旅を始めるときは、いつだって不安だ。知らない国を旅するときはもちろんのこと、知っている場所を旅するにしても、不安感が拭い去られることはない。 　盗難やテロや病気などの旅行者につきものの不安は、経験によってある程度は軽減することができる。僕は基本的に外務省の渡航延期勧告や、「地球の歩き方」のトラブル事例なんかは信用しない。ああいうものは、「え？　被害に遭っちゃったの？　だからそういうこともあるって言っておいたでしょうが」というエクスキューズの意味合いしかないと思っているのだ。結局、「自分の身は自分で守らなければいけない」という大原則は、どこへ行ったって変わらないのだから。 　僕にとっての不安は、「印象的なシーンをカメラで捉えることができるだろうか？」ということに尽きる。「これを撮ろう」という決まった目的を定めずに、あてもなく町を歩く中で写真を撮っているから、それが成功するなんて保証はどこにもないからだ。 　その不安感は、納得できる一枚が撮れるまでつきまとう。最初の一枚。それが撮れるまでは、自分の勘と運を頼りにして、一歩ずつ歩いていくしかない。３６０度全方位にセンサーを張り巡らし、肩の力を抜いて、どんな状況にも対応できるように準備しておく。それが僕の撮影スタイルである。 　「その瞬間」がいつ訪れるのかはわからない。それがいつ誰に宿るのか、それが自分にキャッチできるのかどうかもわからない。はっきりしているのは、「その瞬間」がなんの前触れもなく、突然やってくるということだけだ。 　カンボジアの農村をぶらぶらと歩いているときに、不意に目の前に二頭の牛を引いた少女が現れる。美しいだけではなく、生命力に溢れた少女だ。僕は反射的にカメラを構える。彼女は最初恥ずかしがって顔を背けている。僕は彼女との距離を保つために、ゆっくりと後ずさりする。一歩、二歩、三歩。やっと彼女が僕の方を見てくれる。しかもとびっきりの笑顔で。その瞬間を逃さないように、僕はシャッターを切る。 　今回の旅の「最初の一枚」は、牛を引く少女の笑顔だった。 　ほんの数秒の出会い。それがかけがえのないものになった瞬間だった。 Cambodia ( 2005/12)