インド北部の辺境・ラダック地方でもっとも多いのはチベット仏教を信仰するラダック人だが、実はそれ以外にも様々な民族がこの土地に暮らしている。「ラダック=仏教の地」とは言い切れないのだ。実際にラダックをバイクで旅していると、行く先々で「仏教徒ではない人」に出会うことになった。

 たとえば道路工事の現場で働いていたのは、ビハール州やウッタルプラデシュ州などからやってきた出稼ぎ労働者だった。ネパールからやって来た女性たちもいた。彼らは現場近くに張ったテントで寝起きしながら、300ルピー(480円)ほどの日給で働いている。地元の村では仕事の口が少ないので、より高い賃金を求めてラダックにやって来たのだという。

 ラダック西部にあるスル渓谷には、バルティと呼ばれるイスラム教徒たちが住む村が点在していた。夏のあいだは畑で小麦や大麦を栽培し、家畜を育てているが、冬になるとほとんどの男たちは町へ出稼ぎに行き、村は女と子供と年寄りだけになるという。
「ここの冬は厳しいよ」とバルトゥー村のサイードさんがお茶を飲みながら言った。「きっとあんたには想像できないさ。道は凍ってしまうし、食べ物も乏しくなる。家族全員がストーブのある部屋に集まって過ごすんだ。春が来るのを今か今かと待ちながらね」

 長い冬が終わると、村は緑にあふれ、草原に羊が放たれ、男たちが出稼ぎ先から帰ってくる。そして、村人は美しく短い夏を心から楽しむのだ。

 

india18-84452ラダック地方で多数を占めるのはチベット仏教徒のラダック人だが、イスラム教徒の人口もかなり多い。自然環境が厳しい土地で生きていくためには、農業だけでは不十分なので、出稼ぎ労働などで現金収入を得ているという。

 

india18-86375収穫した大麦を背負って運ぶのは、まだ十歳足らずの少年だ。幼い頃から家の仕事を手伝うのが当たり前なのだろう。子供にも、家族の一員として果たすべき役割を与えられているのだ。

 

india18-86548長く厳しい冬が半年以上も続くこの地では、夏の暖かい日差しが何よりの喜びだ。老人たちは心ゆくまでひなたぼっこを楽しんでいた。

 

india18-86664ラダック地方で出会ったムハンマド・フサインさんの家にお邪魔することができた。ムスリムであるフサインさんの家には水タバコが備えてあり、暇さえあればそれを吸っているという。村には小さな水力発電機があるので電灯は使えるが、テレビや冷蔵庫などの家電は使えないという。

 

india18-87216「ラダック地方の冬はとても厳しい」と語ってくれたサイードさん。道は凍ってしまうし、食べ物も乏しくなる。家族全員がストーブのある部屋に集まって過ごす。厳しい冬のあいだ、男たちは町へ出稼ぎ労働に行く。そうやって得た現金収入でなんとか家族を養っているのだ。

 

india18-85105ムスリムの少女。学校の制服なのだろう。白いヒジャブがかわいらしかった。バルティと呼ばれるイスラム教徒の女性たちは写真に撮られるのを好まないので、かなり苦労した。

 

india18-87195
スル渓谷に住む少女。スルにはバルティと呼ばれるイスラム教徒の村が点在し、髪の毛を覆う伝統衣装を身に着けた女性たちが暮らしていた。

 

india18-87257ムスリムの村で出会った少女たち。髪の毛を覆うヒジャブがカラフルでとてもオシャレだった。

 

india18-87351ラダック地方のスル渓谷に住むムスリムの少女。手作りのカマを使って小麦畑に生えた雑草を刈り取っていた。色鮮やかな民族衣装と小麦畑の緑が見事にマッチしていた。

 

india18-85056ラダック地方の食堂に入って、マギー(インスタントラーメン)を頼んだ。食材の乏しいラダックでもマギーの味は安定している。店の壁にはタージマハルのポスターが。店主はやはりムスリムの男だった。

 

india18-83812この険しい山道の工事現場で働いていたのは、ネパール人の若い女性たちだった。同じ山岳民としてこうした厳しい環境で働くのは慣れているのだろう。強い日差しによって、彼女たちの顔は真っ赤に日焼けしていた。