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  たびそら > 旅行記 > ネパール編


 現地で安いバイクを借り、それに乗って町から町へ自由気ままに移動する。それが僕のいつもの旅のスタイルなのだが、ネパールではまったく違う日々を過ごすことになった。町から遠く離れた山村を訪れるためには、バイクや自動車が入れないような細い山道を進まねばならず、重い荷物を背負って村から村へ徒歩で移動することになったのだ。

 道中は英語か日本語が話せるガイドを伴っていた。山村にはツーリスト向けの宿など全くないし、それどころか地元の人が利用できる宿さえほとんどない。そんなわけで宿泊は「田舎に泊まろう」式に普通の農家のお世話になったのだが、その交渉のために現地の事情をよく知るガイドがどうしても必要だったのである。

 泊めてもらうのは取りたてて裕福なわけではない農家だから、快適さを期待することはできなかった。ざらっとした土間の上に置かれた小さな木のベッド(ネパール人の平均身長に合わせて作られているので、かなり窮屈だ)に横になって、汚れた毛布を被って眠る。トイレを持たない家も多く、その場合は適当な茂みの中で用を足すことになる。

とある農家の部屋。これでもかなりマシな方である。

 狭い穀物倉庫に薄っぺらいムシロを一枚敷いて、その上に眠ることもあった。すきま風も容赦なく吹き込んでくるうえに、ムシロの保温性なんてあってないようなものだから、夜中になると寒さが体に堪えた。天井の梁の上をネズミが走り回ったり、階下の家畜小屋から水牛のいびき(?)が聞こえてきたりと、かなりひどい寝床ではあった。

薄暗い部屋にムシロ一枚。貧しい農家はこういうところで寝ている。

 とはいえ僕らが家主から嫌がらせを受けていたわけではない。特別な歓待は受けなかったけれども、少なくとも家族と同等に扱ってはもらっていた。この家の住人もやはり同じように土間に敷いたムシロの上で寝ていたのだから。ここには木のベッドや綿布団を買う余裕がなかったのだ。

 まださほど暑くない時期だから蚊に悩まされることは少なかったが、ハエは実に多かった。ネパールの農家は水牛や山羊や鶏などをたくさん飼っているのだが、その家畜たちがまき散らす糞がハエたちにとって絶好のご馳走となるのである。雨季の直前の4月は特にハエの多いシーズンらしく、家のまわりにはいつもハエがぶんぶんと飛び回っている状態だった。

 チクッと刺すわけでも血を吸うわけでもないので、害がないといえばそうなのだが、大量のハエにたかられるというのは決して気分のいいものではない。特に長い距離を歩いて疲れているときには、あのうるさい(そういえば「うるさい」って漢字では「五月蠅い」って書くんですね)羽音にイライラさせられることが多かった。

 大量のハエは村人にとっても迷惑なものらしく、ハエよけ対策をしている家もあった。よく見かけたのは透明なビニール袋に水を入れたもので、これを天井にぶら下げるだけでハエが寄ってこなくなるという。猫よけのペットボトルのようなものだろうか。

これが「ハエよけ」の秘密兵器である。

 ハエには何か動くものが視界に入るとすぐに逃げるという習性があるらしい。水入りのビニール袋に反射する光のきらめきが、ハエには「得体の知れない脅威」に感じられて、そのまわりに近づかなくなるのだそうだ。

 理屈を聞けばなるほどと思うのだが、実際どれほど効果があるのかは疑問だった。確かに水袋の近くにはハエは寄りつかないのだが、そこから1メートルも離れてしまうと他と同じように大量のハエが飛び回っているのである。やはり小手先の対策ではどうにもならないのだろう。

 シンガン村の農家では、高校生の息子が使っている「個室」を使わせてもらった。個室といっても、軒下のスペースをベニヤ板で仕切っただけのかなりいい加減な代物で、足を折り曲げないと横になれないほど狭く、昼間でも真っ暗なので、どちらかと言えば「座敷牢」に近い部屋だったが、それでもプライバシーがほとんどないネパールの山村において、個室が作り出す「パーソナルスペース」はとてもありがたかった。ここにいる限り、誰かから好奇の目で見られることもなく、心の底からくつろぐことができたからだ。

とても狭い「個室」。足を伸ばすこともできない。

「個室」は軒下に増築されている。座敷牢のように見えなくもない。

 個室の壁は、様々な所からかき集めてきたらしいポスターで埋め尽くされていた。ミニスカート姿のインド人女優や、なぜか太い丸太を持ち上げて笑っているインド人俳優、パリのエッフェル塔やスイスアルプスの風景、元ネパール王家(今はすでに実権を失った)の家族写真などである。かつてのブラジル代表のエース・リバウドの写真もあった。いったい何年前の試合なのかわからないが、背番号10をつけたリバウドは大柄な体を生かしてゴール前でドリブル突破を試みていた。

 壁に貼られたポスターはまったく統一感がなく、センスがいいわけでもないのだが、見飽きないことだけは確かだった。ラジオがほぼ唯一の情報メディアである農村では、外国の風景や人物が写ったポスターでさえも貴重な娯楽なのかもしれないなぁと思ったりした。

農家の壁を彩る雑多なポスター



 ネパールの山村を旅していると、自分がここではまるで役立たずの存在なのだと思い知らされることになる。足腰のバランスが悪いために山道ではしょっちゅう足を滑らすし、重い荷物を背負って長い距離を歩くと筋肉が悲鳴を上げる。村の男たちのように丸太から家具を作り出せるわけでもないし、右手だけでご飯を食べることだって上手くできない。トイレがないとやはり不便を感じるし、何日も水が浴びられないとイライラしてくる。

棚田が広がる山間の村々を歩いた。

 しかしそのような無力感を感じるのは、必ずしも悪いことではない。自分がちっぽけな存在にすぎないのだと知ることは、この広い世界のことをもっと知りたいという気持ちに繋がるからだ。自分の力が及ばない世界がある。それはなんて素晴らしいことなんだろう。

 僕らは生まれた頃から何不自由なく暮らしてきた。少なくとも物質的に飢えることはなかった。とても恵まれた世代だと思う。何もかもが手を伸ばすだけで受け取れる。自分の足で歩かなくても、歩道の方が動いてくれる。わざわざ水牛の乳を搾ったり薪に火をつけて湯を沸かしたりしなくても、ボタンさえ押せば「午後の紅茶」が出てくる。

 しかしそれはある意味ではとても不幸な世界だとも思う。行きすぎた便利さは、自らの力で何かをつかみ取ろうという意志を奪い、生きているという実感を持ちづらくさせているからだ。

 世界はとても美しいし、豊かな可能性に満ちている。
 それを実感するためには、この限りなく優しく、それでいて残酷な自動化世界の外に出なければいけないのだと思う。

トウモロコシ畑を耕す少女

 いつもとは違う筋肉を使い、違う疲れを感じ、違う価値観の中に身を置く。
 そうやって己の限界を思い知ることで、僕はその限界の一歩外へ踏み出そうとする力を得てきた。

 だから僕は旅を続けている。
 「今ここにいる自分」の中に閉じこもっていては、世界の本当の美しさは見えてこないから。


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