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塀の高い工場を撮るコツ
工場で「はたらきもの」を撮るときの鉄則は、「塀の低い所を狙う」ことだ。工場を取り囲む塀の高さは、そこが外部の人間を受け入れてくれるかどうかのわかりやすい判断材料になる。要するに高い塀で囲まれているような大工場は、ほとんどの場合撮影が困難なのだ。
実際に現場で汗を流して働いている人々の反応は、工場の大小に関係なくほぼ同じだ。
「俺たちを撮ってくれるのかい?」
「じゃあ、こっちでポーズを取ってやるよ」
「次はこいつも撮ってやれよ」
そんな好意的なリアクションが返ってくることが多い。インド人(特に男性)は基本的に写真に撮られることが好きだし、それは大工場の従業員であっても変わらない。
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実は撮られるのが大好きで、わざわざ巻いていたバンダナを脱いで、ポーズまで取ってくれた。 |
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問題は管理職だ。マネージャーや工場長といった人々は写真撮影にいい顔をしない。これはまぁ、彼らの立場を考えれば当然なのかもしれない。企業秘密を知られるのを恐れているわけではないだろうが、部外者が勝手に内部に入るのを許せば、彼らの責任問題にもなりかねないからだ。想定外の事態はすみやかに排除する。だから得体の知れない外国人を見つけると、「すぐに出ていけ!」となるのだ。
タミルナドゥ州南部にあるセメント工場も、高い塀を持つ大工場だった。正面切って入ろうとすれば、すぐにマネージャーがすっ飛んできて、つまみ出されてしまうだろう。しかし幸いなことに、僕が訪れたのはちょうど一日で一番忙しい時間帯で、セメント袋を担いだ男たちがひっきりなしに出入りしていたので、彼らの列にうまく紛れてこっそりと工場内に潜入することができたのだった。
工場の中は別世界だった。セメント袋を積み卸すときに出る粉塵がもうもうと舞い上がり、数メートル先の視界も効かないほど。働く男たちは粉塵を被って全身真っ白だった。もちろん僕も(そしてカメラも)彼らと同じように真っ白になってしまった。ヤワなカメラだったら故障の原因にもなりかねない。
しかしその光景は、リスクを冒してでも撮る価値のあるものだった。何十人もの男たちが重いセメント袋を担いで行き交う様は、12億もの人口を抱えるインドという国を濃縮したような荒々しさに満ちていた。それと同時に、粉塵によって色彩を吸い取られた現場には、古いモノクロ映画を見ているようなノスタルジーが漂っていた。
それは僕が心から求めているシーンだった。
本物の光と本物の闇が、そこにはあった。
僕は光の粒子をひとつひとつすくい取るようにして、必死にシャッターを切り続けた。
工場内にいられたのは、わずか10分間だった。予想していた通り、闖入者がやってきたと知ったマネージャーが血相を変えてすっ飛んできたのだ。
「お前は許可証を持っているのか?」
と詰問されたので、
「ノー」
と正直に答えると(ただの通りすがりだから許可証なんて持っているはずがない)、有無を言わさずつまみ出されてしまった。「撮影したデーターを消せ」とまで言われなかったのは幸運だった。わずか10分でも、僕にとっては十分すぎる時間だった。
粗い粒子の光
ウッタルプラデシュ州東部の町にあったセメント倉庫は、貨物列車で運ばれてきたセメントをトラックに直接積み込むための施設だった。幸いなことに、ここには口うるさいマネージャーもおっかない工場長もいなかったので、じっくり時間をかけて撮影することができた。
頭の先からつま先まで埃にまみれて働く男たちは、実にカッコ良かった。
もうもうと舞う粉塵。明かり取りの窓から差し込む粗い粒子の光。重厚な貨物列車のたたずまい。男たちの汚れた顔。全てが印象的だった。
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過酷な肉体労働の現場そのものでありながら、男たちが向けてくれた笑顔は爽やかだった。
そこには日々をたくましく生き抜く人々の確かな充足感が浮かんでいた。
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