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■ 写真と感性


三井さんが最初の旅で愛用していたEOS-D30。僕はそれよりも性能の良いカメラを使用しているにも関わらず、三井さんみたいな素晴らしい写真が撮れません。悔しいです。
最近までは、センサーがフルサイズじゃないからだ、購入したカメラの選択ミスだった、とまで考えていました。三井さんのブログを拝読して反省した次第です。。。
やはり写真は感性や才能であり、下手な人はなかなか上達しないものなのでしょうか。
僕が使用しているカメラは、NIKONのD3100という機種です。


■ 三井の答え

 写真はカメラという機械を使って記録するものだから、カメラの性能差は作品の出来を大きく左右します。これは誰にも否定できません。同じ状況で同じものを撮った場合、カメラの性能が高い方が質の高い作品になります。

 これはゴルファーにとってのクラブ、テニス選手にとってのラケットみたいなもの。アスリートにとって良い道具を手に入れることは、良い成績を残すための必要条件です。でも、それだけで勝てる訳ではない。そうですよね?

 性能の良いカメラを手に入れることは、良い作品を撮るための第一歩です。予算が許す範囲で、出来るだけ良いカメラを手に入れてください。

 しかし、なにがなんでもフラグシップ機を買わなければいけないかというと、全然そんなことはありません。この10年のあいだ、デジタルカメラの性能はすさまじい勢いで向上し、全体の底上げがなされたので、最新機種同士の性能差はずいぶん縮まっています。「誰が撮ってもそれなりにきれいな写真が撮れる時代になった」と言ってもいいでしょう。だからまぁ、カメラ選びはかつてほど重要なファクターではなくなりつつあるのです。

 2001年と今とでは、デジカメを取り巻く環境はまったく違います。2001年当時30万円もしたカメラ(D30がそうでした)と、いま5万円で売られているカメラとを比較したら、全然勝負になりません。今のカメラの圧勝です。それはもう悲しくなるほどに。

 さて、それを踏まえた上で「写真にとってもっとも大切なのは感性か?」というご質問についてです。
 答えはイエスでもあり、ノーでもあります。
 写真にとって「感性」はもちろん大切です。でも「自分は感性がないからダメだ」と落胆する必要はありません。

 「感性」というと、ひと握りの才能あふれる者だけが持つことを許された神秘的な資質のように感じてしまいがちですが、決してそのようなものではありません。誰もが当たり前に持っている(けれど見過ごされがちな)ものなのです。

 写真における「感性」とは、自分が好奇心を向ける対象の「偏り」です。何が美しくて、何が醜いのかを判断する基準となるものです。

 「人はあれがきれいだと言うけれど、私にはどうしてもこっちの方が気になる」ということは誰にでもありますよね。その「気になるもの」を撮ればいいのです。「みんながきれいだと言うから撮ろう」ではダメです。誰かから押しつけられた基準ではなく、自分の心の声に従ってシャッターを切ることが何よりも大切です。

 自分の写真を向上させるには、ふだん無意識のうちに使っている「美の基準」を意識の元に引っぱり出して鋭く磨いていくことが必要なのです。

 先だって、2001年に撮った写真を振り返って、「とても下手だった。何も考えていなかった」と書きました。あれは謙遜でも何でもなく、実際にそうだったのです。ほんとに何も考えていなかった。自分が「美しい」と感じるものにだけカメラを向けていました。どのように心に響いたのか言葉では説明出来ないけど、とにかく「いい」と感じたらすぐにシャッターを切っていた。ブルース・リーの名言「Don't think. Feel」のように。

 あのとき僕は仕事を辞めたばかりの26歳の若者で、海外旅行の経験も全くなく、英語だってろくに話せない状態で、言葉も通じない人々とたどたどしくコミュニケーションをとりながら、一歩ずつ前に進んでいました。10ヶ月に及んだ旅のあいだずっと心にあったのは、「この広い世界にたった一人で放り出された」という孤独感と、「カメラは自分の意思を人に伝える道具になる」という確かな手応えでした。

