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スワヤンブナートから見たカトマンズ市街

 カトマンズには、おいしいカツ丼以外に印象に残るものはあまりなかった。一応、市街の中心にある王宮にも行ったし、有名な「ブッダの目」のあるスワヤンブナートの高台にも登ってみたが、どこも人が多くゴミゴミとしていて好きになれなかった。

 スワヤンブナートから見たカトマンズは、ずいぶん投げやりな街に見えた。高台から見下ろしたカトマンズは、レンガ造りの無個性な集合住宅(まるで茶色いレゴブロックみたいだ)が、すり鉢状の盆地一面に広がっている醜い街だった。それが地方から流れ込んだ人々を収容することだけを目的として、突貫工事で造成された仮住まいであることは明らかで、情緒のある旧市街の古い街並みも、今となってはこうした新興住宅地に飲み込まれようとしていた。

 都市というもの――特にアジアの大都市――は、本質的に「間に合わせ」の産物なのだろう。急激に膨らんだ人口と、交通渋滞と、汚れた空気と水。バンコクやダッカを歩くと、どうせここに長くいるわけじゃないし、10年もすればこんな建物はみんな無くなってしまうさ、という独特の「投げやり感」が漂っているのを強く感じるのだが、カトマンズはそれが際立っていた。

 この街の中心は、商業ビルでも政府施設でもなく、外国人旅行者街のタメルである。街全体が、観光客を取り巻くように発展していると言ってもいいのかもしれない。旅行者というのは、一定期間そこに滞在して、そして去っていく存在だ。腰を落ち着けて何かをする人ではない。そういう旅行者が街の中心にならざるを得ないという事情が、カトマンズを「投げやりな街」にしているもうひとつの原因なのかもしれない。

 

 

本当のネパールは山にある

「ええ。私もカトマンズはひどい街だと思いますよ」とラムさんは流暢な日本語で言った。「10年前はこうではなかった。もっと静かな街でしたよ。この10年でたくさんの人がカトマンズに住むようになって、この街は変わりました。今では川はゴミで溢れているし、一日外を歩けば、排気ガスで喉が痛くなります。本当は私もこんな街に住みたくはないのですが、仕事だから仕方ありません」
 ラムさんは大きくため息をついた。営業用トークなのかとも思ったけれど、どうも本気でカトマンズの現状を嘆いている様子だった。

 彼は小さな旅行代理店を経営するネパール人だった。僕が「ネパールの山村を一人で歩きたいのだけど、どうすればいいだろう?」とホテルの従業員に相談すると、「それなら、いい旅行会社を知っているよ」と、ここを紹介されたのだった。

 オフィスと言っても、雑居ビルの一室に机が二つあるだけのこぢんまりしたものだったので、最初は胡散臭さを感じていた。でも、社長のラムさんは見るからに頭の切れる人物だったし、その言葉には説得力があった。この旅行社はまだ立ち上げたばかりなので規模は小さいが、口コミでお客は増えているということだった。

3655「本当のネパールは山にあるんです。人々の多くは電気や水道のない山の中で、自然と共に暮らしています。私はもっと多くの人に、本当のネパールの姿を見てもらいたい。だから、こういうツアーを企画しているんです。カトマンズやポカラに行っただけでは、ネパールを見たということにはなりませんよ」

 本当のネパール、という言葉は魅力的だったが、僕は山登りにさほど興味があるわけではないし、本格的なトレッキングをする準備は何もできていなかった。
「別にエベレストを見に行きたいわけじゃないんです。ごく普通のありふれた村を歩いてみたいんです」
 僕が言うと、ラムさんは去年から始めたばかりだという新しいツアーを紹介してくれた。一週間かけて、カトマンズからゴルカの間の山道をトレックするというツアーで、展望の開けた場所は少ないが、その代わり観光客はまったくいないということだった。

