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ネズミってどんな味?
モンユワの市場には「焼き鳥」ならぬ「焼きネズミ」が売られていた。最初は何の肉なのかわからなかった。四本足の小動物なのはわかるが、これは一体何だろう?
「これって何の肉?」
売り子のおばちゃんに聞いてみると、
「チュエだよ」と言う。
「チュエって何?」
「チュー、チュー」
とおばちゃんは鳴いた。やっぱりね。これはネズミの肉だったんだ。
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ずらっと並べられた焼きネズミ。見た目はあまりうまそうではないが・・・ |
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おばちゃんによれば、このネズミは飼育されているものではなく、地面の下の巣穴に手を突っ込んで捕まえてきたものだそうだ。野ねずみである。それをばっくりと開いて、タレを塗ってから炭火で焼く。
「ネズミは一番安い肉だから、よく食べるんですよ」
市場に買い物に来ていた女性教師が教えてくれた。
小さなネズミは1匹100チャット(10円)、大きなネズミは3匹で1000チャット(100円)だという。
せっかくなので、食べてみることにした。僕は決してゲテモノ食いではないのだが、地元の人が好んで食べているものなら、特に抵抗なく食べることができる。
おばちゃんは熱心に大ネズミを勧めたが、僕が買ったのは小ネズミの方だった。どんな味かもわからない肉をがっつり食べるわけにもいかない。まずは小さなもので味見をしようと思ったのだ。
焼きネズミは頭がそのまま付いているからかなりグロテスクな見た目だった。しかし僕の期待(?)に反して、味は普通だった。肉質は鶏肉に似ていて、思ったほど臭みもない。
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ずらっと並べられた焼きネズミ。見た目はあまりうまそうではないが・・・ |
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ただし食べるところがあまりにも少ないのが難点だった。ほとんどが骨なのだ。
「だから大きい方を買えって勧めたじゃないか」
おばちゃんが言った。大きなネズミの方がお腹にしっかり肉が付いていて食べ応えがあるようだ。
わかりました。次買うときは大ネズミにしますよ。
ネズミと違って、ウサギの肉はちゃんと食べ応えがあって美味しかった。これもローカルの食堂でごく普通に出てきたものである。こちらもやはり食用に飼育されたものではなく、その辺の草原で捕まえた野生のウサギだという。ウサギ肉は鶏肉や豚肉よりも高級で、もも肉一本が700チャット(70円)もした。味はやっぱり鶏肉に似ていた。
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こちらはウサギ肉。フライド・チキンならぬフライド・ラビット。 |
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世界一の仏像を「見仏」する
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世界一背の高い仏像「レーチョン・サチャー・ムニ」。内部工事が完成した暁には、エレベーターでてっぺんまで登れるようになるという。 |
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モンユワから30キロほど離れたところに「世界一背の高い仏像」があると聞いたので、行ってみることにした。ボディ・タタウン村にあるこの仏像(レーチョン・サチャー・ムニ)は高さが115.8mもあり、台座を入れると129.2mにもなる。
確かにデカい。ものすごく高い。あまりにも背が高すぎて、足下から見上げると仏様の顔がよく見えないほどだ。
しかし「世界一」を名乗る大仏だというのに、訪れる人はまばらだった。それもそのはず、この大仏は2012年に外観が完成したばかりなので、ミャンマー人にもまだあまり知られていなかったのだ。
アクセスも不便だ。マンダレーからだとバスで3時間以上かかるし、周りに何もないど田舎に建てられているので、よほど熱心な信者か大仏マニア(?)でもなければ、わざわざやってこようとは思わないのである。
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世界一高い仏像の前には、巨大な涅槃仏(シュエターリャウン)が横たわっている。こちらは全長111m。 |
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周りになにもない田舎に作られているから、見仏する人は少ない。 |
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この大仏が偉いのは、入場料を取らないところだ。「馬鹿デカいものを作れば、観光客がわんさかやってくるし、お金がどんどん稼げる」というどこかのタワーのようなセコい考えは一切ない。太っ腹なのだ。
これだけのものを作るために一体どこだけのお金が必要だったのかはわからないが、建設費はすべて信者からの寄付でまかなわれている。これはミャンマー人にとってごく当たり前のことである。町でよく見かける黄金のパゴダも、商売で成功した人たちからの寄進で建立されているのだ。
それにしても、いったい誰がなぜ「世界一の大仏を作ろう」なんてことを思いついたのだろうか。むやみに巨大な建物やモニュメントを見上げるたびに感じてしまう疑問である。エジプトのピラミッドにしても、カンボジアのアンコールワットにしても、インドのタージマハールにしても、その建設のためにかかった膨大な時間と労力とお金に見合うだけの何かを立案者は得ることができたのだろうか?
強烈な信仰心というのは、ある種の狂気をはらんでいる。この大仏にも「世界を広く見渡して、平和と安定を守る」という意味が込められているというのだが、そんなものはおそらく後付けの理由でしかない。
とにかくでっかいものを作りたいんだ。
その思いは理屈ではなく、心の底からわき上がってくる熱情から生み出されたものであるはずだ。
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世界一の大仏から6キロほど離れた場所にあるタウンボッデー寺院。1300年頃に建てられたという古いお寺だ。金色の尖った塔が林立した針山のような姿がユニークだった。 |
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