5792 カイロは騒々しい街だった。どこへ行っても埃っぽく、路地はゴミだらけで、車の排気ガスや騒音も凄まじかった。段ボール箱を山のように積んだトラックが埃を巻き上げながら走り去ったかと思うと、その反対側から野菜を載せた馬車がクラクションを鳴らしながら突進してくる。自動車もバイクも馬車も自転車も、古いものも新しいものもごっちゃになって共存しているのが、カイロの面白さだった。

 カイロの下町の雰囲気は、パキスタンのペシャワールに似ていた。道を歩く男はみんなだぶっとした白い服を着ていて、誰も彼もとても体格が良く、過剰なほどに親切で、喧嘩っ早かった。
 パキスタンと違うのは、町の中に女性の姿が目立つことだった。エジプトはイスラム国の中でも比較的女性の社会進出が進んでいて、パキスタンやイランではまず見られなかった商売人のおばちゃんの姿も多かった。ムスリムの女性にカメラを向けようとすると、きっぱりと拒絶されるのがほとんどだったけれど、エジプト人女性の場合は、自分から「私を撮りなよ!」とアピールしてくる人も少なくなかった。

 カイロにはとにかく人が多かった。特に暇そうな老人と子供の姿が目立った。カイロには1200万もの人が住んでいて、これは東京の人口規模とだいたい同じなのだけど、住宅地の人口密度に限ればカイロの方が東京よりも数段上だった。

 

5924 カイロの人口密度は、この街に無数に聳えるアパートの高さを見れば容易に想像がつく。10階建てくらいは当たり前で、20階を越すものも少なくない。高層ビルといっても日本にあるような立派なオフィスビルではなくて、増え続ける人口を収容するためだけに作られたような薄汚れた灰色のボロビルがほとんどである。中には壁がぼろぼろと剥がれ落ちているアパートもあって、「地震が来たら倒壊してしまうんじゃないか?」と地震大国出身の僕なんかはつい心配になってしまうのだけど、ピラミッドが何千年も崩れずにいることを思えば、エジプトで地震の心配をする必要なんて無いのかもしれない。

 

5942 高層アパートに住む子供達は、狭い空き地を上手く利用して遊んでいた。代表的な遊びはビリヤードと卓球だった。どちらも本来は野外でするものではないのだが、エジプトには雨がほとんど降らないからOKなのだろう。ちなみにカイロの年間降水量はたったの20mmである。だからテレビニュースの天気予報には、最高気温と最低気温しか表示されない。明日の天気が「晴れ」なのは、誰に聞かなくてもわかりきったことなのだ。

 子供達の野外卓球を見学していると、一緒にやろうよと誘われたので混ぜてもらった。何を隠そう、卓球は僕の得意スポーツなので、最初は「カイロのガキなんぞに負けるはずがない」となめてかかっていたのだが、予想以上に苦戦した。子供達のテクニック自体はたいしたことはないのだけど、彼らは高層アパートを吹き抜ける風を上手く味方に付ける術を心得ていたのだ。

 気紛れな風にミスを連発する僕に対して、「なんだ日本人もたいしたことねえなぁ」という感じのヤジが男の子達から飛ぶ。そのたびに「卓球ってのは室内でやるもんなんだよ!」と言い返してはみるものの、相手も条件は同じなのだから説得力がなかった。それでも、カットサービスに活路を見出した僕は、なんとかフルセットの接戦を制した。ちょっと大人げないかなとも思ったけれど、日本人の代表としてはアウェーの試合も落とすわけにはいかないのだ。

 

 

男はみんな煙草を吸う

6032 エジプトは「ウェルカム」の国だった。チャイハネに座って水煙草を吹かしている老人が「ウェルカム!」と笑顔を向けてくれることもあれば、スカーフを頭に巻いた女の子達が遠慮がちに「ウェルカム」と手を振ってくれたり、ロバ車を御している少年が鞭を振り上げながら「ウェルカム・トゥ・エジプト!」と声を張り上げてくれることもあった。

 市場で一際大きな声を出していた果物屋の男も、僕に対する第一声は「ウェルカム!」だった。
「ウェルカム・カイロ! ウェルカム・エジプト! ところあんた中国人かい? それともコリア? なに、日本人だって? そうかい、まぁまぁここに座りなって」
 男の英語の発音はかなり怪しいものだったけれど、意味は十分に理解できた。彼は今から昼ご飯を食べるから一緒に食っていけよ、と僕を誘ってくれた。

 昼食はパンとゆで卵とチーズという質素なものだったけれど、焼きたてのパンはふっくらとして美味しかったし、何よりも自分たちが今与えられるものを惜しみなく分けてくれる気持ちが嬉しかった。それが彼らの「ウェルカム精神」なのだ。

 食事が終わると、男は胸ポケットから煙草を一本取り出して、僕に勧めた。エジプトの男達も他のイスラム諸国と同じように無類の煙草好きだ。そして自分が吸う前に相手に一本勧めるのも、共通の礼儀のようだった。
 僕がいつものように「ノースモーキング」と断ると、男は「それは体にいいことだ」と頷いた。煙草が健康に重大が害を与えるということは、成人男性の9割はヘビースモーカーであるエジプトのような国でも常識になっている。逆に言えば、害になるのをわかっていてもやめられないのが煙草というやつなのだ。

