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ベトナム北部では様々な少数民族に出会ったが、その中でもっとも印象深かったのが、カオバン省にあるティントゥックという町の近くに住む女たちだった。彼女たちはもんぺのように裾のすぼまったズボンを履き、腰にエプロンのような布を巻き、頭にタオルを被って農作業を行っていた。
少数民族の写真を撮るのは容易なことではないのだが、彼女たちは比較的オープンな性格らしく、僕がカメラを向けるとニコニコと笑ってくれた。久しぶりにいい笑顔に出会えたな。そう思いながら何回かシャッターを切ったのだが、その笑顔に何となく違和感があった。屈託のない笑顔なのに、何だか少し怖いのだ。
原因は眉毛にあった。彼女たちには眉毛が一本も生えていなかったのだ。まるで昔のヤンキーのように眉の部分がツルツルなのである。それだけではなかった。頭の毛も全く生えていなかったのである。頭にタオルを被っているのであまり目立たないのだが、隙間から覗く頭皮はやはりツルツルだったのである。
最初はお坊さんのようにカミソリか何かで剃っているのだろうと思ったが、そういうわけでもなさそうだった。髪の毛を剃ったあとに見られるはずの黒い点々(毛根の断面)が、彼女たちにはなかったのだ。
もしかしたら「剃っている」のではなくて「抜いている」のではないか。そう思って彼女たちの頭皮を見直してみると、やはり細い毛が数本ちょろちょろと生えているのが見えた。それは髪の毛があらかた抜け落ちた老人のようにか細い毛だった。
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毛のない女たちは畑を耕し、牛の糞を混ぜた堆肥をまいて、種蒔きに備えていた。 |
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つまりこういうことだ。この民族の女たちは幼い頃から眉毛や頭髪を一本一本抜き続けてきた。そのせいで毛根が死んでしまい、何も生えなくなっている。そう考えるのが自然だった。
あとで聞いたところによると、やはりベトナム北部には毛髪を抜く習慣を持つ民族がいるらしい。なんでも「昔、村の女が髪の毛が入ったスープを誤って飲んでしまい、それが原因で死んでしまった。それ以来、その村では女が髪の毛を伸ばすことがタブーになった」という言い伝えがあるのだそうだ。
僕が出会った女たちが、この言い伝えを知っているのかどうかはわからない。おそらく何世代も前から始まったタブーだろうから、今となっては彼女たち自身にも毛を抜く理由はわからないのかもしれない。
美意識や文化とはそういうものだ。もともと何かの理由があって始まった習慣が、時代を経るつれて、その理由ではなく形式やタブー意識だけが受け継がれることになる。おそらく今の彼女たちには、毛を抜くことが「おしゃれ」だという意識の方が強いのではないかと思う。毛がないことが美しく、毛があることが醜い。それがこの民族の美意識になっているのだ。
その美意識がヘンであるとは誰にも言えない。仮に彼女たちが「ヘン」であるとすれば、僕らだって同じように「ヘン」なのだ。例えばわき毛である。一般的に、おしゃれを意識する日本人女性のほとんどが、わき毛を剃るか脱毛処理をしている。吊革につかまっている20代の女の子のわきの下がフサフサだったら、たいていの人はぎょっとするはずだ。しかしそこには肉体的な必然性はない。漠然と「女のわきはツルツルなもの」という意識が共有されているに過ぎない。実際、世界にはわき毛を剃らない女性がたくさんいるし、彼女たちは何も困っていない。
反対に「髪は女の命」なんて言葉もあるくらい、日本人女性にとって毛髪は自分の美しさを引き立てる重要な要素である。編んだり、縮れ毛にしたり、刈り上げたり、長く伸ばしたり、違う色に染めたり、様々に工夫を凝らしている。しかしそのヘアスタイルも、そのときの流行によって大きく変わりうるものである。流行に決まった方向性があるわけではないし、そこには合理性などは一切ない。あるときはショートカットが流行り、その数年後にはワンレンが流行った。今の時点で、50年後の日本で流行っている髪型を自信を持って予測できる人なんて、誰もいないはずだ。
要するに「美の基準」というのは実に気紛れでローカルなものなのだ。それを「毛のない女たち」は教えてくれている。女らしさも男らしさも、美しさも醜さも、育ってきた文化によってまるで違うのである。
その一方で、本来はバラバラだった「美の基準」が急速に均質化されているのも事実である。移動手段とメディアの発達によって異なる文化に触れる機会が増えるにつれて、自分たちのあいだだけで通用していた「美の基準」が、他者の目にもさらされるようになったのである。
このようにしてふたつの異なる「美の基準」がぶつかり合ったとき、通常はより力を持っている方の基準が新しいスタンダードとして採用されることになる。欧米人の誰かが勝手に始めた「ミス・ユニバース」が、あたかも世界中の女性美のスタンダードであるかのように受け取られている現状を見れば、それがよくわかる。反対に「毛なし文化」が全ベトナムに、あるいは全世界に広がることはまずあり得ない。それは彼女たちが圧倒的な少数派だからだ。
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今まで自給自足的に暮らしていた山岳少数民族の人々も、町で他の民族と交易をするようになったり、電気が通ってテレビを見るようになることで、他者の「美の基準」を知るようになるだろう。それによって彼女たちは民族衣装を脱ぎ、ベトナム風の、あるいは欧米風のファッションに着替えるかもしれない。サパなどベトナム北西部の町では、すでにそのような変化が起こり始めているという。
この流れは誰にも止めることができないし、無理に止めるべきものでもないのだと思う。問題は変化の速さだ。少数民族の伝統や文化は、誰かが守ろうとしない限り、あっという間に失われてしまう。わずか一世代で。あるいは数年で。そして失われてから初めて、失ったものの大きさに驚き、後悔する。
世界中でそのような歴史が何度となく繰り返されてきた。伝統を「後進性」だと捉え、画一化を「進歩的」だと言って。
毛のない女たちにはそのような後悔をしてもらいたくない。できることならこの独自の文化を守り継いでいって欲しい。しかしそんな風に言えるのは、所詮僕が外部から来た旅人だからなのではないかという気もするのである。
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