5184 トルコはバス網の発達した国である。一日何本ものバスが近隣の町同士を結んでいるから、時間を気にせずにいつでも移動できるし、イラン並みとはいかないまでも、料金もリーズナブルである。思い立ったら即行動。気分次第で即移動。そんな気まぐれな旅ができるのも、トルコのバス網のお陰だった。

 アジアを走るバスはオンボロ中古ばかりだったけれど、トルコのバスは新しいものが多かった。中にはメルセデスベンツの最新式バスが走る路線もあった。メルセデスのシートは身長180cmの僕が足を伸ばしても大丈夫なほどゆったりとしているし、廊下にはキリムの絨毯が敷いてある。飛行機のエコノミークラスよりもずっと快適なのだ。

 いくつかの路線では、運転手と車掌の他にもう一人「バスのスチュワーデス」とも言うべき、車内サービス専門の女性スタッフが乗り込んでいた。彼女達がどういう基準で選抜されているのかは知らないけれど、判で押したように化粧が濃くてバストが豊かなのは、何か作為的なものを感じてしまう。もちろん、乗客の大半は男性であるから、外見もサービスの一環なのだろう。トルコのバスは、同じ路線にいくつものバス会社が競合しているので、過当競争気味なのである。

 バススチュワーデスの女の子は、その豊かなバストを揺すりながら、乗客一人一人にジュースとお菓子を配り歩く。それから柑橘系の爽やかな香りのする化粧水をピュッピュと手の平に振りかけてくれる。休憩でバスを乗り降りするたびに、このトルコ独特の化粧水サービスは繰り返される。こんなにサービスの行き届いたバスというのは、世界でも稀ではないだろうか。

 

トラブゾンの空

5092 僕はほぼ毎日バスに乗って町から町へ移動した。まずイラン国境沿いを北に行き、そこから黒海沿いを西へ向い、再び南下してトルコ中央部を西に横断した。トルコは日本の約二倍の面積を持つ広い国である。地形も気候も変化に富んでいる。そのトルコをだいたい1日に2、300kmずつ進んだ。アメリカン・フットボールで言えばウェストコースト・オフェンス。長いパスで一気にタッチダウンを目指すのではなく、ショートパスを確実に繋げてゴールへ近づいていく攻撃スタイルだ。ジョー・モンタナからジェリー・ライスへ小気味いいパスが連続して通る。僕は西へ向かって少しずつ、しかし着実に進んでいる。その感覚は悪くなかった。

 黒海に面した港町・トラブゾンの空は、洗いたてのシーツのようにパリっと晴れ渡っていた。ホテルの窓からそれを確かめると、僕は坂を下って海岸に向かった。浜辺にある公園は家族連れや若者で賑わっていた。海岸にうち寄せる波はとても穏やかで、やわらかい潮の匂いがなければ、海ではなくて広い湖のように感じたかもしれない。
 手をしっかりと繋いだカップルが、ベンチで肩を寄せて海を見ている。人々はどこへ急ぐでもなく、誰かと語り合ったり、ふざけ合っている。それはどこから見ても、気持ちのいい休みの日の光景だった。そうか、今日は日曜日なんだな、と僕は思った。

 旅に出て以来、曜日はたいした意味を持たなくなっていた。銀行で両替をしたり役所でビザを取ったりする必要があったから、週末かどうかを気にはしていたけれど、町の様子や人々の行動が週日と週末でがらっと変わるなんてことは、アジアの国々ではほとんど見られなかったのだ。休日は仕事を忘れてのんびりとする――そんな僕らにとって当たり前の日常があるということは、トルコがそれなりに豊かな証拠なのだろう。

 

5086 海岸線を西に向かって歩くと、小さな遊園地があった。見るからにちゃちなゴーカートがあり、標的のマルボロがずらっと並んだ射的場があり、やたら勢いよく回る観覧車があり、音のわりに動きが鈍いジェットコースターがあった。設備の貧弱さにもかかわらず、遊園地は大勢の人でごった返していた。騒がしい音楽がスピーカーから溢れ、女の子の嬌声と子供の笑い声がそれに折り重なる。