「ほら、あそこを見てみろよ」
 と男は言った。彼が指さした先には、もう死期間近という感じのよぼよぼの老人が椅子に腰掛けて新聞を読んでいた。
「あの人は去年食道ガンの手術をして、喉に大きな穴を開けたんだ。きっと煙草の吸いすぎだよ。今じゃ呼吸だってまともにできない。歩くのもやっとさ。それでも煙草はやめられないんだな」
 男の言うとおり、老人の震える右手には、しっかりと火のついた煙草が握られていた。

 

6028「毎日一生懸命働いて、貰える金が10ポンドかそこら。煙草1箱は、国産だと2ポンド、マルボロだと4ポンド半。それに食費と衣服代、子供の教育にもお金がかかる。手元には1ポンドも残っちゃいない。それを考えると頭が痛くなってね・・・それを忘れるために、また煙草に手が伸びてしまうんだ」
 彼はそう言って笑いながら、二本目の煙草に火をつけた。言うまでもなく国産煙草だ。

「昔のエジプトはこうじゃなかったんだ。俺が生まれた頃には、たくさんのギリシャ人がエジプトに出稼ぎに来ていたんだよ。ところが今じゃ、エジプト人の方がギリシャに出稼ぎに行かなきゃならない。立場が逆転してしまったのさ。こうなったのも政府の連中のせいなんだ。あいつらは汚い。外国から入ってくる金は、全部あいつらのポケットに入っているんだ」

 男はため息混じりに煙を吐き出した。お上に対して批判的な態度をとるのが、エジプト人気質なのだという。長い間、被支配者として蹂躙され続けてきた故のメンタリティーなのだ。
「ま、俺がここで政府が悪いって言ったって、どうにかなるわけでもないんだけどな。俺にできるのはこうやってうまい煙草を吸うぐらいなんだ」
 気楽そうに見えるエジプト人にも、いろいろと気苦労があるようだった。

 

 

ここから出ていけ!

5951 エジプトは「ウェルカム」の国だったけれど、カイロの住民がみんな外国人を歓迎しているわけではなかった。時には「お前何しに来たんだ」という目で睨まれることもあった。

 住宅街を気が向くままに奥へ奥へと歩いていたときのことだった。道端に座り込んでいた老婆が、僕の顔を見ると突然立ち上がり、大声でわめき始めた。老婆が一方的にまくし立てるアラビア語の意味は全然わからなかったが、彼女の剥き出した目や振り上げた拳を見ると「ここから出ていけ!」と言っているのは間違いなさそうだった。老婆は僕が肩から提げているカメラを憎々しげに指さしてから、手刀で首を切るジェスチャーをした。「ここで写真を撮ったら殺してやるからな」と言いたいのだろうか。

 怒りが収まりそうにない老婆の迫力に圧倒されて、僕は元の道を引き返した。僕と老婆との間には「言葉の壁」が高く立ちはだかっていて、そのために彼女が何に対して怒っているのか全くわからないことがもどかしかった。あの人は僕を何者だと思ったのだろう? あの人は何が言いたかったのだろう?

 老婆の言いたかったことがおぼろげながらわかったのは、この町の様子が他と違うことに気が付いてからだった。貧しい町の中でも、そこはとりわけ貧しい一角だった。何十年か前に建てられたまま放置されている廃墟同然の建物が並び、空気はどんよりと淀んでいて、糞便の匂いがした。子供達の声で賑やかなはずの路地裏も、妙に静かだった。

 そこに住んでいる人の大半は、体に何らかの障害があった。両目が白濁していて見えない人、頭にげんこつほどのこぶを持った人、体の成長が5歳ぐらいで止まってしまった人。そういう人達が暗いビルの谷間に身を寄せ合うようにして、じっと座っているのだった。もちろん、僕に向かって「ウェルカム」と言う人は誰もいなかった。

「この町は見せ物じゃないんだ。さっさと出ていきな!」
 おそらく老婆はこう言っていたんじゃないだろうか。エジプトの福祉事情がどうなっているのかは知らないけれど、この町に住む障害者がカイロでも最低レベルの生活を強いられているのは間違いなく、それをのこのことやってきた外国人に覗かれることが、老婆には耐えられなかったのだろう。

5736 旅人はどこに行っても不作法な部外者(stranger)だ。部外者だから歓迎されることもあるし、部外者だから拒絶されることもある。「ウェルカム!」という言葉も、「ここから出ていけ!」というジェスチャーも、「お前はここではよそ者なんだ」という事実を突きつけられているという意味では、同じことなのかもしれない。

 カイロの路地裏を一日中歩き回って、日が暮れてから宿に帰り着くと、そのままベッドに倒れ込んだ。肉体的にも精神的にもハードな一日だった。目を閉じると、僕の耳に入ってきた一日分の音――馬車の蹄の音、子供達の歓声、老婆の叫び声――がひとつの渦になって、頭の中をぐるぐると回った。

 カイロの路地裏には、アジア的なものとアラブ的なものと地中海的なものを、ひとつの壺に入れてかき混ぜたような混沌があった。そこには「美しいもの」と「醜いもの」が、「豊かさ」と「貧しさ」が、隣り合わせに存在していた。カイロは見る角度によって、受ける印象が全く違ってくる町だった。歩けば歩くほど混乱してくる町だった。

 カイロはとても疲れる町だった。でもそれはベトナムのハノイや、バングラデシュのダッカや、パキスタンのペシャワールで感じたのと同じ種類の、手応えのある疲労感だった。そういう疲労感を味わいたくて僕は旅を続けているんだ、と改めて思った。