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「独り暮らしは旅には行けない?」

初めまして、写真家を目指している、Dと言います。
僕も三井さんのように旅をしながら写真撮りたいと思っています。
それで質問なんですが、今三井さんは独り暮らしを始めているそうですが、旅をしている間家賃や部屋の管理?等はどうしようとお考えですか?
僕は今実家に住んでいるので、お金がある程度あればすぐにでも一人旅に出かけられるんですが、独り暮らしだとそう簡単に旅に出かけにくいんじゃないんですか?
僕の中では独り暮らし=旅には行けない、というふうにネガティブに考えてしまうですが・・・。
いずれは僕も自立をして独り暮らしを始めたいと思っているので参考までに教えてください!!


■ 三井の答え

 おっしゃる通り、僕は今八王子のマンションに一人で暮らしています。だから長旅の間の部屋の管理は、頭の痛い問題です。家賃も光熱費などの基本料金も馬鹿にはなりませんからね。
 実は僕が住んでいるところは、少し特殊な賃貸形態なので(ここでは詳しく触れませんが)、家を長期間空けることへの不安は、普通よりは少ないのです。

 家賃は払うしかないでしょうね。そうでなければ、最初から長旅に出ることを前提に、「レオパレス21」みたいな短期の賃貸契約を結んでしまえば(実は当初は僕もそう考えていたのです)、余分な家賃を払わずに済むし、家具だって最小限で済みます。
 いずれにしても、あなたがどれぐらいの期間旅に出るのか、収入や家賃はいくらなのか、頼りになる友人や恋人がいるのか(もしいるとすれば、部屋の管理は任せられますね)、といったことで答えは大きく変わってくるでしょう。
 「独り暮らし=旅には行けない」というのはいささか極端な発想であって、そんなことは本人のやる気次第で何とでもなります。

 そうそう、このブログの中にもたびたび登場するアメリカ人のウィリアムは、10年前にすべてのキャリアを捨て、全財産を大きな緑色のバックパック(彼はそれを今でも使っています)に詰め込んで、生まれ育ったロスアンゼルスを後にして、何年も放浪したんだと言っていました。
 そのように故郷を捨てて、戻るべき橋を焼いてしまえば、あとは身軽になるのでしょう。まぁ僕にはなかなかそこまではできないから、ホームベースを持ちつつ旅を続けていくことになると思います。




■ 「外国人との恋愛」 

初めまして。
いつも写真に写る子供達のように楽しんで三井さんのたびそらを見ています。
私は今21歳の大学3年生。今年大学を休学して、4月から今現在シンガポールに約9ヶ月(来年の1月に日本に帰る予定です)の英語留学(Singlish?)に来ています。
ごめんなさい。これから質問する事は、全然写真とはかけ離れたものになってしまいますが、気長に聞いてくれれば幸いです。ましてやお返事なんてくれたら嬉しい限りです。。

話はカンボジアに関連するものです。
私が初めてカンボジアを訪れたのは約2年前です。私の大学の教授が立ち上げたNGOのStudy tour(と言えるかわからないぐらいマイナーなstudy tour)でカンボジアに言ったのが最初でした。
突然ですが、三井さんは首都プノンペンのスタンメアンチャイ地区にある大きなゴミ山をご存知でしょうか?プノンペンで出たゴミの全てがやってくる場所です。ここでは、多くの大人や子供達がリサイクルできるゴミを集めて、それを換金し生計を立てるという生活を送っています。
どうやら近年、NGO関連のStudy tourでは、どの団体も決まってこの場所を訪れるらしいです。いわば、カンボジアの「闇の観光スポット」的な存在にもなっているがこのゴミ山ですね。

