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ダッカの交通カオスをなんとか抜け出して農村地帯に出ても、運転が大変なのは同じだった。
ダッカから西へと延びる国道5号線は、バスやトラックがひっきりなしに通る産業道路で、もうもうと舞い上がる砂埃と排気ガスですぐに顔が真っ黒になるというひどい道だった。しかもどの車もすさまじいスピードを出しながら、片側1車線の道路で抜きつ抜かれつのチキンレースを展開しているのだ。そこには譲り合いの精神など皆無で、誰もが我先にとわずかな隙間めがけて突進していく。まったくもってクレイジーな道だった。
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国道沿いに立つ看板には「Stop killing on the road」と書いてあった。まったくその通りだと思う。 |
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それにしてもバングラ人の運転はなぜこうも荒っぽいのだろうか。「狭い日本、そんなに急いでどこに行く」という標語があったけれど、バングラはその日本よりもはるかに狭いのだ。いくらスピードを上げても、到着時間がさほど変わるわけではないのに、ドライバーはせっかちなのである。
これはもう本能的なものなのだろう。彼らはスリルとスピードを楽しんでいるのだ。目の前に車があれば追い抜かずにはいられないのだ。サービス向上のためとか、他社との競争に打ち勝つためなどではなく、ただ単にアクセルを目一杯踏み込みたいだけなのである。
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整備不良か過積載かスピードの出し過ぎか。こんな風に横倒しになったトラックもよく見かけた。 |
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そういうのは鈴鹿サーキットとか箱根の峠道とかで個人的にやってくれればいいのだが、バングラデシュにはレース用のサーキットはないし、個人で自動車を所有している人はほとんどいないので走り屋も存在しない。必然的に走り屋気質あるいはスピード狂の素質を持つ者たちは、みんなバスやトラックのドライバーになりたがり、道路はにわかレース場と化してしまうのである。
バイクはこの仁義なきチキンレースにおける弱者である。バングラデシュにおける交通強者とは「ぶつかっても壊れない方」なのだ。がたいの大きな者、ボディーが丈夫な者が勝つ。弱肉強食。きわめてシンプルな論理だ。
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大量のジュートを積んだ三輪車がゆっくりと進む。彼らも当然、交通弱者である。 |
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というわけで我々ライダーは常にバスやトラックから派手なクラクションで「あっち行け!」と追い払われる存在である。背後からはもちろん、追い抜きをかけようとする対向車が僕の進路をふさぐ格好で飛び出してくることもある。路肩に逃げなければひき殺されてしまう。ルールもなにもあったものじゃない。無茶苦茶である。
「おい、バイクにだってバスと同じように道路を通行する権利があるんだぞ!」
そんな正論を主張したところで、誰も聞く耳を持たない。バスの無謀な運転によってケガを負ったとしても、バスはさっさと逃げるだけだ。常習的ひき逃げ犯。そういう話はあちこちで耳にする。とにかく奴らはタチが悪いのだ。
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バイク旅にはトラブルがつきものだが、バングラデシュでは特にパンクが多かった。路面の状態も悪いし、タイヤやチューブの品質にも問題があるのだろう。ひどいときには1日に2度もパンクすることもあった。
幸運なことに修理屋だけはたくさんあったので、身動きが取れずに困るようなことにはならなかった。人口が過密なバングラデシュには、農村の生活に必要なものを売る店が集まる小市場「バザール」が数キロおきにあって、そこにパンクを修理してくれる店も必ずひとつはあったのである。
バングラデシュ南西部に位置するジョソールという町に向かっていたときにも後輪がパンクし、慌てて近くのバザールに向かった。道でクギをひろったらしく、一瞬で後輪がペチャンコになってしまったのだ。修理屋の若者に事情を説明すると、「チューブが裂けているから、新しいのに交換しなくちゃいけないよ」と言われた。しかも店にはチューブの在庫がないので、隣のバザールまで買いに行かなければいけないらしい。
仕方ない。もう日暮れ間近だったので、なるべく早く町に着きたかったのだが、ここは気長に待つ以外方法はなさそうだった。
プラスチック椅子に座ってチューブの到着を待っていると、たちまち村の男たちが集まってきた。
「ビデシ(外国人)が来ているらしいぜ」
「なんで?」
「パンクしたんだってさ」
そんな噂が広まったのだろう。気が付くと20人ものおっさんにぐるりと包囲されていたのだ。角砂糖に群がるアリのようにどこからともなくわらわらと人が集まってくるのは、田舎における人口の多さとバングラ人の好奇心の強さを証明しているわけだが、それにしてもこの短時間で(ほんの2,3分である)よくこれだけの人が集まってくるよなぁと感心してしまう。
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外国人をぐるりと包囲する村人。そ、そんな目で見つめないでください。 |
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もちろん敵意はない。でも村人の中に英語を話す人は誰もいないし、こちらも挨拶程度しかベンガル語を話せないから、お互いただ黙り込んでじっとしているしかないのだった。なんとなく気まずい時間だけがゆっくりと流れていく。
