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のんびりとカフェでくつろいでいるときに必ず近寄ってくるのが、宝くじ売りのおばさんである。ベトナム(特に南部)では宝くじの人気が非常に高く、町には宝くじを売り歩く販売員が溢れているのだ。
道路標識の前でバイクを止めて地図を広げているときにも、夕立が降ってきたので軒下で雨宿りをしているときにも、気がつくと傍らに宝くじの束を持ったおばさんが立っていて、「買わないか?」と言ってくるのだ。自分の一挙手一投足が宝くじ売りたちによって監視されているんじゃないか、という気がするほどだった。
特にひどいのがフェリーの上だった。メコンデルタ地方では大小様々な川が道路を分断しているので、先に進むためにはフェリーで対岸に渡る必要があるのだが、そのフェリーの上にも大勢の宝くじ売りがいたのである。例えば乗客が50人ぐらいしかいないローカル船のデッキに宝くじ売りが5人もいるというのは、どう考えても異常である。いくらベトナム人が宝くじ好きだといっても、そんなにしょっちゅう買えるはずがない。明らかに供給過剰なのである。
また、この5人の売り子たちは商売敵なので、5人それぞれが乗客全員に対して営業をかけないと気が済まないというのも困りものだった。一人の売り子が「買わない?」と言ってきて、それに対して「いらない」と首を振っても、そのすぐあとに別の売り子が「買わない?」と言ってくるのだ。「さっき『いらない』って言ったじゃないか!」と声を荒げても無駄である。他の売り子のことなんて全然気にしていないからだ。ゆっくりと川の流れを眺めている暇もなかった。
売り子はおばさんだけではなかった。小さな子供の手を引いた中年男や、片足を引きずった裸足の少年、ボロボロの服を身にまとった老婆など、見るからに貧しそうな人々も宝くじ片手に町を歩いていた。彼らが何を言っているのか理解できなかったが、そのぼそぼそとした口調と暗い表情から、自分が置かれている不幸な境遇を訴えていることは伝わってきた。その姿は隣国カンボジアにいる物乞いによく似ていた。
ベトナムでは物乞いはほとんど見かけなかったが、その代わりに宝くじ売りが大量にいる。主催者がはじめからそれを意図していたのかは不明だが、ベトナムの宝くじは貧しい人々の働き口を増やしているのだ。元手もいらないし、完全な歩合制(売り上げの2割が自分のものになる)だから、誰もがすぐに始められる。その手軽さが売り子の「供給過剰」を生んでいるのだろう。
一度だけ、ベトナムで宝くじを買ったことがある。ヴィンロンという町のカフェでカフェダーを飲んでいるときに、そばを通りかかったおばさんから買ったのである。
宝くじ売りのマイさんはとても流暢に英語を話した。さっきも書いたように、宝くじ販売というのは社会的弱者のためのセーフティーネットのようなものだから、売り子の中に高い教育を受けた人はほとんどいない。ベトナム語の読み書きすら怪しいような人もいる。だからこそ、彼女がほぼ完璧なアメリカンイングリッシュを話したのにはびっくりしてしまった。
「あたしはアメリカ人と結婚したんだよ」とマイさんは言った。ややかすれ気味のハスキーな声だ。「あたしが17の頃だから、もう35年も前になるね。ああ、ベトナム戦争まっ盛りの頃さ。当時はアメリカの兵隊が南ベトナムにたくさん駐留していたから、私のような女もたくさんいたんだよ。結婚生活は2年続いて、息子も生まれた。でも、彼がアメリカに帰っちまって、それっきりさ。手紙すら一度も来たことがない。生きているのか、死んでいるのかも知らない。ま、今となったらどっちだっていいことだけどね。戦争が終わった直後に、一人息子が死んでしまってからは、あたしはずっと一人で生きてきたんだ。ああ、簡単なことじゃなかったさ。いろんな商売をやったよ。人には言えないようなこともね。そんなこんなで、老け込んじまったのさ」
彼女はそこまで話すと胸のポケットから煙草を取り出して、プラスチックのライターで火を付けた。パジャマ風の服から伸びる腕は南国の日差しを浴びて黒く日焼けしていたが、すげ笠の影になった顔は若々しかった。目がくりっとして愛嬌のある顔立ちである。きっと17歳の頃には近所の噂になるような美人だったに違いない。その片鱗は今でもしっかりと残っていた。
「とても52歳だとは思えないな。ずっと若く見えますよ」
と僕は言った。それはお世辞でも何でもなく、正直な感想だった。40代半ばか、それ以下に見えた。
「ありがとう。あんたみたいな若い人に言ってもらえると嬉しいよ」
マイさんちょっとだけ口の端を持ち上げて笑った。そして煙草の煙をふーっと吹き出した。その皮肉っぽい笑い方に、彼女が背負ってきた人生の重みが表れているような気がした。
「アメリカに帰ってしまった旦那さんのことを、思い出すことはありますか?」
聞いてもよいものかと迷っていた質問を、僕は思い切って口にした。このタイミングなら許されるような気がしたのだ。
「いや、今はないね」マイさんはきっぱりと首を振った。「もう昔の話だよ。30年なんてさ、大昔だよ。今じゃ戦争のことを知らない若者もたくさんいるんだからね。彼がもし訪ねてきても、お互いのことがわからないんじゃないかな。あたしもおばあちゃんになっちゃったからね」
彼女はそう言うと、また口の端を持ち上げて笑った。
僕がマイさんから宝くじを買ったのは、彼女の境遇に同情したからではなかった。もちろん当選を期待していたわけでもない。ただ、この出会いをかたちにして残しておきたいと思ったのだ。いつものようにカメラを向けることもできたが、それよりも宝くじを買うことの方が相応しいような気がした
宝くじは1枚5000ドン(38円)だった。宝くじにはカラフルなスポーツカーの絵が印刷されていた。「当選したら夢のマイカーがあなたのものに」という意味なのだろう。
「明日の朝にこのカフェに来れば、アタリかハズレかを教えてあげるよ」
「明日はもうこの町にはいないんですよ。今からバイクに乗って南に向かうつもりなんです」
「そうかい。それは残念だねぇ。もし当たったら、1億ドン(75万円)なのにねぇ」
「1枚じゃ当たらないですよ」と僕は笑った。「これは記念に買ったんです。当たっても当たらなくてもいいんです」
僕は宝くじを二つ折りにして財布にしまうと、店の前に置いていたバイクにまたがってエンジンをかけた。
「ベトナム人の運転はクレイジーだから気を付けなよ」とマイさんは言った。
「それはよく知っていますよ。ありがとう」
結局、その宝くじが当たったのかどうかはわからない。当選番号は新聞にも発表されるらしいのだが、わざわざ新聞を買って確かめる気にはならなかったのだ。まぁクジ運は良くない方だから、当たっていたとは思えないけど。
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