実は唐突で申し訳ないですが、私の恋人はそこで(かつて)ゴミ拾いをして生活していた16歳の少女です。幸運にも今はゴミ拾いは終えて、カンボジアの学校に通い始めました。
彼女に出会ったのは1年半前。あることをきっかけ(話始めると夜が明けてしまうので・・・)に恋に落ち、現在に至ります。出会った当初彼女はもちろん携帯電話や、パソコンもなく(インターネットもしたことなく)、去年の4月から今年の7月までの約1年間は、そういった日本で恋人同士が当たり前のようにするメールや電話なんてものは一切できませんでした。一つだけできたことと言えば、彼女の通っていた学校にクメール語で手紙を書き写真を同封して送るぐらい。そして、先生から彼女に渡してもらうみたいに・・・届いたかどうかなんて私は知るよしもなくただ祈るだけでした。全部で4回ぐらい手紙を送ったかな。のちのちカンボジアで彼女に実際に会って自分の手紙が、本人の元にちゃんと届いているもの確認できました。
なぜ彼女の家に直接送らなかったかと言うと、住所があるようなところには住んでいないからです(笑)。でもカンボジアにおいては、多くの地域の家が「住所」というものは不明確らしいですね・・・

突然のカンボジアでの出会いは、私の人生を変えるものになりました。だからまず今年の初め決心したのは、英語の勉強でした。元々留学はしたいと思っていましたが、自分の溜めたお金で行ける英語圏というのは凄く限られていて・・・(1)アメリカ、イギリス=さようなら。(2)カナダ、オーストラリア=うーんまだ無理だな・・。(3)シンガポール=ここならかろうじて行ける!という感じでした。でも一番の理由は「カンボジアに近いから」ですがね。彼女がカンボジア人じゃなければ正直シンガポールは選ばなかったと思います。少しばあちゃんからお金借りてニュージーランド辺りに行っていたでしょう・・(笑)。

この選択のおかげて、カンボジアにはシンガポール滞在中すでに2回行くことができました。この2回が自分にとって大きかったんです。はっきり言ってシンガポールに来る前の自分と彼女の関係は名目上は恋人同士ですが、実感が沸かず夢の中を泳いでいるような感じでした。
一回目では携帯電話をプレゼントし、念願の「電話」というものができるようになりました。シンガポールに帰ってきて初めて彼女に電話したときの「感動」は一生忘れないでしょう。お互い嬉しさのあまり爆発してました!!電話という道具がどれだけすっごい物なのか、改めて気付いた瞬間でした。今まで距離的にもの凄く遠かった彼女が、電話を通して今その瞬間の声を聞くことができるなんて、「あァ彼女も同じ地球に生きているんだな〜」なんて少し大げさですが、本当にそう思います。
二回目(今月の初旬)では彼女のご両親にも会いました。かなり緊張しましたが、二人とも真面目で気さく、凄く親切な人達だったので安心しました。今では、私の願い(英語の勉強)も受け入れてくれて、彼女は英語の学校にも通うようになりました。
「お金は私が払うから」という当初の意見に対し、「ダメ!!」と言われ。ちゃんと彼女の両親が払っています。
私は実際に将来、彼女との結婚も考えています。そうでなきゃこんな風にはならなかっただろうし、二回目の旅の最後には彼女を病院に連れて行きHIVなどの検査もしてもらいました(彼女にとっては生まれて初めての病院だったんです。採血もレントゲンも初体験です。怖がることは一切なく正直私の方がビビってました)。幸い全て異常がなく健康と言うことも判明。
色々な事をお互い一緒に経験していくことを通して、お互いの距離が徐々に近づいていっているように最近思えるようになりました。

金銭的に貧しい人々と、外国人(一応お金持ち?)の恋愛でよく言われるのが、お金の問題です。「彼女はきっとお金目当てだよ」など決まり文句ですよね? しかしながら、私はその面ではあまり心配していません。彼女を見ていればはっきり分かります。まだ16歳なのに、とても大人、こんなに人間ができていて、正直(ダメならダメと言うような)で純粋な女性は、今まで出会ったことがありません。日本人とも違う「落ち着き」と「お茶目さ」が私を離してくれません(笑)

彼女と私の間では口頭で「結婚」の約束もしています。お互いの親はそこまで知りませんがね。私の将来の密かな夢3つを三井さんだけに紹介します(聞きたくない場合はスキップしてくださいね(笑)。1「彼女とまずアンコールワットに行くこと」です(彼女は一度も行ったことがありません)。次は世界中の絶景が掲載された本をプレゼントし、どこか一つ行きたい場所を選んでもらいます。2「その場所に二人で将来旅する」。最後3は、「彼女の家族と自分の家族全員でどこかに旅行にいくこと」です。客観的に見たらちょっと夢が小さいように見えるかもしれませんが、これが今の私にとっての一番の「大きな夢」です。
必要なのは「愛」と現実的なところで「お金」でしょうか。ハハハッ

