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ヤンゴンを抜けてバゴーへ向かう
ミャンマーをバイクで一周するにあたってもっとも心配していたのが、ヤンゴンをいかにして通過するかという問題だった。
アジアの都市には珍しく、ヤンゴン市内はバイクが全く走っていない。バイクの通行が法律で禁止されているからだ。しかしパテインから東に進んでバゴーへ抜けるためには、どうしてもヤンゴン市内を通らなければいけない。ヤンゴン川を渡る橋は1ヶ所しかないからだ。
もし警察官に止められて「引き返せ」と言われたら為す術がない。
はてさて、どうなることやら。
緊張と不安を抱えながら、僕は橋を渡った。
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ヤンゴン市街から巨大な仏塔シュエダゴン・パゴダを望む |
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バイクの通行が禁止されているヤンゴンでは、バスが主な交通手段だ |
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ヤンゴン市内はひどく渋滞していた。もちろん自動車やトラックばかりである。しかしごくたまにバイクとすれ違うこともあった。どうやら「バイク禁止」はそれほど徹底されているわけではないようだ。
「法律では禁止されているけど、バイクに乗っている人もいるよ」
と教えてくれたのは、僕が道をたずねたタクシーの運転手だった。
「まぁたまに警察につかまることもあるようだが、ここはミャンマーだからな。わかるだろ? 賄賂を渡したらお咎めなしってことさ」
幸いなことに、ヤンゴン市内を出るまでのあいだ、僕が警官に止められることは一度もなかった。交通整理をしていた警官とも目が合ったし、パトカーが後ろから追い抜いていったこともあるが、特に何も言われなかった。「案ずるより産むが易し」の言葉通り、僕の心配は杞憂に終わったのだった。
黄金のパゴダを巡る
バゴーには有名な観光地がいくつもあった。
この町のシンボルであるシュエモードー・パゴダは114mもの高さがある巨大な仏塔で、ヤンゴンのシュエダゴン・パゴダよりも高い。「ミャンマー三大パゴダ」のひとつだそうで、その迫力は群を抜いている。天を突く黄金の仏塔と、空を覆う様々な形の雲は、実に絵になった。
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シュエモードー・パゴダは114mもの高さがある巨大な仏塔 |
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マハーゼディー・パゴダは土台部分が白くて美しい仏塔だ。ここは仏塔を取り囲む参道までバイクが入れるのだが、僕がバイクを参道の脇に止めて歩き出した途端、物売りのおばちゃんから「ここは裸足よ!」と注意された。ご、ごめんなさい。忘れてました。僕は慌ててサンダルを脱いだ。
でもどうしてバイクで走るのはOKなのに、サンダルで歩くのはダメなのだろうか。その理屈がどうもよくわからない。こういう理不尽さは、あちこち牛の糞だらけなのに土足厳禁の原則だけは忠実に守っているインドの寺院とも共通していた。「神聖な境内を土足で汚してはならない」というのがそもそもの理由なのだろうが、それだったらバイクや車も通行禁止にするべきだと思うのだが。
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マハーゼディー・パゴダは土台部分が白くて美しい仏塔 |
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もっとも多くの観光客を集めていたシュエターリャウン寝仏は、全長55mもある巨大な涅槃仏だ。涅槃の境地に達し、肘をついて横たわっているお釈迦様の顔は、例によってとてもくっきりして、どこか漫画チックである。親しみを持ちやすいお顔とも言えるが、どこかしらユーモラスだ。ここはタイ人観光客がとても多くて、あちこちからタイ語が聞こえてきた。巨大な涅槃仏というのはタイ人の琴線に触れるもののようだ。
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シュエターリャウン寝仏は全長55mもある巨大な涅槃仏 |
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このシュエターリャウン寝仏は、アンコールワット遺跡と同じように王朝が滅んで都が放棄されたあと密林に覆われていて、最近までその存在が忘れられていたという。それだけ自然が持つ力が強大だということなのだろう。それにしても55mもの巨体が、誰にも知られずに何百年も身を隠していたというのは、日本人にはなかなか信じられない話だ。
寝仏殿の入り口には、片言の日本語を話せる物売りの青年がいた。彼が手にしていたのは、ミャンマー各地の観光名所を一堂に集めた20枚綴りの絵はがきだった。印刷の質もなかなか良さそうだ。
「おにいさん、これ絵はがき。20枚で500円。やすいね」
こうしたお約束の台詞を聞くのは久しぶりだった。以前はアジア各地で頻繁にこうした物売りに会っていたはずなのだが、僕がバイクで旅をするようになって、観光地に行かなくなったので、出会う機会がなくなってしまったのだ。
なんだかとても懐かしい気持ちになった。何より彼が僕のことを日本人だと認識してくれたのが嬉しかった。今やすっかりミャンマー人に同化していて、どこに行ってもビルマ語で声を掛けられる日々だったからだ。
現地に溶け込めていいじゃないか、と思う人もいるかもしれないが、決してそんなことはない。現地語も話せないのに見た目だけ同化しても、困ることの方が多いのだ。しかしこればっかりはもう諦めるしかない。バイクで旅をしている以上、(いくら日焼け止めを塗っても)真っ黒く日焼けするのは避けられないし、日焼けしてしまえばミャンマー人と日本人の見た目の差など微々たるものでしかないのだ。
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B級グルメの宝庫・バゴーで食べたチキンライス。香ばしいチキンがご飯にどっさり盛られ、その上から甘辛いタレがかけられている。スープ付きで1000チャット(100円)と安く、ボリュームも満点だった。 |
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バゴーのカフェでは南インドの地域料理であるドーサを食べることができた。発酵させた豆粉を生地に使った本格的なドーサは焼きたてが最高にうまかった。しかも1枚200チャット(20円)ととても安かった。 |
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ドーサを焼いていたインド系のおばさん。おそらく南インドから移住してきた一族の末裔なのだろう。 |
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経済成長の代わりに得たもの
バゴーの町にはたくさんのパゴダがあった。あっちにパゴダ、こっちにもパゴダ。僧院の数も多く、もっとも大きな僧院には1000人以上の僧侶が住んでいるという。
壮麗なパゴダや金箔に覆われた仏像、大きな僧院とそこで暮らす僧侶たち。ミャンマー人が仏教を支えるために注ぎ込んでいる富は莫大なものだ。これだけの資金と資源を道や橋などの公共インフラや民間の経済活動に回していれば、この国はもっと豊かになり、人々の生活レベルも格段に向上していただろう。
しかしミャンマー人はそういう道を選ばなかった。「選びたくても選べなかった」というのが本当のところなのだろう。国際社会からの経済制裁が長く続いたことによって国内経済が停滞し、これといった産業が育たなかったために、仏教以外に有効なお金の使い道が見いだせなかったのだ。
結果的に、ミャンマーは経済的な発展から取り残されてしまった。隣国タイとは目がくらむほどの差をつけられている。今後その差は埋まっていくだろうが、出遅れを取り戻すのは容易ではないだろう。
しかしミャンマーの人々が経済成長の代わりに得てきたものも、決して少なくはないのだと思う。
たとえばそれは僧院の中に流れる穏やかな空気であり、何かに向かって祈る真摯な姿勢である。
ミャンマーの人々は日常的に祈り、瞑想することで、自らの心を豊かに耕してきた。
物はないけど心は豊かなんだ。そう胸を張って生きてきた。
稼いだお金の額でその人の価値が決まるわけではない。
古いものをうち捨て、新しいものを取り入れることだけが「進歩」ではない。
そうした心持ちこそがミャンマー人らしさなのだと僕は思う。
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