バングラデシュを旅している間、僕がすれ違った欧米人あるいは東洋人のツーリスト(とおぼしき人)は全部で6人だった。これは他のアジアの国々と比較しても、圧倒的に少ない数である。ちなみに世界年鑑などをぱらぱらとめくると、「バングラデシュを訪れる観光客は年間15万人」と記載されているのだが、これはちょっと信じがたい数字である。15万人もの人が、一体何を目的としてこの国を訪れたのだろう。
スリモンゴルで僕が出会った外国人は、たった一人だった。なにしろ外国人がエイリアン並みに珍しい土地のことだから、その一人とすれ違ったのも奇跡的邂逅のように思えた。
その男は旅行者というよりも「旅人」という表現がぴったりとくる風貌だった。僕は自転車に乗ってまっすぐな道を北へ向かっていて、彼は南に向かって歩いていた。男は小さなリュックと寝袋を背負い、肩にアルミの水筒を下げ、穴だらけのズボンとよれよれのTシャツを着て、まっすぐ前を向いて歩いていた。そんな格好をした人間はここにはまずいないから、男の姿は遠くからでもよく目立った。
彼にしてもそれは同じだったのだろう。僕らはお互いに「おや? こいつは地の人間じゃないな」と思って視線を合わせて、ほとんど同時に「ハロー」と挨拶をした。彼は歩みを止め、僕は自転車を降りた。
男はアーメットと名乗った。年は三十代半ばに見えた。どこから来たんですか、と僕が訊ねると、チュニジアからだと答えた。
「どこから歩いてきたんですか?」と僕が更に訊くと、
「チュニジアからだよ」と笑って答えた。
「チュニジア?」冗談だと思って笑うと、
「本当にチュニジアから歩いてきたんだ」と今度は真面目な顔をして彼は言った。
3年間ずっと歩き続けた男
アーメットさんは本当に「徒歩だけで」北アフリカのチュニジアからこのバングラデシュまで旅を続けてきた人だった。
「チュニジアから、リビアを通り、エジプト、ヨルダン、シリア、イラク、イラン、パキスタン、インド、そしてバングラデシュに来たんだ」
彼はその長い道のりをわずか10秒ほどで振り返った。
「いつ出発したんですか?」
「3年前さ」彼はこともなげに言った。「3年間ずっと歩いてきたんだ。そしてこれかもずっと歩いて旅を続ける。残念なことに、ミャンマーへは歩いて入国することはできないから、飛行機を使うことになると思うけれど。東南アジアを回って、日本にも立ち寄るつもりだよ。そして中国、ロシア、ヨーロッパと回ってチュニジアに帰る。あと3年、いや4年はかかるかな」
僕はざっと頭の中にユーラシア大陸の地図を思い浮かべてみた。チュニジアからバングラデシュまでは、直線距離でも1万キロはあるだろう。それをひたすら歩いてきたというのだ。とんでもない人である。
アーメットさんは体つきはがっちりしているものの、特別屈強そうではないし、背丈は僕よりもずっと低かった。冒険旅行家というよりは、山登りの好きな風変わりなおじさんといったほうがぴったりとくる。
でも、彼の目は印象的だった。その澄んだ瞳は、彼が玄武岩のように固い意志と、静かな情熱を併せ持った人間であることを雄弁に語っていた。そして、これだけの長い期間旅を続けているにもかかわらず、彼の目には好奇心の輝きがまだしっかりと宿っていた。未知のものに対する尽きることのない好奇心が、この人に旅を続けさせる原動力になっているのだろう。
3年も旅を続けているというのに、アーメットさんが背負っていたキャンバス地のリュックは、日曜登山家が担いでいるような小さなものだった。おそらく必要最小限のものしか入っていないのだろう。
僕のバックパック(40Lのナイロン製)も、長期旅行者の中では例外的に小さかった。バックパッカーというのは、60Lないしは80Lの大型バックパックに寝袋やスポンジシートやトレッキングシューズなどを括り付けて、引っ越し前のヤドカリのような大仰な格好をしているのが普通なのだ。
中には、こんなものが旅行に必要だろうか、と首をひねりたくなるようなものを持っている旅行者もいた。例えばラオスでルームシェアしたオーストラリア人は、バックパックの中から枕を取り出した。旅行用の空気枕ではなく、部屋で使う普通サイズの枕である。僕が唖然として見ていると、彼は「これがあるとリラックスして眠れるんだよ」と言った。
また、ある日本人旅行者は洗濯柔軟材の大きなボトルを持って旅を続けていた。「タオルはふかふかがいいのよ」というのがその理由である。大きなギターケースを抱えている男の子のいたし(でも、彼はギターを弾き終わってから、「ほんとはギターを持ってきたこと、後悔しているんですよ。重いんですよね・・・」と呟いていた)、5kgほどある大型のラジカセを持って旅を続けている旅行者もいた。
そういう僕だって、人があまり持ち歩いていないようなものをリュックに入れていた。ノートパソコンやCD-Rドライブやデジタルカメラ用の充電器や交換レンズなどである。だから見た目が小さいわりに、僕の荷物は重かった。
「余計なものを持っていたら、歩いて旅はできないよ」とアーメットさんは言った。
彼にとって大切なものは、パスポートとトラベラーズチェックと日記帳だけである。「命ひとつ」とは言わないまでも、その姿は旅人本来のシンプルな生き方をそのまま表しているように見えた。
21世紀のマルコ・ポーロ
「昼間歩いて、夜は眠る。夜の道は危険もあるからね」彼はライオンのように長く伸びた顎髭を撫でながら言った。「だいたいはその辺で野宿する。でも今まで通ってきたのは、ほとんどがイスラムの国だから、モスクに泊まらせてもらえることもある。その意味では旅は思ったより楽だった。インドだけはヒンドゥー教だけど、ムスリムの僕にもとても親切にしてくれた。外で寝ていると、ヒンドゥー寺院の中に招いてくれたりね。イスラムとヒンドゥーは対立しているみたいに言われているけど、決してそうじゃないんだ」
彼の言う通りだった。南アジアから北アフリカは、インドを除けばイスラムの国ばかりなのだ。この先僕が西に向かうということは、イスラムの地を旅することなんだと改めて思った。
マルコ・ポーロのように世界中を歩き回って、そのことを本に書いてみるつもりだとアーメットさんは言った。彼の姿を見て、「鉄道も飛行機もあるのに、いまさら自分の足で歩いて何になるだろう」と笑う人も中にはいるかもしれない。でも、自分の足で歩き自分の目で見るという旅人のベーシック・スタイルは、マルコ・ポーロの生きた13世紀から21世紀に至るまで、少しも変化していないのだと僕は思う。旅人に本当に必要なものは、たくさんの好奇心と少しの勇気なのだ。
15分かそこら立ち話をして、そして僕らは別れた。
いつかまた、どこかで会いましょう。そう言って差し出された彼の右手は、硬くて分厚かった。それは長い長い旅をくぐり抜けてきた人間の厚みそのもののように感じられた。
自転車を漕ぎ出してから後ろを振り返ってみると、彼はもうまっすぐに前だけを見て歩き始めていた。21世紀のマルコ・ポーロは、これからどんな世界を見て、それをどう書くのだろう。いつかそれを読める日が来るといいな、と僕は思った。