現在シンガポール滞在6ヶ月目に突入しています。毎日将来の自分と彼女の事、そして自分の仕事などについて考えない日はありません。来年の1月、日本に帰ったら何をするか?就職活動?それともお金を貯めなおしてカンボジアに留学してクメール語の勉強?など悩みは絶えず・・。カンボジアに関しては言えば、初めてこの国を訪れた時から、私はこの国の人や雰囲気が大好きでした。だから就職するなら「興味のあるカンボジアと関わりがある何かと」考えています。NGOも興味のある職種の一つです。しかし、事実給料は決して十分とは言えない。NGOに女性が多く働くのもその理由でしょう。私1人ならそれは全然構わないのですが、将来「彼女と結婚して、子供ができて」なんて事を考えると、このような要素も考慮せざるを得ません。
私としては、お互いの国を尊重して生きていきたいので、どちらか一方に死ぬまで住むというのは、考えていません。または、お互いの国ではない第3国で暮らす事もいいかもしれません。しかし、どの選択もそれなりのお金が必要です。カンボジアで仕事し、暮らす事は可能かもしれませんが、収入は目に見える程少なく、きっと日本やその他の国に行って生活するだけのお金は蓄えられないでしょう。これがこれからの、私と将来の妻や子供のためにいいことなのか、それは自分でも分かりません。

今年の12月下旬、日本に帰る前に私は再びカンボジアに行きます。そして、彼女に近い将来の事(日本に帰ってから自分がどう動くのかなど)を説明するつもりです。
それができなきゃ日本に帰れませんよ。無責任過ぎますからね!!

初めてのメールでこんなに長々と書いてごめんなさい。今のこの私の現状、はっきり言って辛くはないんです。ただ誰かからの意見が欲しくて。何か人生の先輩として、顔も知らない私ではありますが、アドバイスできるような事がありましたら、何でもおっしゃってくれると嬉しいです。感想でも何でも構いません。

最後に、三井さんの写真に写る多くの「純粋な瞳」の少女達、私にとって自分の彼女も「同じような純粋な目」をしています。きっと三井さんになら想像できると思います。私の心がたびそらに留まったのも、自分の彼女と似た目をしている人々がたくさん写っていたからかもしれませんね(笑)これからも、ずっと期待しています。お身体には気を付けて旅を続けてください。
最後まで読んで頂いてありがとうございました。


■ 三井の答え

 まず最初にお断りしておかなくてはいけないのは、僕は旅をしている間に現地の女の子と恋愛関係を持ったことは一度もないということです。前にもどこかで書いたけれど、旅のあいだは「恋愛モード」にはならないのです。ですから僕が「人生の先輩」としてアドバイスできることは限られています。
 しかし僕の例はともかくとして、実際にアジアを旅していると、現地の人と恋愛し結婚した外国人旅行者や在住者の話をよく聞きます。そのうちのいくつかは「たびそら」旅行記の中にも書いていますね。成功例もあるし、失敗例もある。たぶん日本人同士の恋愛や結婚と同じように。
 だから「国境を越えた恋愛・結婚」というものを僕は否定しないし、あなたが彼女にとても惹かれているのだとしたら、その気持ちは大切にするべきだと思います。

 ただ、メールを読んでいてひとつ気になったのは、コミュニケーションの問題です。彼女と最初に出会ったときのことはあまり詳しくは書かれていませんが、どのようにしてお互いの気持ちを確かめたのでしょうか? 当時あなたは英語もクメール語もあまり話せなかったんですよね? 彼女も英語を学んではいない。その状態で、どうやってお互いに惹かれ合うことになったのか、僕にはもうひとつ理解できないのです。
 もちろん言葉が通じなくても、恋愛感情を持つことは可能です。あるいは性欲を抱くことが可能だと言い換えることもできます。だからこそ、日本人男性がアジアに買春ツアーに行ったりするわけです。(ご存じのようにカンボジアは買春先として日本人に最もよく利用されている国のひとつです。僕はそういう男たちがヘドが出るほど嫌いだし、あなたもそんな男たちと同列に語られたくないと思うだろうけれど、これも紛れもない現実のひとつです)

