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それはずいぶん奇妙な儀式だった。
タマン族の村人によれば、1年前に亡くなった老人を弔うための儀式、つまり一周忌の法要だというのだが、とてもそんな風には見えなかった。その場に集まった村人は全部で300人ぐらいだったが、みんな不謹慎とも思えるほどリラックスしていて、大声で笑い合ったり、酒を酌み交わしたりしていたのだ。サイコロ賭博に熱中する若者までいた。事情を知らない人が見れば、「楽しい村祭りでも始まったのだろう」と思うに違いなかった。
亡くなった老人の親族はさすがに笑ってはいなかった。それどころか、楽しげな村人たちとは正反対に、悲しみにうちひしがれ、大声で泣き叫んでいた。ぼろぼろと大粒の涙を流している女も何人かいた。寡婦である老婆は、悲しみのあまりその場にへなへなと座り込んでしまった。
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女たちは死者に捧げるための野菜や果物を頭に載せて歩いていた。 |
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しかし女たちが流す涙は自然に出てきたもののようには見えなかった。突然の訃報に接したのならともかく、亡くなってからすでに一年も経っているにしてはあまりにも大げさすぎる。「お約束」という表現が適切なのかはわからないが、おそらくこの儀式において遺族には泣くという役割が求められているのだろう。盛大に涙を流し、悲しみにうちひしがれてみせることが、死者を弔うために必要だと考えられているのではないか。
遺族たちが死者を模した人形と遺骨を御輿に乗せて運んでくると、ラマ(僧侶)による踊りの奉納が行われる。それが終わると、百八つある灯明すべてに明かりがともされた。ここまでは仏教的な儀式の流れだと理解できたのだが、その先の展開は実に驚くべきものだった。
木彫りの仮面を被った少年が鐘と太鼓の音に合わせて踊り始めたのだが、彼の股間にはなぜか男性器をかたどった木製の棒がくくりつけられていたのだ。少年はその疑似ペニスを誇らしげに握って、周囲の見物人に見せつけながら、お布施となるお金を集めていた。疑似ペニスには赤い色が塗られ、陰嚢までリアルに再現されている。しかしその行為が何を意味しているのかはさっぱりわからなかった。
やがて西の空に日が落ち、あたりがすっかり暗くなると、仮面を被り疑似ペニスをつけた男たちが二人一組になって「疑似セックス」を始めた。男役が女役の上に覆いかぶさって激しく腰を振る。女役は大きく股を広げてそれを受け入れる。そうやって5分ほど激しく交わると、今度は相手を変えて抱き合い、また腰を振るのだった。
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この疑似セックス(というか疑似乱交)は見物人を熱狂させた。「待ってました」とばかりに大きな歓声が上がり、太鼓が打ち鳴らされ、角笛が吹かれた。酔っぱらった男たちからは「もっと派手にやれよ!」というヤジが飛び、女たちはおかしそうにお互いの肩を叩き合って笑っている。子供たちも腹を抱えて大笑いしている。この行為が何を意味しているのか、子供たちにもなんとなくわかっているようだ。かなり直接的ではあるが、これがタマン族流の「性教育」なのかもしれない。
実際、タマン族は性的にオープンなようだ。ヒンドゥー教徒のネパール人には「婚前交渉なんてもってのほか」という意識が強いのだが、仏教徒であるタマン族にはそのようなタブー意識はあまりないらしい。14,5歳になれば気に入った異性を草むらに誘い込んで「一夜限り」の関係を楽しむ若者も多い。特にお祭りや宗教儀式が行われる日は、そのような「お持ち帰り」カップルが生まれやすいそうだ。若者はちゃんとコンドーム持参(やる気満々だね)で祭りに臨むのだが、それでも妊娠してしまった場合には、責任を取って結婚するのだという。タマン族の村は特に子供の数が多いのだが、このような性的なオープンさも原因のひとつなのかもしれない。
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それにしても死者を弔う儀式の直後に、激しい疑似セックスを行うことにどんな意味があるのあろう?
村人に直接聞いても「これは昔からやっていることだ」という答えしか返ってこなかったから、彼ら自身にもその目的はよくわかっていないようだ。
ひとつ考えられるのは、セックスを「死を超克するもの」「再生の象徴」として死者に捧げているのではないかということだ。
人はいつか必ず死に、その肉体は自然へと還っていく。それと同時に多くの人間が新しく生まれ、命は連綿と繋がっていく。それが輪廻の考え方だ。
一人の死のあとに多くの生が続く限り、個人の死は集団にとっての「終わり」を意味するものではない。むしろ死は次の世代へと生を受け渡すために必要なバトンのようなもの。だからこそ、涙で死者を送り出した後には、激しい生(性)の交わりを示さなければいけない。疑似セックスにはそんなメッセージが込められているのかもしれない。
ちなみにタマン族の人々は、葬式が終わった直後の数日間はいっさい塩をとらないそうだ。お米や野菜は食べてもいいし、お酒もよく飲むのだが、塩分だけは抜かないといけない。村人によれば、たとえ3,4日でも塩分をとらないと、徐々に体が弱ってくるそうだ。食欲が落ち、体力が衰え、気力もなくなってくる。当然である。人は塩なしでは生きていけないからだ。ハンガーストライキで断食を試みる人も、塩と水だけは必ずとっている。塩はそれほど大切なものなのだ。つまり彼らは塩を断つことで、普段よりも一歩「死」に近づいているわけだ。
海のないネパールでは、昔から塩の確保は死活問題だった。タマン族の人々も山を越えて岩塩を運んでくるチベット人のキャラバンと交易することで、なんとか貴重な塩を手に入れていた。彼らは塩の重要性が身に染みてわかっていた。だからこそ近しい人が死んだときにはあえて「断塩」をして、弔いの気持ちを表したのだろう。
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