 あの写真に、稚拙ではあるけれど心に訴えかけるものがあるのだとしたら、それはきっと「今の自分にしか撮れないんだ」という切実な思いが込められていたからなのでしょう。

 「誰がなんと言おうと、自分がこの被写体を撮るんだ」という前のめりの姿勢が、「感性」の本質なのだと僕は思います。そしてそれは、あなたの中にもあるはずです。

 いま写真が上手く撮れないことは、あまり気にしなくていいのです。実際、僕も下手だったから。
 必死になって学べば、写真の腕は必ず上がります。写真術の本を読むのもいいし、写真教室に行くのも悪くないです。人の作品から構図や光の効果を学ぶことも重要だし、何よりもどんどん撮影して経験を積めば、失敗写真は確実に減ります。

 でも、それだけでは十分ではありません。たとえ写真が上手く撮れるようになっても、その写真が人の心に訴えかける力を持つわけではありません。

 壁を乗り越えるためには「情熱」が必要です。自分が心の底から求めているもの、本当に撮りたいものが何なのかを掴んで、それに向かって進まなければいけません。

 僕はこの12年そうやって写真を撮ってきたし、これからもそうしていくつもりです。




■ 旅の質問箱「講演会で心がけること」


僕は約8カ月の旅を終えて、先日帰国しました。
近い内に報告会のようなことをしようと思っています。
そこで質問があります。
三井さんが、旅の報告会や人前で話される際に気をつけていることや、心がけていることはありますか?
もしありましたら、教えてもらいたいです。


■ 三井の答え

 僕は講演会などで「上手く話そう」と思ったことはありません。どうせアナウンサーやお笑い芸人のように淀みなく話せるわけないんだから。背伸びしないで、自分がすでに身につけている言葉だけで、使い慣れた道具だけを使って話すように心がけています。昔から知っている友達に心を込めて話す。基本的にはそれと変わりません。

 つっかえても間違えてもいいから、とにかく「自分の言葉」で話すこと。そうすれば必ず相手に伝わります。それとは反対に、どこかから借りてきた言葉や、ステレオタイプな感想を口にしたら、どんなに上手に話せたとしても、聞いている人の心をつかむことはできません。大切なのは「自分が大好きなことを人前で話せる。それを聞いてもらえる」という喜びを素直にかみしめること。誰よりもまず自分が楽しんで話すことだと思います。

 あなたは8ヶ月の旅をした。決して短い時間ではありません。きっと普段の何倍も密度の濃い8ヶ月だったでしょう。イヤな経験もしただろうし、心躍るような光景もたくさん目にしたことでしょう。傷ついたり、喜んだり、落胆したり、ときめいたりもしたはずです。

 その経験の中で、何かがあなたの中で変わったはずです。そして旅を終えてもなお、変わらなかった部分もあるはずです。

 旅がどのように自分を変えたのか、または変えなかったのか。そこにフォーカスして話を進めていけば、あなただけの「物語」が自然と立ち上がってきます。一人の旅人の目を通した世界が、生き生きと動き出してきます。それが「自分の言葉」で話すということです。