 コミュニケーションが不完全な場合、それを補うのは想像力です。これは僕が旅先でいつも経験していることだけれど、相手の英語力が乏しい場合には、相手が自分に何を伝えようとしているのかを、状況や表情を見ながら想像力で補っていかなければいけないのです。
 この「想像力で補うべきコミュニケーションの断層」は、相手に恋愛感情を持っている場合には大変危険です。なぜなら、あなたが「彼女はこう思っているに違いない」と考えるとき、そこに容易に「自分の願望」が入り込むことになるからです。
 日本人同士の会話なら「10」伝わることでも、外国人同士だと「3」しか伝わらないとすると、残りの「7」を想像で補うわけですが、それが「こうであって欲しい」というこちらの一方的な思い込みの反映にならないとは限らないのです。
 ですからまず、お互いに共通の言葉(あなたの場合には英語かクメール語になりますね)を持ち、その土台に立った上で、お互いが何を考えているのかを理解する必要があります。

 二人のあいだに横たわる大きな溝を埋めるのは、愛情の強さではありません。ましてやお金でもない。必要なのは、お互いを理解することです。相手を願望の投影としてみるのではなく、お互いの考え方や価値観の違いをそのままに受け入れることです。
 異国の男女が惹かれ合い、恋心を抱くことはそれほど特別なことではありません。でもその愛情を持続させ、一緒に生活したり結婚したりするというのは、それとは次元の違う問題です。そうするためには長い時間が必要だし、忍耐力も必要でしょう。

 今年、インドネシアで出会った男性の話をしましょう。彼は5年間日本に住んでいて、日本人の奥さんと子供が二人いるのですが、今は家族とは離れて暮らしています。彼はインドネシアにいて、家族は日本に住んでいます。
 その原因は(彼自身は気が付いていないけれど)、彼が精神を病んでしまったことにあるようでした。彼は「知らない誰かが自分の噂話をし始めたのだ」と言っていました。会社でも、電車の中でも、飛行機の中でも、誰かが自分の噂話をしているというのです。明らかな幻聴です。統合失調症がかなり進行しているという印象を受けました。
 おそらく彼は外国で働くということ、家族を持つということの重圧に耐えられなかったのだと思います。生真面目な男でしたが、その生真面目さ故にいろんなことを一人で抱え込んでしまったのでしょう。彼はインドネシアの中でも比較的豊かな街から日本に出稼ぎに行ったのですが、それでも異国で働き、異文化で育った人とコミュニケーションを取り、家族を養うということの精神的な負担は相当に大きなものだったのです。
 愛情やお金ではどうにもならない問題もあります。あなたがカンボジアに住むにしても、彼女が日本に来るにしても、そのような現実があるのだということを自覚しておいた方がいいと思います。

 何よりも大切なのは、「急ぎすぎない」ということです。あなたは21歳で、彼女は16歳。世間的にも、僕の目から見てもとても若い。恋愛を持続させている時間も短いですよね?
 逆に言えば、お互いを理解するための時間は、まだたっぷりあるということです。このまま遠距離恋愛を続けてみるのもいいし、近くで暮らしてみるのもいい。時間をかけて、少しずつ相手との距離を縮めていく。
 その結果、「お互いがかけがえのない存在なのだ」という結論に達したのなら、結婚という選択肢を選ぶのもいいと思います。そのときには、お祝いの言葉を贈りますよ。


■ 質問者からの返信


ご丁寧なお返事どうもありがとうございます。
三井さんの答え(アドバイス?)を読んで、大きく二つの重要な事に改めて気付きました。
(1)コミニュケーションの重要さ 
(2)焦らずstep by stepで