バングラデシュを旅するというのは、常に人々の好奇の視線に晒されることを意味している。まるで動物園のパンダでも見るように、彼らは無遠慮なまでにこちらをじっと見つめてくる。「見られること」に慣れていない人間にはけっこう辛い経験だ。しかしそれに負けはいけない。彼らの視線をしっかりと受け止め、なおかつそれを跳ね返すぐらいの気持ちの強さが旅人には必要なのだ。
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休憩に入った茶屋で人々に囲まれるのは日常茶飯事だ。 |
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バングラデシュ以外の国でもこんな風に地元の人に囲まれることはあるが、多くの場合それをやるのは子供たちである。「なんか暇だから、珍しいガイジンでも見に行こうよ」というわけだ。ところがバングラでは、むしろ大人の方が多く集まってくるのだ。子供たちはしばらくすると「ガイジンってこんなものなんだな」と飽きて、いなくなってしまうのだが、大人はなぜかいつまでも飽きずにじっとこちらを見つめているのだ。
下川裕治さんが「バングラデシュは大人の脳を持つ子供と、子供の脳を持つ大人の国だ」と書いていたが、それも確かに一部は当たっていると思う。「大人はバカだ」言いたいわけではない(のだと思う)。そうではなくてバングラ人は「好奇心をあらわにするなんてみっともない」という大人ぶった考え方をしないのである。珍しいものがあればとりあえず見ておく。彼らは野次馬根性を隠そうとしないのだ。
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野次馬根性を隠そうともしない男たちは、携帯カメラをこちらに向けた。 |
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しばらくすると、ようやく一人の男がおずおずと口を開いた。
「ホワット カントリー?」
「ジャパン」と僕は答える。
おぉ、ジャパンから来たのか、とまわりの男たちが頷く。その場の雰囲気が少し和らぐ。すると別の男が「名前は何だ?」と聞いてくる。その次は「父親の名前は何?」で、そのまた次は「母親の名前は?」である。
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もちろん子供たちも興味津々でこちらを見つめてくる。 |
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次に現れたのは、とても聞き取りにくい英語を話すくせにやたら複雑な質問をしてくる男だった。こういう人が一番困る。「自分は英語が話せるインテリなのだ」という自負心があり、村人の前でいいところを見せようと張り切っているのが痛いほど伝わってくるのだが、こちらには何が言いたいのかさっぱりわからないのだ。
仕方なくメモ用紙とペンを渡して「ここに書いてくれないか?」と頼んでみた。話すのは苦手でも、書く方は得意なのかもしれないと思ったのだ。
「Ho younot Bangy . your body chosig, So you that Zapineis」
余計にわけがわからなくなってしまった。「書けるけど話せない人」ではなくて、「書くのも話すのもダメな人」だったようだ。ひとつひとつの単語を確認して、スペルの間違いを訂正すると、次のような文が完成した。
「How you're not Bangladeshi. You body chosig. So you are Japanese.」
これでも謎の文であることには変わりない。「あなたはバングラ人ではない。日本人だ」という部分はなんとかわかる。問題は「Body」の部分である。「You body chosig.」いったい何が言いたいのだろう?
「ソーリー。あなたの言っていることがわかりません」
僕が正直に言うと、彼はがっくりと肩を落として去っていった。
ごめんね。でもほんとにわからなかったんだよ。
その後も何人もの男が現れては、同じようなことを聞いて去っていった。しかし無言で腕を組んだまま僕を取り囲んでいる村人の数はいっこうに減らなかった。いつまで待っても「それじゃ解散ね」という雰囲気にはならない。よほど暇なのか、好奇心が強いのか、たぶんその両方だと思うが、バングラ人相手に根比べをしても絶対にかなわない。
修理屋の若者がタイヤチューブを手にして戻ってきたのは1時間後だった。隣町に向かうバスが途中でパンクして(!)、その修理に手間取っていたらしい。やれやれ、この道はパンクの原因には事欠かないようである。
結局、パンク修理が終わって、村人の「囲み取材」から解放されたときには、あたりはすっかり暗くなっていた。修理費用はチューブ代も含めて160タカ(240円)ととても安かった。バングラデシュには外国人からぼったくろうとする人はほとんどいないのだ。
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チューブが手に入って、ようやくパンク修理が終わった。 |
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バザールからジョソールの町までの道のりは真っ暗だった。小さな集落がぽつぽつとあるだけで、もちろん街灯もなく、行き交う車も昼間に比べると激減していた。
頭上には満天の星空が広がっていた。右手には北斗七星が、左手にはオリオン座がくっきりと見えた。ガスっていることが多いバングラデシュには珍しく、とてもクリアな夜空だった。僕は道路が平坦でまっすぐなことを確認してから、ヘッドライトを消して走ってみることにした。
その瞬間、世界が反転した。
それまでヘッドライトが照らす狭い範囲だけを凝視していたのだが、そのライトが消えてしまうと、途方もなく広い空間の中に放り出されたような心もとなさと、体がふわりと浮き上がったような身軽さを同時に味わうことになった。
どこまでも続く星々の中を進んだ。
心細くはあったけれど、とても自由だった。
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