1854「いいですか。写真撮影は絶対に駄目です。中でメモを取るようなこともやめてください。その約束を守らないと、あなたを家の中に入れることはできないそうです」
 マイノーイ君は真剣な顔つきで言った。

(ただの新築祝いだって言っていたのになぁ・・・)
 僕は首を傾げながらも、ちゃんと約束は守ると言い、持っていたカメラをバッグの中にしまった。ジャーナリストでもないただの旅行者である僕を、そこまで警戒する必要もないとは思うのだけど、彼らには彼らの事情があるのだろう。

 僕はマイノーイ君の後について高床家屋の階段を上り、靴を脱いで家の中に入った。この村も昼間は電気が使えないので、部屋の中は薄暗かったが、目を凝らすと40人以上の男女が集まっているのが見えた。

 新居の主人に挨拶をして手土産を渡すと、大きな壺の前に座るように言われた。壺の周りには、3人の若い男が座っていて、細いストローのようなもので壺の中身を吸っていた。
「これは何ですか?」
「飲んだら分かりますよ。さぁどうぞ」
 マイノーイ君はそう言って、竹でできたストローを僕に渡した。

(・・・なんか怪しいものじゃないだろうな)
 入る前に「写真撮影禁止」なんて釘を差されていただけに、得体の知れないものを口に入れるのはためらわれたが、勧められたものをいきなり断るのも気が引ける。変な味がしたらすぐに吐き出そうと舌の準備をしてから、僕は恐る恐るストローに口を付けた。

 でも予想とは裏腹に、それはただのお酒だった。日本で言うところの「どぶろく」みたな、やや甘酸っぱい味の酒である。壺に張った酒の表面には白い米粒がたくさん浮いているので、それを避けるためにストローを使うのだろう。マイノーイ君によると、ラオスではこの飲み方が普通なのだそうだが、男同士ひとつの壺に頭を寄せ合って、南国のトロピカルドリンクみたいに「どぶろく」を飲むというのも、何となくユーモラスな光景だった。

「宴会に来たお客は、まずこの酒をコップに7杯分飲むのが決まりなんです」
 とマイノーイ君が言った。いろいろと決まりの多い宴会である。しかし、コップに7杯というのは、しょっぱなに飲むのには相当な量である。日本酒だと4合ぐらいはあるんじゃないだろうか。

「決まりは決まりですから」
 マイノーイ君はそう言って、コップに継ぎ足す分の酒を別の壺からすくった。外国人だからといって、大目には見てくれない様子である。壺を囲んだ3人の若者も、「セブン!セブン!」と言いながら、手拍子を始めてしまった。こうなったら飲むしかない。僕は腹をくくって、どぶろくをちゅーちゅーと吸い始めた。

 
 

ラオス人は宴会が大好き

 マイノーイ君と知り合ったのは、僕がルアンナムタの町で自転車を借りて、近くの村をぶらぶらと走っていたときのことだった。ルアンナムタはムアンシンよりもひとまわり大きな町だったけれど、旅行者の姿はほとんど見かけなかったので、その分居心地が良かった。

1790 農家の柵の中で、独楽回しをして遊んでいる子供達を見つけたので、自転車を降りて近づいた。子供達は、先に回した独楽にもうひとつの独楽をぶっつける「喧嘩独楽」をしていた。中国との国境が近いせいなのか、ラオス北部では「独楽」や「凧」といった日本人にも馴染み深い遊びをしている子供を見かけることも多かった。

 僕が彼らの輪に混ぜてもらって、久しぶりに独楽回しをしていると、家の中から若い男が出てきて、「ハロー」と声をかけてきた。それがマイノーイ君だった。彼は乗り合いピックアップの運転手をしている若者で、外国人を相手にすることもあってか、カタコトながら英語が話せた。

「どこへ行くんですか?」と彼は言った。
「目的地はないんです。ただ自転車で走っているだけだから」と僕は答えた。
「あなたは変わった人ですね。ただ走っているだけなんて」
 マイノーイ君は笑って言った。そして今から友達の家に新築祝いに行くから、一緒に行かないかと誘ってくれた。目的もなくただ走っているだけの僕も変だが、いきなり宴会に誘う彼だってかなり変だ。
 だけど断る理由なんて僕にはない。時間だけはたっぷりとあるのだから。
「もちろん行くよ」
 僕がそう答えると、マイノーイ君は一度家に戻って、洗いたての白いシャツに紺のジャケットというよそ行きの服に着替えてきた。
「その新築祝いには、女の子も来るの?」
 と僕が聞くと、彼は少し恥ずかしそうに頷いた。

 宴会に参加するのに手ぶらでというわけにもいかないので、僕らは市場に寄って、体に悪そうな緑色のお酒とビスケットを何種類か買い、それを手土産に友達の家に向かった。前日に降った雨のせいでぬかるんだあぜ道をしばらく歩くと、集落から少し外れた田んぼの真ん中に、一目で新築とわかる家が建っていた。

「あそこです」とマイノーイ君は言った。「新築祝いは、今日の朝から明日の朝まで続きます。まだ始まったばかりですよ」
「丸一日続くの?」
 僕は驚いて聞き返した。ラオス人はよっぽどの暇人なのか、宴会大好き人間なのか、どちらかなのだろう。