 メリーゴーランドの向こうには黒海が見える。黒海はその名前のように黒くはない。まぶしく反射する光のせいで、波頭が白く光って見える。子供達が海に向かって小石を投げている。小さなボートに乗った男が、海岸に向かって手を振っている。
 暖かな日曜の遊園地では、誰もがとても幸せそうに見えた。宿の人の話では、昨日まで冷たい雨が降り続いていたという。誰もが久しぶりに降り注ぐ太陽の恵みを、存分に受け取ろうとしているのだ。

 そんな光景を眺めていると、僕は少しだけ切なくなる。幸せな休日や、当たり前の暮らしの中の喜び。そんなものから自分が遠く離れているということに、改めて気が付いたからだ。

 

 

サムスンのチャイハネは馬券売り場

6841 黒海沿岸地域で最大の工業都市であるサムスンの町を歩いていると、一軒のチャイハネが目にとまった。普通チャイハネというのは、暇そうな男達がお茶を飲みながらだらだらと時間を過ごす場所である。しかしその店では客がやたらと忙しそうにしていた。新聞を食い入るように見つめる人もいれば、小さな紙に何かをせっせと書き込んでいる人もいる。店の中のカウンターに並んで、チケットのようなものを買っている人もいる。

 何だろうと思って中に入ってみた。普通のチャイハネよりも暗く、どことなくいかがわしい雰囲気である。男達の視線は店の奥にあるテレビに集中している。その画面を見て、なるほどと思った。そこに映っていたのは競馬中継だったのだ。どうやらここは「喫茶店」兼「場外馬券売り場」であるらしい。

 長距離バスの運転手をしているという男が、片言の英語で話しかけてきた。ジャポンにも競馬はあるのかと聞かれたので、あるよと答えると、ジャポンはいい国だなと笑った。
「日本では若い女の子も競馬をするんですよ」と僕が言うと、
「それは本当かい?」と男は大げさに驚いてみせる。そしてその事実を周りの仲間に言って回る。日本では女も競馬をやるんだって。驚いたねぇ、まったく。

 トルコの男達の反応はもっともである。そもそもチャイハネ自体が男の社交場であって、女子供が立ち入る場所ではないのだ。そこにギャンブルが加わると、雰囲気はより泥臭く、いかがわしいものになる。日本のように競馬が女の子も楽しめるファッショナブルな遊びに変わるようなことは、トルコでは当分なさそうである。

 

5277「仕事がない日は、いつもここに来るんだ」
 と運転手は言う。彼は競馬新聞の予想欄を何度も見直してから、マークシート方式の馬券に鉛筆で書き込んでいく。ギャンブルにはまっている人の目というのは、日本でもトルコでも同じなんだなぁと妙に感心してしまう。ちなみに馬券は一枚100万リラ(100円)である。
「今から第2レースが始まる。俺は2番の馬を買った。この馬は絶対来るね。いつも最後で追い抜くんだ」

 レースが始まると、客の男達は一斉に椅子から立ち上がって、テレビの近くに集まる。レースは最終コーナーを回った時点で二頭の一騎打ちになった。男達のボルテージはここで一気に上がる。「行けー!」とか「そこだ!」というトルコ語の叫び声があちこちから聞こえる。しかし、運転手の男は早々にテレビに背を向けてしまう。どうやら彼が買った2番の馬は、序盤戦で先頭争いから引き離されてしまったようだ。

 

5303 7番と9番の先頭争いは、ハナ差で9番が勝利を収めた。しかし興奮した口調でまくし立てるテレビのアナウンサーとは対照的に、馬券喫茶の男達の反応は冷めたものだった。どうやら本命が順当に勝った面白味のないレースだったようだ。

 がっくりと肩を落としながらも、次のレースの予想に余念がない運転手の男に、「次は勝てるといいね」と声をかけてから、僕は馬券喫茶を出た。ほんの30分いただけなのに、からだには煙草の匂いがしっかりと染み込んでいた。