■ 旅の質問箱「孤独に耐える方法」
三井さんの写真はもともと亡くなった母が大好きだったのですが、私自身も、写真の美しさや瑞々しさに感動し、同世代にこんなすごい人がいるんだ〜とびっくりして以来、親子二代のファンです。
私の質問は、「長旅の間に孤独感に襲われませんか、またそんな時はどう乗り越えていますか?」です。
自分の話で恐縮ですが、昨年の年末にベトナムへ初一人旅をしまして、一週間ばかりの慌ただしい日程だったのですが、そんな短い間でも、一人でいることを孤独に感じることがありました。 そんなにも腑甲斐ないくせに、いつか世界一周してみたいと考えており、長旅エキスパートの三井さんは、帰りたくなったりしないのかな、寂しい時にどう対処しているのかな、と気になり、質問させていただきました。
■ 三井の答え
長旅をしているあいだに孤独感に襲われることはあるか? もちろんあります。特に2001年に行った最初の旅では、繰り返し襲ってくる孤独感に耐えるのが大変でした。若かったし、孤独にも慣れていなかった。今みたいにネットカフェでPCを繋いで、頻繁に日本の情報にアクセスできる環境も整ってはいませんでした。 今回の旅でも、やはり孤独を感じることはあります。しょっちゅうではないけれど、ときどき。そういえばずーっと長いこと日本語を話していないなぁ、とふと思ったときなんかに。実際、もう2ヶ月近く日本語を話していないんですよね。忘れちゃうんじゃないかなぁ、と心配になったりもする。
でも、旅先で孤独感に襲われたり、一人でいることの心細さをひしひしと感じたりするのは、決して悪いことばかりではないと僕は思っています。もっと言えば、「孤独を味わうことこそが、一人旅の醍醐味ではないか」と思うのです。
あなたは初めて訪れる異国の街に、一人佇んでいます。「ほら、ここだよ」と車掌に言われて、どこかのバスターミナルに下ろされたのです。ここがどこなのかよくわからないし、道をたずねようにも言葉が通じないし、もちろん今日の宿も決まっていない。道にはものすごい勢いで突進してくる車やバイクで溢れていて、道路を横断するのもままならない。夜は深まっていて、背中に背負ったバックパックがずしりと重たく感じます。
そんなとき、「これから私はどうなってしまうんだろう?」という不安が襲ってきます。自分はここでは完全によそ者で、まったくの無防備なのだと感じます。こんなとき恋人や仲間がいたらどんなに心強いだろう。あなたはそう思うでしょう。でも頼るべき人はどこにもいません。だから重い荷物を背負って、たった一人で歩き出さなければいけない。
でも、一歩を踏み出してみると、孤独感が徐々に薄らいでいくのがわかります。食堂から漂う匂いに誘われて入ってみると、親切なおばちゃんが得体の知れない、でもやたらと美味しい料理を出してくれる。安宿は予想以上に汚いけれど、フロントの男はフレンドリーで「日本人は友達だ」などと言ってくれる。そうやって少しずつ自分の体が見知らぬ街に馴染んでいく。
こういうプロセスこそが一人旅の面白さではないかと思うのです。一人旅というのは今まで自分が慣れ親しんでいた「関係性」をぶった切って、一人の裸の人間として未知の環境に向かい合うことを強制するのです。 暫定的であっても、そこにあるのは本物の孤独です。それは日本では滅多に味わうことのできないものであり、だからこそとても貴重なものだと思うのです。
実際のところ、人はみんな孤独です。でもその事実に真正面から向き合うのは辛いことだし、できれば避けたいと思うのが普通です。だから少しでも誰かと繋がっているという感覚を持てる携帯電話やブログやSNSが流行るのです。
でも、いつも満腹だと食べ物がおいしく感じられないように、いつも何となく誰かと繋がっていると、自分にとって本当に必要な絆というものが見えなくなってしまいます。だからあえて孤独に向き合ってみること、自分をコミュニケーションの空腹状態に置いてみるってことが、ときには必要なんじゃないかと思うのです。
孤独を恐れることなく、それに耐えながら進んでいると、いつかきっと「自分は孤独だけど、それは決して寂しいことではないんだ」という確信にたどり着きます。旅先でのひとつひとつの出会いが実はかけがえのないものであるとわかります。「一期一会」の本当の意味を知ることができます。
孤独から逃げるのではなく、真正面から向き合う。そんなことを強く要求するのは、現代では一人旅ぐらいなのかもしれません。だから旅先では思いきり孤独を味わってみてはどうかというのが、僕からのアドバイスです。
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