「でも、ツアーは嫌なんですよ。僕は団体行動が苦手だし、一人で見て回りたい方なんです」と僕は言った。
「ツアーといってもですね、あなた一人にガイドが一人付くだけです。ガイドは道案内や通訳や宿の手配をしてくれます。食事代、宿代も含めて一日30ドル。一週間で210ドル。おまけして全部で200ドル。どうですか?」
 悪くない話だった。ここに来るまでは、ガイドを雇って旅をするなんて考えてもいなかったけれど、この国ではそれが一番現実的な手段のようだった。道のわからない山をうろうろ歩いたって、迷うのがオチだ。

 僕は翌日に出発することに決め、その場で200ドルをTCで払った。
「本当のネパールを楽しんできてください」
 最後にラムさんは笑顔で言った。

 

 

1週間の山村トレッキングへ

 翌朝、ガイドを務める男がホテルに迎えに来て、一緒にバスターミナルに向かった。サンタという名前のガイドは、よく日に焼けた40過ぎの男で、独学で学んだというわりには上手な英語を話した。この先一週間行動を共にする男が変な奴だったからかなわないな、と内心心配していたのだが、サンタはよく気の利く明るい男だったのでほっとした。

3798 彼のリュックに入っているのは、2L入りのミネラルウォーターのボトル(何かあった場合に水は絶対に必要だ)と、チョコレートやクッキーなどの菓子類と、寝袋だけだった。それに対して僕の方は、カメラ道具一式にPCや充電器などの重い荷物を背負い込んでいた。サンタは「一週間歩くだけだから、荷物はもっと軽い方がいい」と助言してくれたが、「僕の旅には必要なものだから」と言って持ってきた。途中、二日間は電気の通じる村に泊まれると聞いていたから(逆に言えば、それ以外は電気のない村に泊まるということだ)、デジタルカメラの充電池が切れる心配もなさそうだった。

 バスがターミナルを出たのは7時過ぎだった。出発してしばらくは舗装された道路を走っていたが、それも首都のカトマンズ付近だけで、山奥へと入っていくにしたがって、道は細く険しくなっていった。二台の車がすれ違うために、わざわざ数十メートルもバックしなくてはならないような道だ。もちろんガードレールも何もないから、ひとつ間違えば深い谷底へ真っ逆さまである。それでも今は乾期だからマシな方で、雨期になると崖崩れで通れなくこともしょっちゅうだという話だった。

 バスが立ち寄る町には、家族計画の重要性を訴える看板が目に付いた。カンボジアやラオスやバングラデシュといった人口増加と貧困に悩む国々では、この手の看板やポスターを頻繁に見かけた。夫婦と子供二人が手を取り合って明るい未来を目指す、というのが一般的な図柄なのだが、ネパールの看板は少し趣が違っていた。顔のあるコンドーム君が何かを蹴っ飛ばしている、というイラストなのだ。

 わかりやすいしユーモアもある。でも、コンドーム君が蹴っ飛ばしているものが一体何であるのかは、よくわからなかった。それが「卵子に届かんとする精子」であるのなら、やや直接的過ぎる気もするし、「子沢山がもたらす貧困」であるのなら、象徴的過ぎる気がする。

 でも、そういう政府の呼びかけにもかかわらず――カンボジアやラオスやバングラデシュと同じように――どの村でも子供の数は多かった。だいたい、日用雑貨を売る店が一件しかないような町で、本当にコンドーム君が流通しているのだろうか。

 試しに、「コンドームは置いているの?」と雑貨屋の主人に聞いてみたのだが、彼は妙な外国人が欲しがっているものが理解できないらしく、電池や電球を引っ張り出して「これが欲しいのか?」と聞いてきた。仕方なく、僕はメモ帳にコンドームの絵を描いて「これを売っていないか?」と聞く作戦に出たのだが、(ご存じの通り、コンドームというのは絵にすると背の高いオバQみたいなシルエットで、大変わかりにくいものなので)それも不調に終わったのだった。

 