まずコミュニケーションの問題ですが、当初私が彼女と出会った頃はそれこそ、ほぼ"body language"での会話でした。最初は特に、このbody languageの力に驚かされ、「人間言葉がなくても通じ合えるんだな」と感動。事実その仮定で恋いというものが自分の中に芽生え始めましたからね、率直に言えば、彼女の「笑顔への一目惚れ」です。「これ以上の素敵な笑顔をする女性は世界を探しても見つかるまい」と若干21歳ながらに思い、1人歩きし始めました。しかし、次に待っていたのは「もっと知りたい」という感情でした(すぐにこの症状に襲われました・・)。これは人間が「何かに興味を持ったとき(それが人でも物でも)」誰もが自然とそう思う一般的なルートだと思います。彼女をもっと知るにはどうするか?それは彼女の言語を勉強することしかありませんでした。正直、クメール語の勉強を本格的に始めたのは、今年の6月辺りです。言い換えれば、今年の4月にシンガポールにやってきて、7月、10月と二回カンボジアに行ったことで初めて彼女の家族の事や生活風景などが徐々に見えてきたんです。出会ったのは、去年の4月ですが、お互いを知り始めたのは本当にここ最近の話ということです。
出会って恋いに落ちた当初は、「根拠のない自信?」のようなものが私の中にあったんです(今でも進行形です)。出会って一年間は、前に述べた通り電話などで彼女の近況や気持ちなどは一切確認できませんでした。そんな状況に関わらず「彼女は絶対に自分の事をずっと想っていてくれるんだ」という、「自信」に満ちあふれていたんですね(かっこよく言えば「彼女に対する信用」が自分の中にはすでに形成されてたんです。まあ客観的に言えばただの「想像と妄想」ですがね(笑)それはそれは危険な部分と紙一重です。一般的に恋愛というのは危険と表裏一体のような気もしますが。"Love is blind"という言葉があります。これは果たしてまずいことなんでしょうか? そりゃ時々周囲を見渡して自分を客観的に見ることも大切だと思います(特にコミュニケーションがお互い完全ではない私みたいな場合は重要)でもその一方「盲目」になってなんぼの部分もあるように私は思います。「恋愛感情を自分の頭の中で緻密にコントロールできる」そんな超人どこにもいないでしょう。いても退屈そうですし。

三井さんがおっしゃた、
>「想像力で補うべきコミュニケーションの断層」は、相手に恋愛感情を持っている場合には大変危険です。
ということ、とてもよく理解できます。だからこそ「言葉」が最重要事項になってくるのですね?言葉なくしての恋愛は、それこそ「夢物語」の世界です。お互いを理解するための言語、これがいかに大切なのかは、今シンガポールで英語の勉強をしている私にとっても非常にリアルに感じられます。その土台にはい上がる努力をしないと。そしてもう一つ、恋愛と結婚とでは次元の違う話ということも理解しなくてはなりません。これはいかに違うのか、未婚ながらに何となく想像がつきます。想像に過ぎませんがね。この事に関してもまずはその土台を作ってからでないと想像もつきづらいし、しっかり考えられません。土台作りを彼女と共に時間をかけて築いていくことで、お互いを知る事もたくさんあると思いますし。

私は「日本人の一般的な大学生」、彼女は「カンボジア人の少女」。私たちが、言葉はまだまだ理解するにはほど遠いなかで、今まで出会って1年半やってこれたのには理由があります。それは、彼女も自分では気付いてないと思いますが、私を精神的に決して窮屈にしない(追い込まない)んです。言い換えれば、必要のないプレッシャーを私に浴びせることがない。これは感覚で感じます(言葉からではありません)。まあ、ここで言う「プレッシャー」とは何なのかは自分でもうまく説明できませんが、例えば「彼女は外国人だ」という感情や「私は日本人だから何かしなきゃ」などという感情を必要以上に私に感じさせないんです。それは、「あなたがまだ彼女を全然知っていない証拠だ」と言われればそこまでですがね(笑)。これは彼女が自分で意識しているのではなく、自然に私にかもしだしている最高のプレゼントなんだと思います。その感覚が私にとって一番重要なのかもしれません。三井さんが今回くれた「急ぎすぎない」というアドバイスを助長してくれるありがたいプレゼントです。

最後にもう一つだけ、三井さんがおっしゃた、 
>「もちろん言葉が通じなくても、恋愛感情を持つことは可能です。あるいは性欲を抱くことが可能だと言い換えることもできます。だからこそ、日本人男性がアジアに買春ツアーに行ったりするわけです。(ご存じのようにカンボジアは買春先として日本人に最もよく利用されている国のひとつです。」
ということ、特にカンボジアへの売春ツアーに関することですが、私は「売春ツアー」=「Fuck yourself Tour」だと考えております。カンボジアでは売春が数え切れない程あって、その多くに日本人が関係しているという事実を初めて知ったのは、私が人身売買で売られた子供達を保護する場所で、その子供達と遊んでいたちょうどその時でした。ショックと同時になんとも言えない感覚に陥りました。
「ここで今自分と一緒に笑っている子供達も中には日本人に買われた子もいる」などと考えると、もう人事だと思えなくて、自分を責めるような気持ちに襲われました。

