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■ 「仕事を辞めるときの不安」
私は派遣社員として事務系の仕事に就いて3年のOLです。 はっきり言って、今やっている仕事は私が本当にやりたいことではありません。でもお給料も悪くないし、人間関係だってうまくいっているので、今すぐに辞めようという気にもなれません。 というか、やっぱり怖いんだと思います。仕事を辞めて自分一人でやっていく自信がないし、失業保険だってそんなにもらえないし、親だって心配するし・・・・・そんなことをばかり考えていると、いつか自分のやりたいことをやろうという気持ちすら、萎えていってしまいます。 三井さんは思いきって会社を辞めて、写真家として出発されていますが、私が感じているような不安はなかったのでしょうか。もしあったとしたら、それとどのように向き合ってこられたのですか? なんか漠然とした質問ですが、よろしくお願いします。
■ 三井の答え
もちろん僕にだって不安はありました。特に会社を辞めた直後は、自分に何ができるのかさっぱりわからなかったから、不安も大きかったと思います。 今だって、来年の自分がどこで何をしているのか、はっきりとしたことはわかりません。本が売れなかったら仕事が途絶えるかもしれない。 でも、僕にとっては「先の見えない不安」よりも「先が見えない楽しみ」の方がずっと大きなものなのです。心の底では「でも何とかなる」と信じているのです。根拠はありません。勘というか、信念というか、そういうものです。
今年の初めにインドネシアのスマトラ島をバイクで旅していたときに、アチェ州のジャングルの奥深くの悪路をずっと走り続けなくちゃいけないことがありました。ひどい雨に襲われてずぶ濡れだし、日は暮れて真っ暗になるし、悪夢のようなコンディションの道を延々と走らなくてはいけなかった。すれ違う車もないし、人家すら見当たらない。このときぐらい心細い思いをしたことはありません。 だけど、その時に僕の口をついて出たのは、ボビー・マクファーリンの「ドント・ウォーリー・ビー・ハッピー」のメロディーだったのです。口笛混じりのお気楽な曲。「いまさら心配したってしょうがないじゃん」という楽天的な自分が、それを歌い始めたのです。 これには自分でも驚きました。今、とても困った状況にある。体力的にも限界だ。でも、もう一人の自分がその状況を楽しんでいるということが、ありありとわかったのです。
不安を楽しみましょう。楽しめないにしても、肯定的に捉えてみましょう。 会社を辞めて仕事が見つからなくても、今の日本なら死ぬことはありません。何とかなります。ドント・ウォーリーで行きましょう。 僕は無責任にも、そう言い切ってしまいます。
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■ 「日本人の表情」
三井さんは日本人の写真を撮ったことはありますか? もしあったら「たびそら」に載せていただきたいです。
わたしが最近思うことは、豊かで便利になってしまった日本は、同じアジアの国でも東京は特に瞳が死んでる人が多いことに気付きます。わたし自身が死んでるような瞳だなぁと感じることも要因のひとつかもしれませんが。便利で先進国になっているのに、素顔で生きにくい環境になってしまっているように思えます。(私の個人的主観での日本のイメージですが)
でも3歳位までの子供の笑顔は、日本人でも無邪気さを感じます。豊かであることはイイ部分もあり、その分失われてしまう部分もあるのだと29歳になってやっとわかるような気がします。またその失われた部分というモノが意外と人間にとって大切なモノのような気がします。
三井さんは日本を離れて生活してみて、客観的に日本をどう思いましたか?
■ 三井の答え
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三井さんは日本人の写真を撮ったことはありますか?
僕にとって旅と写真は「車の両輪」のようなものであり、どちらか一方が欠けると前に進まないものだと考えています。だから旅をしているとき以外には、あまり写真を撮りません。たまに人を撮ることはあっても、それは親しい友人であったり、仕事であったりするので、WEBに載せることはないのです。
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便利で先進国になっているのに、素顔で生きにくい環境になってしまっているように思えます。
あなたがおっしゃるように、今の日本人の表情と、僕が旅しているときに出会うアジアの人々の表情は違いますね。それは日本人が特別に無表情だということではなく、都市化が進んだ場所であれば、どこでも同じように表情が硬くなる傾向にあります。ネパールだって、田舎と首都カトマンズとでは人の表情が全然違います。 東京の通勤電車は、さながら無表情の見本市みたいですね。人と人とがものすごい密度で密着し合っているけれど、決して誰とも目線を合わさずに、ひたすら沈黙して時を過ごす。日頃からああいう訓練を行っている人が、人前で素直にニコニコ笑うことは難しいと思います。 それと対照的なのが、今年の2月に旅した東ティモールでした。ここでは、僕がバイクで走っていると、道を歩く人々が右手を上げてニコッと笑いかけてくれるのです。どうやら東ティモールの田舎では、すれ違う人に対して誰でも笑顔で挨拶をするというのが習慣になっているようなのです。人口密度も低いし、のんびりとした時間の中で生活しているから、ひとりひとりの顔をちゃんと見る余裕があるんですね。そのことは、僕が撮った写真の中にも表れていると思います。
物質的な繁栄が特定の場所への人口の集中によってもたらされるのだとしたら、そのことが人から豊かな表情を奪うのは必然なのかもしれません。大都市というのは、モノや情報の伝わる速度があまりにも速すぎるのです。心を落ち着けて何かを眺めるための、時間的、空間的な余裕がないのです。僕は通勤電車に乗って毎日都心に通う身ではないけれど、東京に少し住んでみて、そのことを実感しています。 「超高層ビル」が「通勤列車」と「ターミナル駅」とで結ばれる街。そこでは、僕の表情も旅をしているときとはまったく違ったものになっているはずです。 東京に住む人が無表情になっているのではなくて、東京という街が人に無表情であることを要求しているのです。僕にはそう思えます。
