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  たびそら > 旅行記 > バングラデシュ編


 バングラデシュにはツーリスト産業というものがない。「ない」というのはちょっと言い過ぎかもしれないけど、「ほとんどない」のは確かである。隣国のインドにはたくさんの旅行者が訪れ、観光業もそれなりに発達しているのだが、ひとたび国境を越えてバングラデシュに入ってしまうと、旅行代理店もホテルの客引きも怪しげなガイドもきれいさっぱりなくなってしまうのだ。

 理由は簡単。この国には旅行者が極端に少ないからだ。別に鎖国をしているとか、入国に特別なビザがいるというわけではない(ビザは必要だが、大使館に行けば無料で取れる)。だけど「バングラデシュなんてよくわからない国に行くより、長い歴史と独自の文化と多くの世界遺産があるインドに行けばいいじゃないか」と考える旅行者が圧倒的に多いのだ。まぁまともな発想ではある。


 外国人観光客相手のビジネスがほとんど存在しないバングラデシュには、レンタルバイク屋というものもなかった。だから僕は首都ダッカを歩き回って、バイクを貸してくれる人を探すことから始めた。いつものように交通の便の悪い田舎を訪ねるために、どうしても自由になる「自分の足」を手に入れたかったのだ。

 向かったのはモッグバザール界隈だった。ここに中古バイクを売買している店が軒を連ねているという情報を得たからだ。
 僕が訪ねたバイク屋の店主キビリアさんはあご髭を蓄えた50過ぎのおじさんで、とても流ちょうな日本語を話した。彼もまた日本に出稼ぎに行ったことのある「日本帰り」の男だったのだ。1985年からの5年間、群馬県の板金工場で働いていたそうだ。バングラデシュでは本当に思いがけないところで日本語を話す人に出会う。

 キビリアさんの店に置いてあるのは、見た目重視のバイクが多かった。排気量は100ccから150ccほどとさほど大きくはないのだが、ボディーは大柄で、太いタイヤとディスクブレーキを備えたスポーティーなタイプである。
「この国じゃ、バイクはお金持ちのおもちゃなんだ」とキビリアさんは言う。「バイクを買いに来るのは、ビジネスで成功したお金持ちの息子が多い。両親は『バイクなんて危ない』って止めるけど、息子は『友達も乗っているから』と言って欲しがるんだ」

若者がサングラスをかけてバイクにまたがる。ちょっと自慢げである。

 確かにインド圏におけるバイクは「移動のための道具」というよりも「男の遊具」としての側面が強調されている。そこが東南アジアとの大きな違いだ。東南アジアにおけるバイクは、単なる日常の道具である。カッコ良さよりも乗りやすさ重視。女性や年寄りでも扱えるように、非常にシンプルに軽く作られている。自転車に乗ることさえできれば、誰でも10分で乗りこなせる。もちろん燃費もいい。実用第一主義なのである。

 それがインド圏だと事情が違っている。まず女性はバイクには乗らない。特にイスラム国であるバングラデシュでは、女性がバイクを運転する姿を一度も見かけなかった。100%男の乗り物なのだ。バイクの広告やCMなどでも「マッチョな男の乗り物」としてのカッコ良さが前面に押し出されている。クラッチ操作が必要なギアシステムを採用しているから、運転を覚えるのにも時間がかかる。

リキシャやバスが主な移動手段のダッカには、バイクの姿は少なかった。

 バイクに乗っている人の顔つきも違う。東南アジアではみんなごく普通の顔でバイクにまたがっている。ある人は家族4人を乗せ、またある人は生きたままのブタを縛り付けて運んでいりするのだが、それが特別なことだという意識は全くない。

 しかしインド人やバングラ人のライダーはなんとなく自慢げなのだ。俺はバイクに乗ってるんだぜ。ワイルドだろう? という自意識が表情や乗り方から溢れ出ているのだ。要するに「イキっている」わけだ。

 バイクが官能的な乗り物なのは僕にもわかる。風を切って疾走する解放感と、メカ好きを刺激してやまないフォルム。重量感のある排気音。しかしスポーティーなバイクがそのポテンシャルを十分に発揮できるのは、ある程度広い国土を持ち、道路がきちんと整備され、交通量の少ない道が存在する国だけである。そこにはアメリカやヨーロッパ、日本などが含まれるが、残念ながらバングラデシュは違う。国土は狭く、道路の状態は悪く、しかも危険なバスやトラックで溢れている。ハイウェーもまったく整備されていない。この国では、時速100キロ以上ですっ飛ばす機会は限りなくゼロに近い。

 要するにスタイルの問題なのだ。この国では実用第一主義のスクーターは売れない。カッコ悪いし、男らしくないからだ。ホンダやヤマハのマーケティング担当者もそれをよく知っている。だからインド圏で売り出されるのは、相変わらずマッチョで融通の利かない重いバイクばかりなのだ。

 キビリアさんとあれこれ相談した結果、インド製の125ccのバイクを借りることになった。無駄な機能や装飾的なエアロパーツなどが一切ないシンプルなバイクだった。すでに3年以上乗られている中古品だが、コンディションは悪くなかった。東南アジアのスクーターと違ってクラッチ操作が必要なのは面倒だったが、しばらく乗るうちにそれにも慣れることができた。

僕が借りたのはTVS製の125cc。後部シートに荷物をくくりつけて旅した。

 デポジットとして店に900ドル預け、無事に戻ってきたら750ドルを返してもらうという契約を交わした。3週間の使用料150ドルというのは他の国のレンタルバイクに比べればやや割高だが、こっちが無理を聞いてもらっているのだから仕方ないだろう。キビリアさんにとっても外国人にバイクを貸すなんてまったく前例のないことだったのだ。

 こうしてバングラデシュをバイクで一周する旅が始まったのである。


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