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  たびそら > 旅行記 > スリランカ編


 コロンボをぶらぶらと歩いていると、不意に日本語で話しかけられることがよくあった。この街には若い頃に日本で働いていた人がたくさん住んでいて、僕の顔を見ると「あなた日本人?」と気軽に声をかけてくるのである。

 ディズニーランドのそばのホテルで5年働いていた人もいたし、蒲田の弁当屋で4年働いていた人もいた。渋谷の深夜営業のレストランで6年働いていた人もいたし、大阪の農場で花の栽培をしていた人もいた。

 3ヶ月間有効の学生ビザで日本に入り、そのあと5年ほど不法就労を続けてお金を貯め、スリランカに帰ってから何か商売を始める、というのが出稼ぎスリランカ人の理想的なライフプランである。スリランカ人の平均月収は1万5000円ぐらいだから、何年か日本で働いてお金を貯めることができれば、帰国後にはまずまず豊かな暮らしが約束されているってわけだ。


 しかし現実にはそう上手く行かないこともある。日本にいるあいだに遊びすぎてお金を使い果たしてしまうダメな男もいるし(それはそれで楽しそうだが)、ろくに働かないうちに体を壊して帰国を余儀なくされる人もいる。

 厚木で働いていたアジズさんは、日本から送金したお金を全て身内に使われてしまったという気の毒な人だった。自動販売機の工場で7年間コツコツ働いて貯めたはずのお金が、銀行口座からきれいさっぱり消えていたのだ。
「もらった給料は、オレのお姉さんの口座に送っていた。でもスリランカに帰ってきたら、そのお金なくなっていた。お姉さんが全部使っちゃった。家を買い、土地を買い、バイクを買って、なくなった。返してくれってオレは言ったよ。でも返してくれない。どうして? わからないよ」

 ひどい話である。必死に働いて貯めたお金をいくら身内とはいえ勝手に使い込まれてしまったのだ。普通に考えればものすごく腹の立つ出来事だと思うのだが、アジズさんは「わからないよ」と首を振るばかりなのである。いい人なのだ。そしてその人の良さにつけ込まれたのだろう。

 アジズさんがスリランカに帰国したのは10年以上も前なのだが、彼の日本語は実に流ちょうだった。まるで昨日まで日本にいたかのようにスムーズでよどみがないのだ。こっちに日本人の友達でもいるのだろうか?
「いやー、日本人と話したのは5年ぶりだよ。こんなところ、日本人なんて通らないから」
「5年ぶり? そのあいだ一度も日本人と話をしていないんですか?」
 これには驚いてしまった。帰国して5年も経つと、たいていの人は日本語を忘れていくものだからだ。「ニホンジン?」と声を掛けたまではよかったが、その後がさっぱり続かずに、結局英語での会話に切り替えてしまう人も多い。日本人観光客やビジネスマンと日常的に接している人を除けば、スリランカ国内で日本語を使う機会はほとんどないから、日本語力も錆びついてしまうのが普通なのだ。

「ほんとに一度も話したことないよ。でも、頭の中で日本語を話してたね。毎日。だから忘れないね」
 なんと、彼は頭の中での会話、つまりイメージトレーニングを続けることで、日本語の力を保っていたというのだ。それもこれも「もう一度日本で働きたい」という強い思いがあるからなのだろう。

「20年前、日本のビザ取るのは簡単だった。でも今はとても難しい。手続きがたくさんいるね」
 アジズさんは暗い顔をする。ビザ発給条件が日本語の会話力だけを問うのであれば、彼は文句なくパスできるだろうが、残念ながら一度不法滞在が露見した人が再び就労ビザを取るのはかなり難しいようだ。だから彼はいまコロンボのバスターミナル近くの路上でライターなどの小物を売っている。はっきり言ってしょぼい商売である。一日の売り上げもたいしたことはない。でも生きていくためには、こんな仕事でもやり続けるしかない。

コロンボの街で見かけた鳥居。これはどこからどう見ても神社の鳥居である。日本人が建てたんだろうか? それとも日本びいきの親日家が建てたんだろうか?

日本人観光客用に立てられた看板。ま、言っていることはわかるんですけど、「緑休暇の運送先」ってすごい直訳ですね。

 日本に行ったことのないスリランカ人にとっても、ジャパンの印象はおおむね良いようだった。スリランカ人は日本政府が多大な援助を行っていること、特別大使である明石康氏が何度もスリランカを訪れて和平交渉の橋渡し役をしていることなどを、新聞やテレビを通じてよく知っていた。また「日本人は真面目で勤勉」というパブリックイメージも定着しているようだ。もちろん(僕も含めて)そうではない人もたくさんいるわけだが。

「スリランカ人は本当に働かないんです」
 と力を込めて言うのは、コロンボで宝石商を営むアファームさんだ。彼もまた日本で暮らした経験があるので、日本語がぺらぺらだった。
「スリランカ人は誰も見ていないとすぐにサボるんです。仕事をしないで、お喋りばかりしている。昼休みは45分と決まっているのに、実際は1時間半も休んで、やっと働き始める。だからこの国はなかなか発展しない。何十年もずっと同じ状態。そこが日本との違い。日本はいつも変わり続けている。階段を上っている」
 アファームさんはそう言って深い溜息をついた。経営者としては従業員に日本人の勤勉さを見習ってほしいのだろう。

 日本製品を通じて日本のことが好きになった人もいた。リズワンさんはマツダのワンボックスカーを買ったことで、すっかり日本のことが気に入ったという。
「ジャパンカー ベリー ナイス!」
 彼はそう何度も繰り返した。故障が少ないし、燃費も良いし、運転もしやすい。インド製なんて足元にも及ばない。しかし実際には、スリランカ国内を走る車の大半はインド製である。特にバスやトラックの分野ではインド製のくたびれた中古車が独占していて、とんでもなく汚れた排気ガスをもくもくとはき出しながら町中を走っていた。それがコロンボの大気汚染の原因ともなっていたのだ。

トラックの中古ボディーを専門に扱う店。ここでも日本車が圧倒的な人気だ。

「ジャパンカー ベリー ナイス! バット エクスペンシブ!」
 とリズワンさんは悲しそうに言う。彼が手に入れたマツダの車は10年は乗られた中古車なのだが、なんとこれが290万円もしたというのである。スリランカでは中古車に対して300%の輸入関税がかけられている。つまり日本での価格の4倍になるということだ。例えば日本で50万円の中古車を買ってスリランカ国内に持ち込むと、150万円の関税を支払うことになるのである。
 庶民が自動車を手に入れるのは夢のまた夢、というのがスリランカの現状のようだ。

バイクショップで売られていた中国製の50ccのバイク。ブランド名の「UMAZAKI」は明らかに日本語を意識している。シンボルマークが「馬」なのもおかしい。さすがはメイド・イン・チャイナだ。ちなみにお値段は4万5千ルピーで、これはインド製スクーターの半額である。


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