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女装した芸人「ヒジュラ」に出会ったときの話をしよう。
ヒジュラとはバングラデシュを含むインド文化圏に広く存在している女装芸人で、カースト制度からも離れた特異な存在である。もともとは婚礼の席などに呼ばれて歌や踊りを披露した芸能者だったらしく、インドには「聖なる力を持つ存在」としてヒジュラを崇めている地域もあるようだが、バングラデシュでは男でも女でもない卑しい存在として徹底的に差別され、軽蔑されていた。
僕が出会ったヒジュラは5人組で、みんな揃って派手な化粧をし、赤いサリーを着ていた。遠目からだと「妙に派手な女たち」にしか見えなかったのだが、近づいてみるとすぐに女装した男だとわかった。真っ赤な口紅を塗り、髪を長く伸ばしてはいたが、骨格や顔の作りは男そのものだった。新宿二丁目やバンコクにいるような「洗練されたニューハーフ」とは次元が違う。中には「おっさんやん!」と思わず突っ込んでしまいそうないかつい顔のヒジュラもいた。
ヒジュラたちはとても陽気だった。大きなカメラをさげた外国人に興味津々で、こっちが何も言い出さないうちから歌と踊りを賑やかに披露してくれた。そして嬉しそうに「あたしたちを撮りなよ!」とポーズを取ってくれた。
しかし踊りが終わると、和やかな雰囲気は一変した。近くのビルの窓から冷やかしの声と共に石が飛んできたのだ。
「おい、そこのオカマ! 気持ち悪いんだよ! さっさと消えちまいな!」
そんな口汚い声があちこちから聞こえた。ここはイスラムの国。ヒンドゥー社会では一定の役割を与えられているヒジュラたちも、バングラデシュでは居場所がないのだろう。あとで聞いた話では、バングラデシュのヒジュラたちはこれといった仕事もなく、踊りをおどって道行く人からお金を恵んでもらいながら何とか生活しているという。物乞いとさほど変わらない暮らしなのだろう。
しかし男たちから罵られ、石を投げられても、ヒジュラたちは少しもひるまなかった。飛んできた小石を拾い上げると、ビルの窓に向かって全力で投げ返し、「うるせぇ、バカ野郎!」と怒声を浴びせ返した。こう見えてとんでもなく気が強いのだ。
それでも罵声は止まなかった。それどころか真っ向勝負を挑んできたヒジュラをあざ笑うかのように、冷やかしの声はいっそう激しくなった。このままでは収拾がつかなくなる。そう思ったときに、ヒジュラの一人が意外な行動に出た。「これを見ろよ!」と言って、履いていたスカートをめくり上げたのだ。スカートの下はまったくの裸だった。下着を身につけていなかったのだ。そして本来あるべきモノもきれいさっぱりなかった。去勢していたのだ。
その瞬間、その場は凍りついたような静けさに包まれた。僕を含めてまわりの男たち全員が呆気にとられ、言葉を失ってしまった。ビルの窓から顔を出していた男は手に石ころを握りしめたまま、ぽかんと口を開けていた。ヒジュラたちの「最後の切り札」は何もない股間だったのである。
「わかったでしょ! アタシたちにはチンチンがついてないのよ! なんか文句あんのかい? 何が悪いっていうのさ!」
ヒジュラはとどめを刺した。かっこよかった。もう誰も言い返す人はいなかった。胸のすくような最後の一撃だった。
何も悪くない。
チンチンがついていても、いなくても、あんたたちにはこの街で生きていく権利がある。
ヒジュラたちは差別され、虐げられてもなお、それをはねつけて生きるたくましさを持っていた。ことあるごとにまわりと衝突し、自分たちの権利を主張しなければいけない人生というのは、おそろしくタフであるに違いない。しかしヒジュラたちの開けっぴろげな陽気さからは、タフな人生そのものを楽しんでいるような余裕さえ感じられたのである。
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ヒジュラたちに限らず、ダッカの街を歩いていると喧嘩の現場に遭遇することが多かった。街のいたるところで口論やつかみ合い、ときには殴り合いが行われているのだ。バングラ人は基本的にフレンドリーで陽気だが、同時にやたら喧嘩っ早い性格でもあるのだ。
特に喧嘩が多く発生していたのは路上だった。交通量がとんでもなく多いうえに、誰も交通ルールを守らない。そんな状況では、衝突事故が頻発するのは避けられないのだ。そしてひとたび事故が発生すると「お前がぶつけたんだろう!」「いや悪いのはお前だ!」とお互いに主張を譲らずに、大喧嘩を始めてしまうのだ。
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リキシャ同士がぶつかって喧嘩になっていた。大の男がパンツ丸出しで喧嘩しなくても、と思ってしまうのだが。 |
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巨大な卸売市場カウランバザールでも、些細なことから殴り合いの喧嘩が発生していた。カゴに野菜をいっぱい載せて運んでいる男二人がぶつかって、そのひょうしに野菜がこぼれ落ちたというのが原因らしい。実にしょーもない理由である。どちらが悪いわけでもない。ただのアクシデントだ。日本ではたぶん10歳の子供でも喧嘩に発展することはないだろうが、この国ではそんな些細なことで40を超えた大人同士が殴り合ってしまうのである。
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これだけ大勢の人がひしめき合う市場で衝突が起きるのは仕方ないと思う。 |
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殴り合いが始まると、周りの男たちがすぐに止めに入った。二人を引き離して、お互いの言い分を聞く。当事者は周りの男たちに事情を説明して、自分の方が正しいのだと主張する。しかしその言い分にブチ切れた男が再び相手に殴りかかり、それを引き離した男がなぜか喧嘩に巻き込まれ、次から次へと喧嘩の輪が広がっていくのだった。市場で働く他の男たちはそれをちょっと楽しそうな表情で見守っている。「おお、またやっているなぁ」という感じで。
中には「喧嘩は楽しみのひとつなんだ」と言い切る人もいた。「喧嘩と花火は江戸の華」なんて言葉があるが、「喧嘩とリキシャはダッカの華」と言えるのかもしれない。
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マッチョな男が集うボディービルジムも繁盛していた。 |
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言うまでもなく、バングラデシュは貧しい国だ。莫大な人口を抱え、自然災害にもたびたび襲われ、社会には腐敗がはびこっている。庶民の生活は今も昔も苦しいままだ。それでも、この国に暮らす人々は明るかった。しぶとく、たくましく、前向きに日々を生きていた。
この世界をもし「悲劇の国」と「喜劇の国」に分けるとしたら、バングラデシュは間違いなく後者に入るだろう。この国で目にする出来事の多くが、当人の意志とは関係なく、どこかコミカルで不思議なズレ方をしているからだ。
竹馬おじさんも香具師も手相占い師もヒジュラたちも、みんな今を全力で生きていた。彼らは自分の生きざまを賭けた激しいぶつかり合いの中に身を投じ、人生という劇場で与えられた役割を全力で演じていた。
にもかかわらず(いやだからこそ)その姿はどこかユーモラスだった。おかしみと哀しみ、滑稽さと切なさが同居していた。本人たちが真剣であればあるほど、そこに生まれる喜劇性はより大きなものになっていく。少なくとも僕には、そんな風に感じられたのだ。
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