 もちろん準備は入念にやらなくちゃいけません。あらかじめ時間をかけて言葉を選んでおけば、それがあなたの「持ち駒」となって必ず役に立ってくれるはずです。




■ 旅の質問箱「写真データーの保存方法3」


初めまして。
5、6年前にホームページ「たびそら」で「アジアの瞳」の表紙になっている少女の写真を見て以来、子供の笑顔や現地の様子について興味を惹かれ、たびたび写真を拝見しています。
恥ずかしながら、私も三井さんのような仕事に憧れたこともありました。しかし、道半ばで方向が逸れてしまい、30歳になった現在も不安定な状況のまま過ごしています。ですが、ジタバタしながらも何とか生活していけるようにしている努力している最中です。こうなったのも自由を求めた結果の責任ですから。
20代の頃、いろいろ悩みましたが結局は自分なりに納得して生活していくしか人生は成り立たないのだと考え始めています。どんな状況にも不満や不安はつきものでそれと折り合って生きていくしかないのだと思います。「自由と自立」に関する質問で三井さんが回答していた内容が妙に納得できました。自由には責任が伴うということでした。まさしくその通りだと思います。
こういう経緯もあり、三井さんの仕事に関しては、陰ながら応援しています。

少し横道に逸れてしまいました。さて、本題ですが、「写真データの保存方法」について質問があります。以前にも2回ほど質問があるようですが、またかと思わずにアドバイスをいただければと思います。
私の場合は、外付けHDDとDVD(CD)にデータを保存していますが、最近、保存期間について気になり始めました。フィルムの場合はおそらく半永久的に、保存、焼き増しすることができると思います。しかしながら、DVDなどデジタルデータの場合は、10年後、20年後も保存できるのかという疑問が湧いてきたので、どのように保存しているか教えていただきたいと思い、連絡しました。
これまでの話にもあるように、パソコン上での保存のほか、DVD(あるいはCD)にデータのバックアップをしているとのことですが、既にDVD(あるいはCD)に焼いたデータを数年後に再度新しいDVDなどに保存し直したりはしていますか?また、長期間保管する方法をご存知でしたら教えて下さい。
技術はアナログからデジタルになりましたが、保存性についてはアナログの方が良いだろうと思います。


■ 三井の答え

 先日、とある脳科学者の本を読んでいたときに、こんな言葉に出会いました。
「不安こそが脳にとっての栄養源なのです」
 未来への不安があってこそ、はじめて人は未来を計画するモチベーションを得られる。未来を計画するから「うまく行かなかったらどうしよう」という不安も生まれる。つまり「悩みがない人」は未来を計画する必要もなく、脳を目一杯使う必要もないから、記憶力も低下する。
 なるほど、と思いました。悩んだ末に行動しない「堂々巡り」もダメだけど、悩みや不安がまったくない人生というのは確かにつまらない。自分がこの先どうなるかわからないという不安を抱えながら、自身の最大限のパフォーマンスを引き出そうとあがくときに人は成長する、ということなのでしょう。

 振り返ってみれば、僕の人生も悩みと不安だらけでした。そしてその状態は今でも変わっていません。一応写真家として生きているものの、いまだに「道半ば」であるし、その道がいつふっと消えてしまうかもわからない。山あり谷あり、森あり砂漠あり、です。
 でも間違いなく面白い人生です。それだけは断言できます。誰かに「変わって欲しい」と言われても「イヤだよ」と答えるでしょう。さほど性能は良くないけれど、僕は自分の人生という乗り物をハンドルすることを楽しんでいます。

 あなたが今何を目指しているのかはわかりませんが、「まだ」30歳なのだから、いろいろと試行錯誤されるのもいいのではないですか。予想もしなかったことが実は自分に向いていた、と気付くことがあるかもしれませんし。
 健闘を祈ります。

 さて、僕の回答もかなり横道にそれてしまいました。本題の「写真データーのバックアップ」についてです。
「デジタルデータの場合は、10年後、20年後も保存できるのかという疑問が湧いてきた」
 とのことですが、これは至極まっとうな疑問です。そしてその疑問に完全な答えを出せる人は存在しないはずです。というのも、DVDや大容量ハードディスクが製品化されてからまだそれほど時間が経っていないので、実証的なデーターを誰も手にしていないのです。

 今のDVDが20年後も読み取れるのか。それはわかりません。読み取れるかもしれないし、読み取れないかもしれない。
 しかしだからといって「大切な写真は印刷して(アナログデーターとして)保存しておく方がいい」という意見には与しません。というかナンセンスだと思います。デジタルはデジタルとして保存するのが一番。劣化もしないし、紛失や消失の危険も最も少ないと考えています。もちろん適切な保存方法をとれば、ということですが。