私は彼女に対してそのような目(性欲だけの目線)で恋愛感情を抱いた事は正直ありません。これは嘘じゃないですよ。そりゃ確かに日本で誰かに恋に落ちていたときは、即座にそんな事ばっか考えていましたが(笑)カンボジア人の彼女の場合は何か特別なんです。ご存じの通り、一般的にカンボジアの女性は結婚するまでは、体の関係は認められません。それが私にとって辛い事か?といえば決してそんな事はありません。これは「自分の性格(感覚?)」にありがとうですね。全然気になりません。日本人(世界中誰でも)の21歳男性、性欲真っ盛りなはずの私ですが、カンボジアのこの文化?風潮にはむしろ感謝しています。私の性格に合っています(笑)。ごめんなさい。こんな事はどうでもいいですね?書いてから「書かなかった方がいいかも」と少し後悔・・・。

気付けばまた長ったらしくて意味が理解しづらい文章になってしまいました。国語からやり直した方いいかもしれませんね私。。
三井さんの親切なお返事本当に嬉しく思います。正直最初、自分のメールなんて相手にされないかな〜って不安だったんです。ありがとうございます。
次にメールを送るときはきっと「結婚のお知らせ」でしょう!ハハッ!何年先の話やら!(笑)
三井さんの「おめでとう」を聞けるように日々努力していきますね。
それではお体に気を付けて、これからもたくさん笑顔でみんなを魅了してやってください。


■ 三井の返信

 あなたのメールからは、あなたの真面目な人柄が良く伝わってきます。
 あなたは彼女の笑顔の中に特別なものを見出した。一目惚れをした。そのことはよくわかります。恋をすれば誰でも、多かれ少なかれその想いをテコにして突っ走るものです。特に若い頃の恋は盲目です。(僕にもそういう時代があったのだろうか・・・うん、たぶんありました)

 しかし、真面目であるがゆえの「危うさ」を感じてしまうのも事実です。彼女への想いがあまりにもストレートすぎるので、「このさき大丈夫かな?」とちょっと心配になってしまうのです。
 あなたも認めている通り、彼女と出会ってからしばらくのあいだは、あなたの彼女への想いは一方通行でしかなかったわけです。確かめたくても確かめようがなかった。ただ「根拠のない自信」だけがその気持ちを支えていた。
 この「根拠のない自信」は、もちろん恋の原動力になるものだけれど、ひとつ間違えると、「自分勝手な押しつけ」にもなりかねません。恋を始めるのは自分の都合だけでできるけれど、それを育てていくためには相手のことを理解し、自分のことを相手に理解してもらわなければいけません。

 二人のあいだには乗り越えなければならない壁が数多くあります。まずは言葉の壁。そして育ってきた文化の壁。経済格差の壁。いずれも高く、分厚く、固い壁です。生半可なことでは乗り越えることができないし、また乗り越えたとしてもハッピーな未来が待っているとは限らない。
 しかもあなたの場合には、単に恋愛を成就させたいということではなく、彼女と結婚することを目標としているわけだから、これらの壁をひとつひとつ乗り越えていかなければいけません。

 前のメールにも書きましたが、時間をかけてゆっくり行きましょう。
 うまく行けばいいけれど、仮にうまく行かなかったとしても、自分を責めてはいけません。恋愛は相手があってのこと。自分の努力だけではどうにもならないことだって多いのです。





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「光の捉え方」

今回、直接メールさせていただく事にしたのは、実は「光が見える(読める)」について質問があったからです。

私は、猫写真をテーマにしています。猫写真のみで生活しているプロがいない現実に恐怖を感じ、今は外に飛び出す勇気がありません。世界中の様々な場所に行きながら写真を撮れたら良いなと夢見つつ、今は近辺を中心に写真を撮り続けています。先日、動物写真家の岩合光昭さんにコンタクトを取り、自分の写真を見てもらいました。「焦っている(猫しか見えていない)」「時間帯がずれている」あと、「光が読めてない」というコメントをいただきました。

岩合さんからは、「勉強として一日500枚の写真を見る」という課題を頂きました。これは必ずこなしていきたいと思っています。三井さんはブログのコメント欄に「試行錯誤を繰り返してきた」と書かれていましたが、具体的にはどういった事をされましたか?私でも出来る事があれば、参考にしたいので教えていただけないでしょうか?



