げ合って遊ぶものじゃありませんよ!
 

インドにいると米をよく食べるようになる。たぶん日本にいる時の3倍は食べているだろう。「日本の米消費量が減り続けているのは、日本人が『おかず食い』になったからだ」と本で読んでなるほどなぁと思ったことがある。日本人の「主食」はすでに米ではない。
 

「バイヤー(兄さん)!写真撮ってくれや!」
ぶらぶら町を歩いていると、こんな風に声がかかる。大の大人がこんなに嬉しそうに笑うんだから、インドってほんといい国だ。
 

壁に貼られた映画のポスターを剥がして食べているインドの山羊。「山羊は紙が好物」って話は本当だったんだ。