ガソリンが水より安い国

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 イランほどバス移動が快適な国はなかった。まず料金が呆れるほど安い。なにしろ500kmを移動するのに100円ほどしかかからないのだ。産油国であるイランでは、燃料費が恐ろしく安いのである。「ガソリンスタンドで普通の乗用車を満タンにするのに、たった2ドルしかからないんだ」とイラン人は言う。水を買うよりもずっと安い値段だ。

 バスの車体は最新式とは言い難いものだけど、エアコンの効きは申し分ないし、座席と座席の間隔は十分に広く、シートはリクライニングする。床はいつも掃除されていて清潔だし、車掌が冷たい水を乗客に配って歩くサービスまである。まさに至れり尽くせりだった。

4806 窓の外を流れていく砂漠の風景を眺めるのも、バスの旅の楽しみだった。温暖湿潤で緑豊かな日本の風景とは、何もかもが違っていた。何百キロ進んでも、見えるものといえば月面を思わせる荒れた大地と、赤茶けた山ばかり。細部のディテールがやたらくっきりと見えるものだから、現実の風景ではなくて、風景写真を切り抜いて窓に張っているように見える。空気が澄んでいる上に乾燥しているから、光が乱反射することがないのだ。ところどころに点在するオアシスの村では、乾燥に強いナツメヤシの木を高い塀で囲んで大切に育てている。水も緑も、ここではとても貴重なのだ。

 砂漠の風景が見たくて、イランではなるべく昼間に移動することにした。独特の節回しのイラン音楽が控えめな音量で車内に流れ、それが異国を旅しているという気分を盛り上げてくれる。不眠の苦行としてインド音楽が大音量で流され続けていたパキスタンのバスとは、まるで正反対だった。

 国境地帯を離れても、幹線道路には頻繁に検問所があった。麻薬の密輸を防ぐために、あらゆる場所に網を張っているのだ。パキスタンとの国境を越えるときに一緒だったパキスタン人が、面白いことを教えてくれた。
「もし怪しい男を見つけたら、警察官はコップ一杯の油を飲ませるんだ。麻薬を持ち込もうとする連中は、だいたい袋に入れた麻薬を飲み込んで、胃袋の中に隠している。油を飲むと、たちまちひどい下痢に襲われて、胃の中のものは全部外に出てしまう。だから隠しても無駄なのさ」

4760「でも、怪しい人とそうでない人とを、どうやって見分けるんですか?」
「そりゃあ、変なものを飲み込んでいるわけだからね。脂汗がたらたらと流れるものさ。気持ち悪いし、緊張もしている。平然と通り抜けられる奴は少ないだろうね」
「じゃあ、もし麻薬が見つかったら、その男はどうなるんです?」
 僕が訊ねると、男は親指を立てて首を刈る仕草をして、にやりと笑った。死刑だ、と言いたいらしい。そこまで厳しく取り締まっても、密輸が後を絶たないということは、それだけ儲けが大きいということなのだろうか。

 検問所でバスが止められた場合、書類チェックだけで通してくれることもあれば、乗客全員がバスを降ろされて手荷物検査をされることもある。外国人はパスポートを詳しくチェックされる。
 そこで警察官に「怪しい」とみなされた人物は、別室に呼ばれて事情聴取されることになる。本当に油を飲まされることになるのかはわからない。幸いにして、僕はそんな目には遭わなかったけれど、前の席に座っていた親子連れは、別室に連れて行かれてまま、ずっと戻ってこなかった。運転手は10分ほどその親子の帰りを待っていたが、結局二人を検問所に置いたまま、バスは出発した。

 僕はあとで英語のわかる人を見つけて、「あの親子は一体どうなったんだ?」と訊ねた。
「ああ。後から来るバスに乗っけてもらうんじゃないかね。たぶん」と男はあまり関心がなさそうに言った。「もちろん、彼らが無実だったらの話だけどね」
 こういったことは、イランのバスではさほど珍しいことではないという。もし無実だったら迷惑この上ない話だけど、警察に目をつけられること自体、何か後ろめたいことがあるんじゃないか、と男は言った。

 
 

エスファハーンは世界の半分

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エスファハーンの象徴「王のモスク」

 イラン最大の観光地である古都エスファハーンでは素晴らしいイスラム建築の数々を見学した。モスクは全てのムスリムの心の拠り所であると同時に、旅行者にとっても、外の暑さと喧噪を忘れることができる、静寂の空間だった。

 中でもエスファハーンの象徴である「王のモスク」は美しかった。青い釉薬タイルに彩られたモスクと、その影に切り取られた空を、僕は時が経つのも忘れて眺めた。最盛期には「エスファハーンは世界の半分」とも呼ばれていたというが、その言葉にも納得できた。

 風に乗って、礼拝を呼びかけるアザーンの声が聞こえてくる。そこにはムスリムではない僕の心にも訴えてくる響きがあった。

 
 