■ 三井の答え

 「光が見えるようになる」というのは、どのような種類の光がその場を支配しているのかを理解し、それが被写体にどのような効果をもたらすのかを瞬時に判断できるということです。

 これは極めて感覚的な事柄です。「味の違いがわかる」というのと似ているかもしれません。もともと味覚が鋭敏な人もいるし、そうではない人もいる。それでも様々なものを食べることによって、その人が持つ味覚の「幅」は広がっていきます。味覚を広げる際に大切になるのは、「食べること」に対する興味です。食に興味が少ない人にとっては、美味しいものでもそうでないものでも、受ける感覚(あるいは喜び)はたいして変わらないからです。
 光に対する感覚もそれと同じことが言えます。光に興味があるかないか、光の美しさに喜びを感じるか感じないかによって、光の感覚の広がりが全く違ってくるのです。だからまず、主体的に光を捉えることから始めなくてはいけません。

 様々な光を感じ、様々な風景を眺め、様々な表情に出会ううちに、自分の中にいろんな引き出しができてきます。その引き出しを持っていれば、目の前の被写体を生かす光を選び取れるようになってくるのです。
 経験が何よりも重要です。いくら雑誌や本を読んでも、そのイタリアンレストランの味について何もわからないのと同じことです。例えばモンゴルの光の鋭さや、アフガニスタンの空の青さや、東ティモールの海の青さなどは、やはりその土地に行ってみないとわからないのです。

 とは言うものの、僕にとって「光の質」は必ずしも優先順位が高くはありません。僕が写真を撮るときに何よりも優先しているのは、被写体の表情、その輝きです。それがなければ、どんなに素晴らしい光が当たっていても、魅力的な作品にはならない。僕はそう考えています。

 だからあなたも、まずは自分らしい切り口で猫を撮ってみたらいいと思います。違ったシチュエーションで何千回、何万回とシャッターを切っていれば、きっと光は見えてくるようになります。
 他人の100枚の写真を見るよりも、自分で100枚の写真を撮った方がきっと役に立ちます・・・というのは不勉強な僕の言い訳でもあります。

 最後に、最近僕が撮った写真の中で「光が主役だ」という三枚を挙げておきます。参考までにご覧ください。
 http://www.tabisora.com/travel/photo/03cambodia05/digest014.html
 http://www.tabisora.com/travel/photo/03cambodia05/digest030.html
 http://www.tabisora.com/travel/photo/09nepal05/015.html




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「好奇心の摩耗」

三井さんはこれからまだまだ他の国を訪れて、写真を撮りたいと感じていらっしゃいますか?
僕はもうすでに25カ国ほど行き、なんとなく感動がなくなってきたように感じています。
最近、このことが凄く悲しいことだなーって感じています。感性が錆びてきた、または磨耗してしまったのでは?と思う昨今です。ほんとあとは坊さんにでもなるのかなー?なんて思いはじめました。
三井さんもたくさんの国、たくさんの場所を見てきて、もういいー、知りすぎてしまったと感じたことはないですか?
それともまだまだ撮りたいもの、訪れたい国がありますか?


■ 三井の答え

 確かに長く旅を続けていると、好奇心の摩耗を感じることはあります。特に30もの国を回った最初の旅では、僕も「旅の日常化」という問題に直面しました。
 違う国に行き、違う風景を見て、違うものを食べても、もう既に経験したような既視感を覚える。最初の頃のように心が弾まない。それは、何ヶ月にも及ぶ長旅をしていると、誰しも経験することではないかと思います。

 摩耗してきた感覚を再びリフレッシュするためには、やはり旅から離れることが必要でしょう。そのうえで、自分の旅を客観的に見ること、「自分が生きるべき日常」と「旅」とを相対化することが必要です。
 僕は旅の経験を文章にして振り返り、写真集などの作品として発表することによって、そのような相対化をはかっています。写真にしても文章にしても、一度発表してしまうと、自分とはあまり関係のない領域に行ってしまうものなのです。そうすることで自分の中に溜まっている重い疲弊感が、ふっと軽くなる。そして、改めて旅に対する飢餓感が戻ってくるのです。