 ここでこの10年間、僕がデジタル写真データーをどうやって保存してきたのかを振り返ってみましょう。
 2001年の旅ではCD-Rに保存していました。当時は写真データーも少なかったから、10ヶ月の長旅で撮った写真がCD-R数枚に収まってしまいました。
 その後2004年まではCD-Rに、その後はDVD-Rに保存していました。容量は約7倍になりましたが、写真一枚のデーター量も増えたので、かなりの枚数を焼かなければいけませんでした。確か一回の旅で50枚以上のDVDを焼いていたはずです。量も膨大だし、手間もかかりました。

 2009年からは外付けHDDに保存する方法に切り替えました。250GBとか500GBとかの大容量ポータブルHDDが安価で買えるようになったからです。これは画期的でした。いちいちディスクに「焼く」必要がないので時間の節約にもなるし、ミスも少なくなりました。

 現在では、3TBという大容量HDDが1万円あまりで買えます。3テラですよ。これ一台で僕が10年の間に撮った写真データーがすべて入ります。たった1万円で、これまで撮ったすべての写真の完全なバックアップが取れる、ということです。そういうハッピーな時代が来たということです。

 そして肝心なのは、HDDなどのIT技術には「ムーアの法則」があるということです。これは簡単に言えば「ハードディスクの容量が1年半後には2倍になる」という経験則で、つまり10年後には今の100倍程度の容量になっていることが予想されるわけです。300TBですよ。すごいですねぇ。
 記録メディアの容量はこれまでも指数関数的に増えてきたし、おそらく今後しばらくはこのペースで増え続けることでしょう。もちろん、単位容量あたりの値段もおそろしく安くなるに違いありません。

 つまり僕が言いたいのはこういうことです。
「大容量データーを保管するコストは、今でも限りなくタダみたいなものだけど、今後はもっともっと安くなる。だから全然心配いらないよ」
 データーの消失をご心配なら、3台のHDDにまったく同じデーターを記録しておけばいいのです(別に4台でも5台でも構いませんが)。そして数年後に、また別のHDD(あるいはもっと効率の良い記録メディア)に保存し直せばいい。それでOKです。一度に3台すべてが消えてしまう可能性は限りなくゼロに近づくでしょう。
 クラウドサービスを使ってネット上にバックアップを置くという方法もありますが、今のところコストパフォーマンスも使い勝手もよくありません。

 CDやDVDやHDDなどの記録メディアは基本的に「賞味期限が数年」だと考えましょう。そしてその都度、最新の大容量メディアにそっくりそのままコピーするのです。たいした作業ではありません。少なくとも何千枚もの紙焼きを作ることの数百分の一の作業量でしょう。こうすれば「CD-Rが20年後も読み取れるかどうか」という答えのわからない問いに悩まされる必要はなくなります。
 デジタルデーターの最大の利点は完全なコピーが簡単に取れること。一度作ったデーターを同じメディアのままで後生大事に取っておくというのは、デジタル時代にはナンセンスなのです。

 HDDを「物理的に」別の場所に置いておく、というのも大切な配慮です。ひとつはPCの中に、もうひとつは家の押し入れに。もうひとつは実家に預けておく。これなら万が一地震、火災、盗難に遭っても大丈夫です。

 大切なのは「常に更新すること」と「分散保存すること」です。
 この二点を意識してバックアップを行えば、デジタル保存はアナログ保存よりもはるかに堅牢な保存方法になります。




■ 旅の質問箱「観光地ではない場所へ行くには」


はじめまして、三井様
私は中度の聴覚障害者で言語障害です。英語は聞き取れませんので会得は難しいのが現状です。ですので、海外旅行に行くときはツアーばかりです。
三井様のHPを見て自分も観光地から離れた場所や村等を訪れ、この国の伝統や昔ながらの生活をこの目で見てみたり、子供達とお話しをしてみたいと思っています。
そこで一人旅で行ってみようと思っていますが、英語は喋れませんのでどうしょうかと悩んでいます。
それから、その国の観光地から離れた村にいく場合、移動手段はどうしているのでしょうか?