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■ 「写真データーの保存方法」
旅の質問箱「RAWかJPEGか」に便乗して質問です。 撮影後の画像ファイルの整理はどのようにしてますか? 自分はDVDに分けて保存するのが面倒で、帰宅後メモリーカードからHDDにコピーしてそのまま入れっぱなしの状態です。 ですがRAWで写真を撮り続けてると、いくら容量があっても足りなくなってきます。 三井さんは長期の旅行も多いですし、容量・枚数とも、ものすごいことになってそうですが、旅行中と自宅でそれぞれに工夫してる点などあったら教えていただきたいです。 よろしくお願いします。
■ 三井の答え
僕は写真の整理のためにラップトップPCを持って行きますが、デジカメで撮った写真はその日のうちにPCのハードディスクに保存します。それから写真をチェックして、不要なものはその場で削除してしまいます。だいたい半分ぐらいの写真は削除します。 PCのハードディスクも容量が限られていますから、最終的に写真データーはDVD−Rに保存します。僕はパソコンもデジカメも常に壊れる危険性があるものだと考えていますから、データーのバックアップにはとても気を遣っているのです。DVD−Rは二枚ずつ焼き、ある程度の量になったら、一方は日本に郵送します。こうしておけば、全てを失ってしまうリスクはかなり少なくなるはずです。
パソコンやストレージを持って行かないという大多数の旅人には、アジアのネットカフェで広く行われている「CD−Rへの保存サービス」を利用するといいでしょう。費用もそれほど高くないし、長旅で写真をたくさん撮る人にはとても有効な手段です。 もし、旅先で運良く三井を見かけたら「DVDにデーターを焼いてくれませんか?」と頼んでみるのもいいですね。夕食のご馳走ぐらいで応じるかもしれませんよ。
2006年の旅では、4ヶ月間で2万5千枚の写真を撮りました。DVDでも30枚近くになります。ものすごいデーター量ですね。
それでも、その保存に必要な費用はほとんどタダみたいなものなのです。まさに「チープ革命」。本当にすごい時代になったなぁと思います。そりゃフィルムメーカーも潰れちゃうわけだ。
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■ 「RAWかJPEGか」
三井さん、アジアの瞳および素顔のアジアを「ほーそうなんだ」と知らないことばかりなんだなと感じながら読んでいます。 それで質問なのですが、最近一眼レフのデジカメ(canonのEOS
Kiss
digital)を手に入れました。 ですが、画像の形式をRAWにするか、JPGにするかで悩んでいます。 三井さんは、いつもどちらの画像形式を使用しているのでしょうか?
■ 三井の答え
この3年はずっとRAW形式で撮影しています。ファイルの大きさはJPEGの3倍ほどになりますが(ちなみに今使っているEOS-5Dだと1枚の写真が12MBほどになります)、最近は大容量のメモリーカードが安く出回っていますから、それほど気になりません。ちなみに僕は6GBのマイクロドライブを2枚持っています。これでだいたい900枚は保存できる計算です。
RAWが優れているのは、後から色を調整しやすいという点ですね。僕の場合はJPEGで撮ったとしても、一度フォトショップで補正を加えて作品に仕上げることにしていますから、それだったら補正の幅がより広いRAWの方がいいわけです。
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■ 「旅先の英語力」
三井さんは、旅をしていて言葉の違いに困った事はありませんか?
私は、今英語を勉強しているんですが、中々上手く行きません。
旅をして、直に英語に触れたほうが覚えやすいのかなぁ〜?と思っています。
何か、旅をしていて、言葉について困った事や不便に感じた事があれば教えてください。
■ 三井の答え
英語は僕も苦手です。たぶん世の中には「語学習得に適した人」と「適さない人」がいて、僕は後者だと思うのです。
それでも日本の外に出れば、やはりコミュニケーションは英語で取らざるを得ないわけで、たとえアジアであってもその原則は変わりません。だから、下手なりに上達してきたというのが、僕のこの数年間だったように思います。
でも、僕は「なんとか通じる英語」を話す技術だけは相当なものではないかと密かに自負しているのです。サバイバル英語。つまり、相手も英語をろくに理解できない、発音だってひどい、でもなんとか意思疎通を図らねばならない、というような条件の下で僕の英語は鍛えられてきたのです。
アジアで英語を話すときに、僕がいつも注意していることを紹介しましょう。
1.できるだけシンプルな文法を使う。過去形、完了形、丁寧な言い方はしない。
2.発音はゆっくりと大ききな声で正確に。しかし時には地元の訛りも考慮して変えることも必要。
3.自分の話していることが相手に伝わっているのかは、表情を見て判断する。「ふーん」と頷いているだけだったら、きっと相手は理解していない。そういう場合には、もっとシンプルなもっとカタコトの表現で言い直す。
お互いに外国語で話しているんだから、「きれいに通じる」必要はありません。だから、最終的には相手の心の動きを類推する力が大きくものを言います。
もちろん、身振り手振りや表情やスケッチや、ありとあらゆるものを駆使することも大切です。そのようにしてお互いの努力によって気持ちが通じ合えば、とても嬉しいものだし、その経験は特別なものになるはずです。
一番大切なのは、相手のことを理解しよう、自分のことを理解してもらおうという姿勢なのです。
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