 あなたの場合には、その相対化が上手く行っていないのではないかという気がします。例えば友達に旅の経験を話すのもいいだろうし、ホームページやブログで発表するのもいいでしょう。あるいは他の人が書いた旅行記を読むのもいいかもしれない。
 旅の経験を自分だけのものにしないで、積極的に周囲とシェアする。そうすることで、摩耗した好奇心は再び活性化してくるはずです。

 僕の頭の中には、「これから行きたい国リスト」がずらりと並んでいます。再び訪れたいところもたくさんあるし、まだ訪れていない国の中にもいつかは行ってみたいところがたくさんあります。
 世界はとても広いし、とても美しい。
 そんな世界の中で、僕が知っていることはごくごくわずかです。だから「もう知りすぎてしまった」なんておこがましいことは、とても言えません。




■ 「病気になったらどうする?」

 旅の質問箱「長旅がつらくなるとき」では、「先のみえない不安」及び、「旅の終わり」をどうするのかという問題(最初の長旅時)についてご自身の体験を踏まえて分かり易く書いてあり、参考になりました。
 また、以前の質問箱(8:健康維持について)と称して、旅人の健康の重要性、特に暑い地域での冷房の使い方の注意事項について、記述されていましたが、旅先で病気になった時のことはなかったかとおもいます。

 さて、私の質問は、旅先での体調不良になった時の対応方法です。実は、8年前にインド旅行半ばで酷い下痢症状になってしまいました。始めは、軽い下痢、次に食べ物は受け付けなくなり、最後はベッドに横になるだけでした(持参した薬は効かず)。
 現地ガイドの世話で、現地(ベナレス)医師に滞在ホテルまで往診して貰い、注射と投薬の治療を受けました。それでも、下痢は思うように回復しなかったので、旅行途中で帰国しました(一時はこれでお終い?かと心細くなりました)。幸いに、大きな伝染病でなかったので、帰国後約1週間休養でやっと体力が元に戻りました。

 そこで、三井さんの長旅の経験者として、海外の旅先において、各種の病気や体調不良時の経験談や対策などを教えていただければ嬉しいです。
 これからも、良い旅と「素顔のアジア」を期待しています。


■ 三井の答え

 僕も下痢にはよくなります。新しい国に入ると、いつも三日間ぐらいは便がゆるい状態が続きます。僕の場合、下痢の症状はいたって軽いので、「新しい環境に慣れるための通過儀礼なのだ」と思っています。もし症状が長引くようだったら、現地の薬局で薬を買って飲みます。それでたいていは治ります。

 さて、旅の健康管理についてですが、これは一ヶ月を超える長旅をする人と、二週間程度の短期旅行をする人とでは全く違うというのが僕の意見です。
 長くアジアを旅している人間には、不衛生な状態に対する免疫が自然とできてくるものなのです。だから滅多なことでは体調を崩さなくなる。僕はバングラデシュやインドなんかでも、食堂で出される水道水をわりと平気で飲んでしまいます。現地の人が大丈夫なんだったらいいだろう、という感じで。
 もちろんこれは万人にお勧めできる態度ではありません。どのガイドブックを開いても、「絶対に、絶対に、生水は飲むな!」と書いてあります。そしてそれは正しい。インドでもベトナムでもカンボジアでもインドネシアでも、ボトル入りの水を携帯することが必須なのです。
 しかしいくら水や食べ物に気を使っても、100%防ぐというのは不可能です。食器が不衛生な水で洗われているかもしれないし、生ものに火が通っていないかもしれない。結局、不衛生な国を旅する限りは、感染症の危険はなくなりません。それはロシアンルーレットのように、運が悪ければ「当たる」ものなのです。

 結論としては、「長く旅をすれば免疫ができる」が、「短期旅行だと運に任せるしかない」ということです。全くアドバイスになっていなくて申し訳ありませんが、それが現実です。
 体調を崩したらすみやかに現地の病院に行きましょう。信頼できる大きな病院で、英語か日本語が通じる医者に診てもらいましょう。
 でもこんなことは、ガイドブックに書いてありますね。



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