■ 三井の答え

 英会話については、あまりお悩みになる必要はないと思います。
 アジアの田舎では、英語が話せたとしても、英語を使うチャンス自体が少ないのです。一応、共通語として英語が浸透しているとされるインド圏でも、高い教育を受けた人以外は現地の言葉しか話せません。
 そんなわけで多くの場合、地元の人とのコミュニケーションは身振り手振りなどのボディーランゲージに頼ることになります。
 それで意思疎通できるのか?
 案外通じちゃうものなのですね、これが。
 こっちが必死で何かを伝えようとすれば、その必死さは相手にも伝わります。少なくとも「この外国人は困っているんだな」ぐらいは伝わる。

 以前、カルカッタの安宿で耳が聞こえないボーイと「会話」したことがありました。水をお湯に替える電熱器の使い方を身振り手振りだけで教えてもらったんだけど、その説明がものすごくわかりやすかった。下手な英語を話す人よりもずっと伝わるものだったのです。
 いつも言葉に頼って暮らしている人間は、それがまるで通じない相手に直面するとうろたえ、慌ててしまうものです。けれど、もともと「言葉が通じない」ことを前提に暮らしている聴覚障害者は、身振り手振りを使うことに慣れていて、その適切な使い方もよく知っているので、健常者よりも「言葉の壁」を乗り越えやすいのかもしれない。そんな風にも感じました。

 観光地ではない場所にどうやって行けばいいのか。
 僕は主にバイクを使っています。バイクは現地で調達します。これなら地図さえあれば(なくても)、どこへでも行けます。
 しかしバイクは一人旅の初心者にはお勧めできません。アジアの交通事情は、それに慣れていない人間にとってあまりにも危険だし、聴覚障害者であればなおさらでしょう。

 自転車はいかがでしょうか?
 アジアの観光地にはたいていレンタル自転車屋があります。1日1ドル程度で安いママチャリを貸してくれるわけです。自転車ならスピードもあまり出ないし、周りの景色をじっくり眺めることもできるし、徒歩の何倍も行動範囲が広がります。

 観光地で自転車を借りて、寺院や遺跡とは「反対の」方向へこぎ出してみてください。30分も走れば、外国人観光客向けではない、ありのままの暮らしが目に飛び込んでくるはずです。どんどん進みましょう。

 目的を定めないこと。時間に余裕を持って行動すること。
 それが一人旅の秘訣です。





■ 旅の質問箱「幸せってなんだろう?」


私は現在29歳、メーカーにてエンジニアとして設計業務をしております。
本日、たまたま書店にて三井氏の写真集を手にとりました。
失礼な話、写真よりもプロフィールが気になって仕方ありませんでした。
帰ってからHPを見させていただきました。

私は、ここ一年くらい「幸せ」についてずっと考えっぱなし。
「日々何か達成感を得ること?」
「お金を持つこと?」
「家庭をもつこと?」
人それぞれあると思いますが、私はどれも当てはまりません。
『やりたいことやる』
具体的ではないですが、私の結論はこれに尽きます。
ただ、人間一人で生きていればこれでいいのでしょう。
親の立場になっていろいろ考えると、簡単に決断できなのが現状です。
三井氏はその部分はどのように解決されましたか?

