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パプアニューギニアへの旅は、成田空港で酒を飲むところからスタートした。空港のレストランで酒を飲むなんてことは「清く正しく貧しい」バックパッカーには縁のない行為だが、今回はテレビ番組の取材という仕事がらみの旅だったのである。
「この一週間は酒が飲めなくなるかもしれませんからね。今のうちに飲んでおかないと」
とディレクターAさんが言う。パプアニューギニアは禁酒国ではないが、僕らが取材に行く「オイスカ」というNGOがスタッフの飲酒を禁止しているので、僕らもそれに合わせることになるだろうと予想されたのだ(実際にその通りだった)。
そんなわけで僕らはまずビールを飲み、続いて日本酒を頼み、出発時間が押し迫って「すいません閉店です」と言われるまで飲み続けたのだった。
酒の席での話題はスチュワーデスについて。これは誰かからの受け売りだけど「客室乗務員が若くてきれいな国は、女性の社会進出が遅れている」という説がある。僕の実感からいって、これは正しい。
たとえば今まで乗った中で、もっともスチュワーデスがゴージャスだったのはインドネシアの国内線だった。みんなそろって若くて背が高くて美人だった。インドネシアの町を歩いていてもまずお目にかかることのない際だった容貌であった。ムスリムが多数派を占めるインドネシアでは女性が働く場所が限られているから、才色兼備の人材が航空会社に殺到しているのだろう。
プロデューサーMさんが目にした中でもっとも美しいスチュワーデスは、シンガポール航空のビジネスクラスだったそうだ。あそこならずっと居てもいいなぁ、と遠い目をして語っておられた。ビジネスクラス・・・空港内のレストランと並んでバックパッカー風情にはまったく縁のない場所である。
僕らが乗ったニューギニア航空の客室乗務員は、なんだか肝っ玉母さんみたいな人ばかりだった。どの女性も我々の基準からすれば少々(あるいは相当に)太っていて、やたらどっしりしているのだ。
さっきの説を当てはめると、パプアニューギニアは女性の社会進出が十分に進んだ国だと言えそうだが、まぁ何ごとにも例外はある。即断は避けよう。とにかくあんなに「どっしり構えた」スチュワーデスは他のエアラインではあまりお目にかかれない。それだけは確かである。
パプアニューギニアの首都ポートモレスビーへは、成田から週に一度直行便が出ている。僕らはそれに乗り、ポートモレスビーで国内線に乗り換えて、ニューブリテン島のラバウルへ向かった。
ラバウル空港に到着した僕らは、その足で火山に向かった。ラバウルには今でも活発に噴煙を上げている活火山があって、それを見に行こうというのだ。
1994年に起こった大噴火では、タバルビュル火山とバルカン火山の二つの火口がほぼ同時に噴火し、当時7万人が住んでいたラバウル市は壊滅的な被害を受けた。市内に降り積もった火山灰の量は厚さ5mにも達したという。ポンペイ遺跡のようにうち捨てられたラバウル市はいまだに復興されておらず、州都としての機能は20km離れたココポに移されたままである。
僕らは四輪駆動車で活火山が間近に見えるポイントに向かった。
そこは灰色一色の世界だった。山も平原も川も海も空までもがすべて灰色に塗り尽くされていた。生命の痕跡といえるのは枯れた立木のみ。死が支配するモノトーンの世界だった。
車を降りると、ズーンという地響きを伴った重低音が襲ってきた。大地がうなっていた。そしてその音に呼応するように火口から噴煙が立ち上った。まるで悪魔の吐き出す息のように刻一刻と噴煙はその姿を変えた。
しばらくすると、火山とは正反対の方向からもドーンという音が聞こえてきた。
雷鳴だった。噴火音とは重みも広がりも違うが、同じように空気をびりびりと震わせている。もうすぐスコールが降るのだろう。ひんやりとした風が吹き始めた。
それからしばらくのあいだ、噴火と雷鳴の競演が続いた。大地を揺るがす重低音と、雲を切り裂いて地上に降り注ぐ雷鳴。大自然が持つ底知れないエネルギーに、僕は言葉を失ってその場に立ちすくんだ。
やがて雨粒が落ちてきた。いやに重みのある大粒の雨だった。
反射的に腕を見ると、雨の跡が黒い斑点になってべったりと残っている。
黒い雨?
どうやら上空に飛散した火山灰がスコールに混じって降ってきたらしい。
僕らが慌てて車の中に避難すると、すぐに本格的な土砂降りになった。たちまちランドクルーザーの窓が真っ黒に染まり、まったく外が見えなくなってしまった。火山灰を含んだ重たい雨粒がバラバラと車体を叩く音だけが暗い車内に響いた。
雨が止むのを待ってから、海岸に向かった。地熱によって海水が沸騰している場所があるという。
「この温泉水は肌にいいんだ」と地元のガイドは言う。「虫さされにやられた足がたちどころに治る。あんたも足をつけてみたらいい」
こんなところで足湯ができるなんてすばらしい。さっそくサンダルを脱いで海水に足を浸けてみた。
あちちっ。熱湯だ。
「あぁ、そこは熱すぎる。65度はあるからな。入るんだったらあっちの方がいい」
そういうのは先に言ってくれないと。
海に近いところに、ちょうどいい湯加減の場所があった。足をザブザブと浸けてみる。すごく気持ちいい。何となく効能がありそうな気もする。以前、日本の露天風呂ライターがやってきたこともあるそうだ。
正面に見える火口からは相変わらず噴煙が盛大に噴き出ている。雷も負けはいない。フラッシュライトが灰色の山肌を明るく照らし出す。
地獄というものをまだ見たことはないが(当たり前だ)、きっとこういう光景だと思う。少なくともそれは僕が今まで目にした中で、もっとも地獄に近い光景だった。
「地獄みたいだって?」とガイドが不満そうに言う。「ノー、ここは天国だよ。灰色の天国だ」
もちろん火山にもカメラを向けたが、あとで写真を見直してみてがっかりした。
こんなんじゃない。あの場で感じたスケール感はこんなものではない。
どこまで行っても灰色一色に塗り込められた世界、大地を揺るがす音、火山ガスのかすかな臭い、ざらざらとした雨の感触。火山には五感すべてに訴えかけてくる強い力があった。
何万メートルもの地底に潜むマグマのエネルギーが何百万年もの時間をかけて作り上げた風景は、僕らの日常とはあまりにもかけ離れていた。その圧倒的なまでのスケール感を写真に納めることは、僕の力では不可能だった。
その場に居合わせない限り味わえない体験というものがある。テレビではダメだ。写真でもダメだ。
だからこそ、僕らは旅に出る。
おそらく喜ばしいことなのだ。むき出しの自然が持つ力を前にして感じる無力感は、僕がまだこの世界のごく一部しか見ていないのだということを思い知らせてくれるのだから。
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