息を飲む棚田

 午後1時過ぎに、僕らはゴラバンギャンという村でバスを降りた。予定ではここから丸6日間歩いて、ゴルカの町まで行く。

3803 山道を30分ほど歩くと、峠をひとつ越えた。そして突然目の前に現れた眺めに、僕は息を飲んだ。そこは美しい段々畑の連なる場所だった。日本の田舎にも段々畑や棚田が見られるところはあるけれど、目の前の段々畑はまるで規模の違うものだった。谷底から尾根の上まで数百メートルの斜面全てに段が刻まれていて、そんな山がいくつも連なっているのだ。ひとつひとつの段は地図の等高線のように緻密で、その曲線は十二単の襞のように優美で複雑だった。

 この段々畑が膨大な時間をかけて作られたものであることは、あぜの部分に積み上げられた石垣を見ればわかる。雨で土砂が流失するのを防ぐために、ひとつひとつ人の手で積み上げられていったのだろう。アバウトに見えて、とても綿密な作業が行われている。

 

3756「この辺りには平らな土地というものがないから、こうやって山を切り開いて農地を増やすしかないんです」とサンタは言った。
 傾斜の急な場所では、わずか1mの幅しかないような本当に猫の額みたいに狭い畑もあるのだが、そんな畑にも水牛が入って土を耕して、作物を植える準備をしていた。サンタの言う通り、ここには無駄にできる土地なんてないのだ。

 段々畑の単調な景観にアクセントを加えているのが、大きな岩だった。1mほどのものから、ときには3mを超えるような巨大な岩が、畑のところどころににょきっと顔を出しているのだ。山を切り開くときに重くて移動させられなかった岩が、そのまま残されているのだろう。荒々しい巨岩のシルエットと、段々畑の優美な曲線が組み合わさった景色は、どれだけ見ても飽きることがなかった。

 目の前の段々畑を眺めながら、僕は以前に京都の龍安寺で見た石庭のことを思い出していた。それは僕が初めて目にした枯山水の庭で、掃き清められた白砂と、その間に配された石との対比が見事だった。でも、その時は「なるほど、枯山水というのはこういうものなのか」と思った程度で、それほど強い印象は受けなかった。

 だけど、ネパールの段々畑を前にすると、石庭の美しさがありありと蘇ってきた。山に刻まれた段の緻密さは、白砂が描く繊細な模様を思い出させたし、畑から突き出た巨岩は、石庭に配された石のイメージと重なる。

 もちろん、石庭と段々畑は造られた目的も意図もまったく違う。段々畑の造形は、農民が狭い耕作地を最大限に利用しようと長年努力を重ねた結果生まれたもので、いわば「自然の中にある人の営み」を表すかたちだ。

 

3858 それに対して禅寺の石庭は、極めて人工的なものだ。庭園なのに緑がほとんどない。自然の抽象的なイメージだけを取り出して、それを限られた空間の中に再構築している。それは「自然の中にある人の営み」とは逆に、「人の営みの中にある自然」を表すかたちだと言えるだろう。

 にもかかわらず、この両者には根底で通じる美しさがある。少なくとも僕にはそう感じられる。それは一切の無駄を排した美しさだ。削げる部分を全て削ぎ落とした後に残るかたち。シンプルで力強く、そしてとても深いかたちだ。

 ずいぶん長い間、僕が黙って段々畑を見下ろしていたので、しびれを切らしたサンタが、「さぁ行きましょう」と声を掛けてきた。こんな光景はこれから先いくらでも見られるんだから――彼はそう言いたそうだった。でも、僕は今自分が感じている高揚感に、もう少し身を浸していたかった。インドに入って以来失っていた旅の興奮が、また蘇ってくるのを僕は感じていた。いい旅が始まる予感がした。

 もう少し待ってくれないか、と僕が言うと、彼はわかったよと頷いて、二本目の煙草に火を付けた。細い煙が空に上って消える。空には、一羽のトンビが上昇気流に乗ってゆっくりと旋回していた。