もちろん状況は違いますが、写真で自分を表現したいという共通項。
何か糸口が見つかればと。
よろしくお願い致します。


■ 三井の答え

 「写真よりもプロフィールの方が気になった」なんてと言われると、なんだかちょっと複雑ですが(ぜひ写真の方もじっくりご覧くださいね)、あなたの気持ちはとてもよくわかります。僕もメーカーのエンジニアとして働いていたことがあったし、20代前半を通じてあなたと同じようなことを悩み続けていたからです。

 幸せとは何なのか?
 人生の目的とは何なのか?
 こういう根源的な問いを自らに投じることは若者の特権だと思うし、そういう悩みを一度も持ったことのない人はいないと思うのですが、あまり深く悩みすぎるのは考えものです。
 というのも、こういう根本的な悩みには簡単に答えが出ないからです。そして簡単に答えが出ないようなことを悩んでいる人の「足」は、確実に止まっています。主観的には様々な角度から知恵を絞って悩み抜いているつもりなのですが、他人から見ると同じところをぐるぐると回っているだけにしか見えない。そういう状態に陥りがちです。

 僕もそうでした。大学を卒業して、メーカーに就職して、サラリーマンとして働いたけれど、ずっと「何かが違う」と感じていた。これが本当に自分のやるべき仕事なのか、進むべき道なのか、という疑問がいつも頭を離れなかった。
 就職してしばらくすると、エンジニアという仕事が自分に向いていないと気付きました。与えられた仕事をそつなくこなすことはできるかもしれないけど、どう考えてもグローバルな競争を勝ち抜く最新鋭の機械を開発するような力量はない。それは努力でどうにかなるものではなく、適性の問題でした。
 かといって「じゃあ本当にやりたいことは何なのか」と自問してみたところで、芳しい答えは返ってこなかった。自分の周りに深い霧が立ちこめていて、まったく見通しがきかない。手を伸ばして何かを掴もうとするんだけど、指先に触れるものは何もない。やり場のないもどかしさだけが募っていく。そんなとき、僕はよく会社の屋上にのぼって、工業団地の煙突から立ち上る煙を眺めていました。あまり明るくはない時代でした。

 すでに何度も書いていますが、そのあと長い旅に出たことが、僕を囲んでいた深い霧を晴らしてくれました。今まで経験したことのない濃密でタフで愉快な日々を無我夢中で生きて、いろんな風景や出来事をくぐり抜けて日本に帰ってきたときに、たまたま手の内に握りしめていたのが「写真」という表現方法だったのです。

 旅をはじめた2001年の段階で、もちろん僕にプロの写真家になれるような力量はなかったし、写真を仕事に結びつけるためのコネクションやノウハウも持っていなかった。写真家になれたのは結果オーライでした。幸運だったのでしょう。タイミングがよかっただけなのかもしれません。

 ただひとつだけ僕が胸を張って言えるのは、この10年のあいだ常に全力で旅をしてきたということです。足を止めずに動き続けてきた。いまある自分の限界の少し先に行こうと努力してきた。それができたのは、旅が好きで、アジアの辺鄙な場所が好きで、そこで生きる人の写真を撮ることが好きだったからです。心の底から好きだったからです。

 いま僕が自分に問うているのは、次のようなシンプルな(そしてありきたりな)言葉です。
「心から『今』を楽しんでいるか?」
「自分がなすべきことをしているか?」
「全力を出しているか?」

 これらの問いにおおむね「イエス」と答えられる人は、幸せなんだと思います。
 「幸せ」というのは、それだけを取り出してありありと実感できるようなものではなくて、「自分がなすべきことを、全力で、楽しみながらやっている人」が、疾走する自分と後ろへ後ろへと流れていく風景のあいだに、ふと垣間見るものではないかと思うのです。

 そしてその定義から言えば、「幸せ」になるのはさほど難しいことではありません。エンジニアにだって、公務員にだって、パン屋にだって、宅配便の配達人にだって、ブティックの店員にだって、寿司職人にだって、農家にだって、子育て中の母親にだって、きっと幸せを感じる瞬間が訪れるはずです。
 Are you happy?



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