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失われゆく仕事を撮る
日本や中国などと比べると、インドという国は変化のスピードが遅い。農村出身の若者が職を求めてどっと都会に押し寄せ、それまでの社会構造を一気に変えてしまうような劇的な変化は、インドではまだ起きていないし、おそらくこれからも起きないだろう。
変化するにしてもゆっくり時間をかけて行うというのが、インド人の好むやり方だ。「血縁」や「カースト」や「宗教」といった人々をコミュニティーに縛りつける重しはそう簡単にはなくならないし、かつてほど強固なものではないにしても、親の職業を子が受け継ぐという伝統は今もなお多くのインド人の生き方の指針となっているからだ。
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川の水で水牛を洗う男。水牛は暑さに弱く、朝と夕方に水に浸かって体を冷やさないといけない。 |
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収穫した稲を牛に踏ませて脱穀する。昔ながらの方法だ。 |
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しかしたとえゆっくりであっても、インドの農村が姿を変えつつあるのは間違いない。テクノロジーの進歩や経済発展に伴って、かつては必要とされていた仕事が要らなくなったり、仕事のやり方ががらりと変わったりすることは、インドでも決して珍しくはないのだ。
僕が「はたらきもの」を撮るときに考えているのは、「この仕事が10年後も残っているのか?」ということだ。
もしそれが数年経たないうちに姿を消してしまうような「失われゆく仕事」であるなら、僕がいま写真に記録して、後世に伝えなければいけない。それが一人の写真家として僕が果たすべき責務なのだと思っている。
疲れを知らないマシンは
タミルナドゥ州のバンタミリという町の近くには、牛を使って田んぼを耕す老人がいた。二頭の牛にスキを引かせて、田植え前の代掻きを行っていたのだ。
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あぜ道には等間隔に椰子の木が植えられ、田んぼの水面が日の光を受けてきらきらと輝く。絵になる光景だ。 |
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老人はときどき牛たちを休ませながら、時間をかけて田んぼを耕していた。時間なんていくらでもあるんだと言わんばかりに。
実際、彼をせかす人は誰もいなかった。自分のペースでのんびりとやればいいのだ。何十年も前からずっとそうしてきたように。
しかし隣の田んぼは様子が違った。牛の代わりに大型トラクターが入り、圧倒的な速さで代掻きを行っていたのだ。大きな爪のついた車輪が高速で回転しながら、土を深く掘り起こしていく。疲れを知らないマシンは、牛とは比べものにならないほどスピーディーに仕事を終えていく。
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トラクターの周囲には白いサギの群れが飛び交っていた。田んぼの中に潜んでいるミミズや昆虫を捕まえるチャンスをうかがっているようだ。 |
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牛を使った代掻きは、この地域でも滅多に見かけない存在、「失われゆく仕事」になってしまった。ざっと見たところ、9割近くの田んぼはトラクターを入れていた。稲の収穫や脱穀作業にしても、大型コンバインであっという間に終えるやり方が主流になっている。
農業の機械化と省力化は、今後も続くだろう。そして人手がかからなくなった農業から、製造業やサービス業へ雇用の重心が移っていく。その流れを止めることは誰にもできないし、また止めるべきでもないのだと思う。
その結果、何世代、何十世代にも渡って受け継がれてきた仕事が、ひとつまたひとつとその役目を終えることになるだろう。素焼きの水瓶を手作りする姿や、米の脱穀作業を風と共に行う光景も、やがては過去のものになっていくはずだ。それは寂しいことだと思う。たとえそれがどうしようもない時代の流れだとしても。
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脱穀したもみ殻を風にさらしてゴミを飛ばす。何百年も前から変わらない収穫期の風物詩だ。 |
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ここではトラクターで扇風機を回して風を送っている。伝統のやり方に少しアレンジを加えているのだ。 |
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「はたらきもの」は誇るべき伝統文化として取り上げられることも少ないし、聖地や観光地のようにフォトジェニックというわけでもないから、彼らに注目する人はほとんどいない。なにしろ当の本人たちでさえ「なんで俺たちを撮るんだ?」と不思議そうな顔をするぐらいだから。
だからこそ、僕は「はたらきもの」を撮っている。
失われゆく仕事を今ここで記録できるのは自分しかいない、と信じているからだ。
永遠に失われてしまってからでは、もう遅いのだから。
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粘土をこねて素焼きの水瓶を作るラジャスタンの男。何十年も同じ仕事を続けてきた人だけが持つ、分厚い手だった。 |
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牛の力ではなく、人力で代掻きを行う田んぼもあった。これもやがて消えゆく仕事のひとつだろう。 |
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