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 ムルガン信徒たちが自らの体を痛めつける過激な儀式を行った翌日は、南インドの収穫祭「ポンガル」初日だった。
 ポンガルは日本人にとってのお正月とよく似ていて、その期間中は学校や役所も休みになり、都会に出ている人も田舎に帰省して家族と一緒に祝う大切な行事なのだが、その朝は意外なほど静かに明けた。爆竹もロケット花火もお神輿もなし。前日の盛り上がりとは対照的だった。

ポンガル初日には子供たちにサトウキビが配られる

ポンガルの朝。家の前で甘いおかゆを炊く
 ただひとついつもと様子が違っていたのは、女たちが家の前に即席のかまどを作って、そこでお米を炊いていることだった。ミルクとサトウキビで甘く炊いたご飯。それを南インドではポンガルと呼び、それがお祭りの名前にもなっているのだ。日本で言えばお正月のお雑煮みたいなものである。僕もご馳走になったが、ミルクの他にココナッツやカルダモンなども入っていて、なかなか美味しかった。

 出来上がったポンガルは、家族で食べる前に、まず家の屋根の上に放り投げられる。カラスにやるためだそうだ。ヒンドゥー教ではカラスは神の使いなのだという。
「日本にもカラスはいるのか」と聞かれたので、
「たくさんいるが、嫌われている」と答えると、ちょっと残念そうな顔をされた。

ポンガルを屋根の上に投げる

 ポンガル二日目は「牛のためのポンガル」と呼ばれている。インドの農村ではミルク用として、あるいは畑仕事のための労働力としてたくさんの牛を飼っているのだが、この日は牛たちに感謝し、日頃の労をねぎらうのだという。

 まず、牛たちの角や体にペンキを使って彩色を施していく。牛の角を赤と白の縞模様に塗る人。ペンキに浸した手の平を牛の体にペタペタと押しつける人。コップを使って丸い輪の模様を描く人。人々は思い思いの方法で、自分の牛をデコレーションしていく。




 牛の飾り付けが終わると、例の甘いご飯・ポンガルが牛たちに振る舞われる。炊きたてのポンガルを牛に与えるのは、村の長老の役割である。長老は左手にポンガルの入った器を持ち、右手でポンガルをすくって、直接牛の口に入れていく。「美味しいポンガルをたくさん食べて、明日からも頑張って働いてくださいね」という意味のパフォーマンスなのだが、実際には牛たちはポンガルに何の興味を示していない。もともと牛というのは草や雑穀などを食べて暮らしているわけで、一年に一度だけ甘く味付けたご飯を食べろと言われても、「そんなのヤだよー」というリアクションにしかならないのである。人が美味しいと感じるものを、牛が好むとは限らないのだ。

牛用のポンガルを炊く。鍋がぐつぐつと沸騰を始めると、女たちはネイティブ・アメリカンような雄叫びを上げた。

嫌がる牛の口にポンガルをねじ込む
 しかしポンガルを嫌がる牛に対して、長老は容赦しなかった。飼い主の男が両手で牛の口を無理矢理に開かせ、そのわずかな隙間を狙って長老はポンガルを押し込もうとする。
 インドでは「ヒンドゥー教では牛は神様の使いなので、牛を殺すのも食べるのもタブーだし、牛は大切に飼われている」という話をよく聞く。確かにヒンドゥー教徒は牛肉を食べないが、だからといって「大切に飼われている」というのは眉唾だと思う。

 この「牛のためのポンガル」がまさにそうである。牛が「今日は特別な日だから、角にペンキを塗られて嬉しいな」と感じているとは思えないし、慣れない食べ物を無理矢理口に入れられるのだって腹立たしいだけではないか。牛の立場に立てば、ポンガルなんてただの有り難迷惑な一日なのではないだろうか。

 そんな僕の見方を裏付けるように、突然一頭の若い雄牛が暴れ出した。その雄牛はポンガルを口に入れられるのがよほど嫌だったらしく、激しく頭を振って飼い主の手綱をふりほどくと、間近で写真を撮っていた僕の右足に重い頭突きを一発食らわしてから、猛然と草原の方へ走り去ったのだった。これには周囲の村人たちも呆気にとられていた。

 幸いなことに、僕の右足は軽い打撲で済んだ。もし尖った牛の角をぐさりと突き立てられていたら、大怪我を負っていたに違いない。間一髪であった。

 僕は部外者なんだよ。嫌いなものを無理に食べさせられているあんたに、ちょっと同情していたぐらいなんだ。
 僕は雄牛にそう訴えたかったが、頭に血が上った彼にその声が届くはずもなかった。


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