 
 

ラオス人は歯が丈夫

1792 やっとの思いで「駆けつけ7杯」を飲み終えると、男達から盛大な拍手が沸き起こった。僕は体育会クラブの新入生みたいな気分で、その拍手に応えた。
「飲めなかったら、こうやって床に吐いてもいいんですよ」
 マイノーイ君は小さな声でそう言うと、口の中の酒を床の隙間にぴゅっと吐き出してみせた。どうやら「駆けつけ7杯」のルールを律儀に守っているのは、事情を知らない僕ぐらいのもので、みんな半分ぐらいは吐き出しているようだった。

「そういうことは、飲む前に言ってくれないかなあ・・・」
 僕は呆れて言った。
「でも、これで日本人がお酒に強いことが、よくわかりました」と彼は言った。
 これでラオスの宴会がハードであることがよくわかりました、と僕は思った。

 どぶろくの壺から解放された後も、僕はおっさん達の乾杯に延々付き合わされることになった。これも物珍しい外国人の宿命である。もちろん、全部飲んでいてはこちらの体がもたないので、隙を見てぴゅっと吐き出すテクニックを使わせてもらった。

 男達が注いでくれるのは「ラオラーオ」という強い焼酎か、生暖かいビールなのだが、驚いたのは、誰もが栓抜きを使わないで瓶を開けてしまうことだった。栓抜きを使うのが面倒なのか、それとも栓抜きというもの自体が北ラオスには存在しないのかはわからないが、とにかく彼らはビール瓶を両手に一本ずつ持って、栓同士を引っかけて「シュポ」っと開けてしまう。でも、それすら面倒な人は、栓を口にくわえて開けてしまう。相当に歯が丈夫でないと、こんな真似は出来ない。

 その「ビールの口開け」も、おっさん達がやっている分には、まだ感心して見ていられるのだけど、二十歳そこそこのかわいらしい女の子までが、何の躊躇もなくビール瓶を奥歯でくわえて「シュポ」っと栓を抜くのを目撃したときは、さすがに目が点になってしまった。とにかく恥ずかしがり屋で、こっちが話しかけてもろくに目も合わせてくれないラオス女性の意外な素顔は、僕がこの国に来て以来最大のカルチャー・ショックだった。

 
 

言葉が通じなくても問題はない

1895 家の中は二部屋に分かれていて、大きい方には男が二十人ほど、小さい方には女が二十人ほど座っていた。部屋の間に仕切りはないのだが、男と女はきっちりと分かれていた。

「これも決まりなの?」
 僕が訊ねると、マイノーイ君は頷いた。本当に決まりの多い宴会である。しかし、その決まりは酒が入って盛り上がるにつれて、次第に崩れていった。我慢しきれなくなって女部屋に乱入して、気に入った女の子をかっさらって来る荒っぽい男もいた。シャイなのか無茶なのか、よくわからない人々である。女の子の方も一応抵抗する素振りは見せるのだけど、連れて来られてしまうと、まんざらでもない顔をして座っている。

 酔っているという口実の元に、若い男女が仲良くなれる数少ない機会。それがこの新築祝いの本当の目的なのかもしれない。ラオス版の合コンといったところだろうか。

「君はどの子が好きなの?」
 焼酎でかなり酔いの回ってきたマイノーイ君にインタビューを試みた。彼が指差したのは、まだ二十歳前に見える女の子だった。化粧っけはないのだが、目鼻立ちの整ったラオス美人である。彼女歌がとても上手なんですよ、と彼は言って、恥ずかしそうに笑った。

 日本でもカンボジアでもラオスでも、祝いの席ですることにたいした違いはない。みんなで酒を飲み、歌い、そして踊る。楽器がなければ、床でも食器でもプラスチックのバケツでも、何でもいいから叩いてリズムを取る。笑顔を交わし、杯を交わす。そういう時間を過ごしていると、言葉が通じないことなんて、実際のところたいした問題じゃないのだと思えてくる。一番大切なのは、この場の空気を共に吸っているのだという感覚なのだ。

 小便をしに家の外に出てみると、辺りはすっかり暗くなっていた。部屋の中にいると、日が暮れたことに気が付かなかったのだ。
「そろそろ帰るよ」と僕が言うと、
「なに言ってるんですか。まだ始まったばかりじゃないですか」とマイノーイ君は引き留めた。

 でも正直言って、最初の「駆けつけ7杯」が尾を引いていて、僕はかなりフラフラの状態だったし、このまま朝まで付き合う自信はなかった。それに、いつの間にかマイノーイ君の隣には例の彼女がちょこんと座っていて、いい雰囲気になっているので、これ以上僕の相手をさせるのも悪い気がした。

「ちゃんと自分の足で歩いて帰れるうちに、宿に帰りたいんだよ」
 そう説明すると、彼も納得したようだった。
「よそ行きの服を着た甲斐があったね」
 と彼の肩を軽く叩いてから、僕は新築祝いを後にした。

 宴会が本当に朝まで続いたのかは知らないが、タフな彼らの様子からすると、夜を徹して飲めや歌えやを続けていたんじゃないかと思う。
 そして朝日が昇る頃には、酔い潰れた男達や、空になったビール瓶や、歯形の付いた王冠なんかが、たくさん床に転がっているに違いない。