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痛すぎる祭りの結末は
カルナータカ州北部にあるビジャープル近郊で行われていた祭りは、僕がインドで遭遇した祭りの中でももっとも刺激的なものだった。
まず目を引いたのは、男たちの鮮やかな衣装だった。カラフルなターバンを頭に巻き、いくつもの数珠を首にぶら下げ、右手には鉄の刀を握りしめている。どうやらこれは伝統的な戦士のスタイルのようだ。
祭りは男たちの歌で幕を開ける。太鼓とラッパの賑やかな音に合わせて、大声を張り上げるのだ。インドの祭りには景気づけの歌が欠かせないのである。
それから二人の男が列の前に進み出て、手に持った剣をぶんぶんと振り回しながら踊る。見守る観客に当たりそうなぐらい激しく剣を振り回す。これは戦闘を真似た儀式のようだ。
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続いて先の尖った鉄の棒を持った男が登場する。彼はライムで鉄棒を消毒すると、それを迷うことなく自分の腕に突き刺した。
イタタタ。見ているこっちが顔をしかめたくなるような光景だった。棒が貫くのは腕の皮膚の部分なので、血はほとんど流れないのだが、それでもかなり痛いのは確かだ。子供の頃にかかとで画鋲を踏み抜いた瞬間を思い出してしまった。
「こんなのまだ序の口さ」
僕の耳元でそう言ったのは、ニコンの一眼レフカメラを持ったカメラマンだった。彼は証明写真やウェディングフォトを撮るスタジオを経営しながら、地元でニュースになりそうな出来事が起きればすぐに駆けつけて新聞に投稿しているという。インドの地方紙は彼のような「兼業記者」によって支えられているのだ。
「これからが本番だ。すごいのが始まる。いいか。カメラを構えてよく見ておくんだ」
集まった人々が固唾をのんで見守る中、僕の想像をはるかに超えたすさまじい儀式が始まった。先ほど腕に突き刺していた棒とは比較にならないほど太い鉄棒を、なんと舌の真ん中に突き刺したのである。直径1センチほどもある太い棒が、男の舌を貫通して、上へ上へと伸びていく。すごすぎて言葉にならない。奇術か手品のような光景だが、これにはタネも仕掛けもない。フィジカルな痛みを伴う現実なのである。
それにしても彼の舌は大丈夫なのだろうか。よく「舌をかみ切って自殺する」なんて話を聞くではないか。あんな太い棒を舌に突き刺したりしたら、出血多量で死んでしまうのではないか?
そんな心配をよそに、男はさらに力を込めて棒を突き刺していった。「一度始めた儀式は何としてでもやり遂げねば」という使命感が彼を支えているのだろう。その様子をまわりで見守る観衆は、男が受けている痛みを分かち合うかのようにみな辛そうな表情をしていた。
鉄棒は長さが3mほどもあるので、全てを貫通させるのに5分以上の時間を要した。ようやく鉄棒が舌から抜けると、男は精根尽き果てた様子で両脇を仲間に抱えられ、地面に座り込んでしまった。
ここで登場したのは、やはりライムだった。気を失いそうになった男にライムの果汁を与え、その酸っぱさで気持ちを奮い立たせようというのだ。「三色の鬼の祭り」でも見たように、南インドの人々にとってライムは万能薬のような存在なのだ。実際この祭りでも鉄棒を消毒するのにもライムが使われていたし、神像を洗い清めるときにもライムを使っていたのだった。
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ぐったりとした様子の男。傍らにはライムを持った男がいる。 |
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「舌は大丈夫なの?」
苦悶の儀式が終わったあと、道ばたに座って休んでいた男に声を掛けてみた。ライムのお陰なのか、彼の表情はすっかり元に戻っていた。
「あぁ、問題ないさ」
男はそう言うと、長い舌をぺろっと出して、僕に見せてくれた。舌には大きな穴があいていた。それはさっき出来たばかりの新しい傷ではなかった。ピアス穴のように長年にわたって異物を挿入し続けた結果、傷口がふさがることなくドーナツみたいな穴になっていたのだ。
おそらく彼は若い頃から何度となくこの「舌に棒を通す儀式」を続けてきたのだろう。それによって常人とは違う「特別な舌」を持つに至ったのだ。だからあの壮絶な儀式も、見た目ほど痛くはないのかもしれない。血も流れないし、傷口が化膿することもないから、危険も少ないのかもしれない。
しかし最初は絶対に痛かったはずだ。血もたくさん流れただろうし、失神したかもしれない。それでも彼はやり遂げたのだ。一度ならず何度も繰り返し舌に棒を通し続けたのだ。
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歌をうたう男の舌にも穴があいていることに注目。彼も鉄棒を突き刺し続けたことで、特殊な舌を持つに至ったのだ。 |
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彼がどのようにして柔らかく繊細な舌に鉄の棒を突き刺したのか、知りたいと思った。どのような理由でそれを始め、どんな気持ちでやり遂げたのか。どれほどの痛みだったのか。しかし言葉の壁もあって、詳しいことは聞けずじまいだった。
仮に言葉が通じたとしても、彼の気持ちを理解するのは難しかったと思う。まだ嗅いだことのない匂いや、味わったことのない味、聞いたことのない音を理解できないのと同じように、生まれてから一度も経験したことのない痛みを理解するのは、おそらく不可能なことなのだ。
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