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オリッサ州とチャッティスガル州との州境では、昔ながらの暮らしを送る少数部族(アディヴァシ)の村をいくつも訪ねながら旅を続けた。牛糞のにおいがやわらかく漂う集落には、独特のヘアスタイルで髪をまとめたり、顔に入れ墨を施したりしている人々が静かに暮らしていた。
村の井戸で水くみをしていた若い女性が、特に印象に残っている。彼女は頭の上に金属製の水瓶を載せ、少しはにかんだ表情でこちらを見つめてくれた。そのつややかな褐色の肌と鮮やかなスカイブルーのサリーとの組み合わせが絶妙だった。その場を支配する光のニュアンスも完璧だった。
こんな美しい人にいつどこで出会えるかは全くわからない。だから旅は面白い。素敵な偶然に巡り会うためには、とにかく歩き続けるしかないのだ。
バスタール近郊を走っているときに出会ったのは、色とりどりの布が風に舞う光景だった。お祭りでも開かれているのかと思って近づいてみたのだが、実は女たちが洗濯したサリーを風にさらして乾かしているところだったのである。
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僕は急いでバイクを降りて、女たちと笑顔をかわしながらシャッターを切った。少数部族の女性はシャイな人が多いのだが、このときはたくさんの女が一堂に会していたからなのか、僕がカメラを向けても誰も顔を背けたりしなかった。
それは彼女たちにとって、ごくありふれた日常のひとコマに違いなかった。しかし部外者の僕にとっては、かけがえのない美しい光景に感じられた。
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オリッサ州ジャイプール近郊にある小さな村で「占いババ」に出会った。「ババ」とは「父」を意味する言葉で、尊敬すべき男性を呼ぶときに使う敬称である。その占いババは付近の村からも相談者が訪れ、いつも的確な答えを出してくれることで知られた地元の有名人なのだそうだ。
ババに寄せられる相談は多岐にわたる。精神的なものだけではなく、病気や犯罪に関することや、家庭の問題にも答えてくれるという。恋愛や人間関係の悩みに特化した日本の占い師よりは、はるかに守備範囲が広いようだ。
僕が訪れたときにも、一人の男が「自転車泥棒の犯人を教えてください」という相談を持ちかけていた。
「それはババじゃなく、警察に相談するべきことではないか?」
と思ってしまったのだが、それは僕が信頼できる警察組織を持つ日本という国から来た人間だからなのだろう。ここでは警察よりも神様や占い師の方がはるかに頼りになるのだ。
ババは小刻みに頷きながら事情を聞くと、お盆の上に盛ったお米を相談者に握らせた。そして、そのお米の数を指でかぞえはじめた。それが神様の導き出した答えになるのだという。
「あと一週間待ちなさい。そうすれば犯人が見つかるだろう」
ババは低くしわがれた声で言った。まず穏当な答えである。小さな村のことだから、一週間も待てば自転車泥棒が見つかる可能性は高い。泥棒が見つからなくても、自転車だけ見つかるということも十分にありうる。
男は納得した様子で、両手を顔の前で合わせ、10ルピー札をお布施として渡した。しかし一週間待っても犯人が見つからなかったときにはどうするのだろうか?
やがて僕の順番が回ってきたので、この旅が無事に終えられるかどうかをババに占ってもらうことにした。
ババは僕にも米粒を握らせ、その数をかぞえた。
「あなたは事故には遭わない」とババは重々しく言った。「無事に旅を終えるだろう。神様はそう言っておられる」
そしてババはココナッツをひとつ割り、中の水を手のひらに受け取って飲むように指示した。ココナッツジュースはいつものようにほんのりと甘かった。
「これであなたの旅の無事は約束された。インドの神々が守ってくださるだろう」
それは外国人に対するリップサービスなのかもしれないが、悪い予言をされるよりはずっとマシだった。もちろん、この予言の当否がはっきりするのは、まだ何ヶ月も先のことである。
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旅行者があまり立ち入らないような辺鄙な場所を移動していることが多いからか、旅の途中で外国人旅行者とすれ違うことは滅多になかった。だからコラプットという取りたてて何もない町で、欧米人の二人組を見かけたときには、思わずこちらから声を掛けてしまった。
そのスペイン人夫婦は、自転車に乗って南インドを旅していた。ハイダラバードから東に向けて2週間以上も自転車を漕ぎ続けてきたという。インドを自転車で旅する外国人は珍しいので、地元の新聞記者やテレビニュースの取材も受けたそうだ。
「なぜ自転車で旅しているの?」
僕がそう訊ねると、二人は顔を見合わせて「いつもそれを聞かれるんだよ」と笑った。
「自転車が好きだからって答えるしかないわね」と奥さんのクリスティーナは言った。「そんなに大げさな旅じゃないのよ。二人揃って一ヶ月の休暇がもらえたから、インドを自転車で旅行してみようと思っただけ」
彼らはこの旅を心から楽しんでいるようだった。田舎に住むインド人はとても親切だし、外国人を騙そうとする人もいない。親切な人のお宅に泊めてもらったこともあった。
「でも、このバンピーな道はほんとに大変だったね」と夫のロバートは顔をしかめた。「お尻の皮はむけるし、歯を食いしばりすぎてアゴが痛くなったほどだよ」
ロバートはパットの入ったお尻をポンポンと叩いてから、大げさに痛がってみせた。一日8時間も自転車を漕ぎ続けていれば、尻の皮だって悲鳴を上げるに違いない。バイクに乗っている僕ですら、尻の痛みにはいつも悩まされているのだから。
「ところで、なぜ君はバイクで旅をしているんだい?」
今度はロバートが僕に質問する番だった。
「特にバイクが好きってわけじゃないんだ。でも僕の旅の目的には、こいつが一番合っていると思う」
「旅の目的っていうのは?」
「・・・ディスカバリー、かな」
それはとっさに出た言葉で、あまり深い意味はなかった。でもいったん口に出してしまうと、意外なほど説得力を持つ言葉として僕の耳に届いた。
ディスカバリー。
そう、僕は新しいインドを発見するために旅をしている。インドという国に驚かされることを求めて、バイクを走らせているのだ。
インドを発見する旅はまた、自分自身を「ディスカバー」する旅でもあった。自分を覆っているカバーをひっぺがして、目から鱗をぼろぼろと落として、自分を縛っている偏見や常識から自由になる。そのために僕は見ず知らずの土地を旅しているのだ。
インドを旅するのはもう5度目だから、見るものすべてに目を見開いて驚くということはない。次の展開が予想できるような場面も増えた。
それでもまだ、インドは僕にとって新鮮な国だった。旧市街を包むスパイスの香りや、道路を埋め尽くす牛の群や、クラクションの音量を競い合う車の列や、女たちが着こなしている服装の鮮やかさには、本当に何度でも驚いてしまう。
インドには新しい発見の余地がたくさん残されている。誰かに開けられるのを待っている宝箱があちこちに隠されている。僕はいつもそう感じている。
僕はまだインドに慣れてはいない。まだ旅に飽きてはいない。
もしかしたらそのことが、この旅における最大の「発見」だったのかもしれない。
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一本の木だけを残して周りの土を全部掘ったあと。つまり「リアル山崩し」である。目的はよくわからないのだが、木を倒さないように掘るのはかなり難しいと思う。インドは驚きに満ちている。 |
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