大学の学生寮に泊まる

 カーシャーンという町に一泊してから、ケルマーンシャーという町に向かった。いつものことながら、取り立てた理由があって選んだ行き先ではなかった。あえて理由を挙げるとすれば、首都のテヘランを避けたかったということになるだろう。600万人が住むというテヘランの騒々しさと大気汚染の悪評は、他の旅行者から散々聞かされていたからだ。

 ケルマーンシャーに着いたのは予定から大幅に遅れた深夜1時のことだった。検問所で足止めされたり、途中でパンクしたりと、トラブルが重なったのだ。

 バスを降りて荷物を受け取っていると、眼鏡をかけた中年の男が話し掛けてきた。
「何か私に出来ることはありますか?」
 流暢な英語だった。彼はこの町にあるラジ大学という工科大学で講師をしているのだという。
「今からホテルのある場所へ行こうと思っているんですが、タクシーはどこから乗ればいいんでしょう?」
「どこに泊まるか決めているんですか?」
「いいえ。安い宿を当たってみるつもりですが」
「でも、夜中ですよ。今からホテルを探すのは大変だ」
 僕はそれでも何とかなるだろうと考えていたのだけど(今までだって何とかなったのだ)、彼は心配そうに考え込んだ。

「そうだ。このバスには私の大学の学生達も乗っています。彼らと一緒に学生寮に泊まればいい。学生達だって、あなたと話がしたいだろうから」
 彼はそう言うと、我ながら名案だとばかりににっこりと頷いた。そして僕の返事を聞く前に、近くにいた若者3人を呼んで、ペルシャ語で話をした。
「彼らもぜひあなたに来て欲しいと言っています」と男は言った。「とりあえず今夜は寮に泊まればいい。もし、あなたが気に入ったら、明日も明後日も泊まっていっていいんです」
 もちろん、僕はその申し出を受けることにした。深夜に宿を探す手間をかけなくても済むのは有り難かったし、イランの学生寮に泊めてもらう機会なんて、なかなかあるものじゃないと思ったからだ。

 

 ラジ大学の学生寮は、大学の敷地の隣にあった。4階建てのコンクリート造りの無愛想な建物が、全部で5棟並んでいた。それぞれの棟の入り口には、受付窓口と呼び出し電話があり、階段を上がって廊下に出ると、両側に白い扉がずらっと並んでいる。雰囲気としては、日本の大学寮とほとんど同じだった。

 僕が案内されたのは、3年生のマハーディ君の部屋だった。いつもは2年生との相部屋なのだが、外国人の客が来たというので、その2年生は他の部屋に移ってもらったということだった。
 部屋の中はきちんと整理されていた。部屋の主はきっと几帳面なのだろう。勉強机の上に教科書や辞書が並んでいる他に、余分なものはほとんど見あたらない。吸い殻が積もったジュースの空き缶もなければ(意外なことにイラン男性の喫煙率はあまり高くない)、漫画雑誌もないし、テレビもビデオもない。そんな殺風景とも言えるような部屋の中で一際目を引いたのは、壁に飾られたグラビアアイドルの水着写真・・・ではなくて、ホメイニ師の肖像写真だった。

「僕はエマーム・ホメイニを尊敬しています。ご存じだと思いますが、彼はイスラム革命を成功に導いた偉大な指導者でした」
 部屋の主のマハーディ君は、上手な英語でそう説明してくれた。イスラム革命から既に20年以上が経っているけれど、イランの街角では頭に白いターバンを巻き、威厳あるあご髭を蓄えたホメイニ師の肖像画を頻繁に見かけた。でもマハーディ君はイスラム革命を直接経験したわけではない。なにしろ、1979年当時、彼はまだ生まれてもいないのだから。

「エマーム・ホメイニの偉大な革命の思想は、今も生き続けています。近頃では、イスラムの教えを軽視するような若者の増えています。アメリカ文化を受け入れて、この国も変わらなければいけないと。でもそれは違う。変えてはいけないものは、僕らが守らなければいけない。でも、他の学生達からは、僕らは敬遠されているんです。『あいつらは政治的過ぎる』と」
 マハーディ君はまだまだ話し足りないんだという様子だったが、僕は長いバス移動の疲れもあって、これ以上英語を聞くのも話すのも勘弁してもらいたいという状態だった。瞼が重く、頭が上手く働かないのだ。時計を見ると深夜の2時半だった。そりゃあ眠たくもなる。

 僕の様子を察してか、他の学生が青いジャージズボンを持って現れた。
「これを使ってください。ジーンズよりも楽ですよ」
 僕はその言葉に甘えて、白いラインの入ったジャージに着替えさせてもらった。そしてマハーディ君に「明日たくさん話をしよう」と約束して、床にごろんと寝転がり、薄い毛布を一枚かぶって目を閉じた。

 そうしていると、学生時代に飲み明かして、何人かで雑魚寝した友達の部屋のことを思い出した。もちろん、イランの学生はお酒を飲まないし、麻雀もしない。でも部屋のにおいは同じだった。汗のにおいと、足のにおい。要するに、男ばかりが集まるところに必ず発生する、むさ苦しい青春のにおいだ。

 イラン人も日本人も、同じように足は臭いんだな。そんなことをぼんやりと考えながら、僕は眠りに落ちていった。