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しつこすぎる子供への対処法
旧市街を歩いているときに僕を悩ませるのが、しつこすぎる子供たちの存在である。「ねぇ写真撮って!」と元気いっぱいに近づいてくる子供たちを撮るのはとても楽しいのだが、「撮ってくれ」という圧力があまりにも強すぎると、収拾がつかなくなってしまうのだ。撮影の邪魔をする子供もいる。僕がカメラを構えると、すかさず構図に入り込んで、せっかくのシャッターチャンスをフイにしてしまうのだ。「どうしても写りたい」という気持ちはわからないでもないが、性懲りもなく同じ事を繰り返されると、「いい加減にしろ!」と怒鳴りたくなった。
マハラシュトラ州にあるマレガオンという街でも、下校途中の子供たちにもみくちゃにされて大変な騒ぎになった。最初は5人ほどのグループだったのに、それがあっという間に増えて、20人以上が僕の後についてくるようになったのだ。「あっちに行けよ!」と怒鳴っても、まったく効果なし。仕方なく彼らを無視して歩き始めたのだが、一度テンションが上がった子供たちは、さらに仲間を呼び、数を増やしながら追いかけてくるのだった。まるでゾンビ映画みたいに。
そんなときに頼りになるのが、チャイ屋で雑談している暇そうなおじいさんだった。「こいつらほんとにしつこくて困っているんですよ」という表情で隣に座ると、必ず大声を出して追い払ってくれるのだ。年長者の言うことは絶対で、よその子であっても容赦なく叱り飛ばすのがインド人の常識だから、これはサルのようにしつこい子供たちにも効果てきめんだった。
怒鳴られても言うことを聞かない子には鉄拳制裁が待っている。おじいさんが道ばたに転がっている木の棒で子供を殴るのである。殴る力も半端ではない。棒が折れるほどの力を込めて思いっきり殴るのだ。家畜以下の扱いである。ちょっとやり過ぎじゃないかとも思うのだが、インドではこれぐらいは当たり前のようだった。実にワイルドな世界なのである。
織物の街の老職人
マレガオンはインド有数の織物の街として知られている。20万台もの織機を擁し、ほとんどの住民が何らかのかたちで繊維産業に関わっている。また人口の過半数をムスリムが占めているという珍しい街でもある。貧しいムスリムが仕事を求めてこの街に集まり、低賃金の労働者として織物工場で働いているのだ。
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工場労働者の賃金は1日200から300ルピーとかなり安い。12時間勤務の2交代制という激務。騒音はうるさいし、工場内も暗い。それでも労働力が途切れることなく集まるのは、他にこれといった産業がなく、住人の多くが貧しいからだ。 |
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織物工場の労働者の多くは10代から30代までの若い世代だが、中には高齢者ばかりが働く工場もあった。そこでサリーを織る古い機械を操作していたのは76歳の男だった。
「古い機械のことは私が一番よく知っている」と老人は言った。「なにしろ君が生まれる前から、この仕事を続けているんだからね」
しかし古い機械を使い続けるのは、それほど簡単ではないようだった。工場街を歩いているときに知り合ったサジッドさんは、古い織機を維持できなくなり、泣く泣く工場を畳んだという。
「私が親から譲り受けた織機は102年前にイギリスで作られたものだった。それを8台置いて、ルンギーの生地を作っていたんだ。しかし機械も人間と同じように100年も生きるとよく故障するようになる。そのたびにメンテナンス費用がかかってね。労働者の賃金と機械の修理費を支払うと、後にはわずかなお金しか残らなかった。これじゃとてもやっていけないんで、商売を替えることにしたんだ」
最新式の織機を導入すれば、故障も少なくて済むし、生産効率も上がる。しかし新しい織機は1台12万500ルピー(25万円)もする。8台揃えるとなると100万ルピー必要だ。しかしそんな大金はどこにもなかった。効率よく儲けるためには、まず資本がいるのだ。
工場を畳んだサジッドさんは、政府から配給される食糧と灯油を地域住民に配る仕事を始めた。マハラシュトラ州政府は貧しい住民のためにほぼ無料で食料を配っている。一人あたり3キロの米と小麦、そして500mlの灯油が毎月もらえるのだ。それだけで生活できるわけではないが、それでも貧困層にとっては貴重な収入源だという。
貧しい住民が多いマレガオンの旧市街には、古道具を売る屋台が何十軒も集まる一角があった。携帯電話やテレビのリモコンなどの電気部品はもちろん、「いったい何に使うんだろう?」と首をかしげたくなるようなガラクタまで売っていた。プレイステーションのコントローラー、ドラえもんのキーホルダー、使用済みの化粧道具(アイライナー)、アナログのレコードやフィルムカメラ、小汚い古銭などである。おそらく廃品回収で集めてきた品物をまとめて売っているのだろう。どれも薄汚れていて、ちゃんと動くのかどうか怪しいようなモノばかりなのだが、新品に比べると値段が安いので、それなりに需要はあるようだ。
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マレガオンの町工場で出会った溶接工は、左手の指が6本あった。親指の付け根からもう一本指が生えていたのだ。彼のような「多指症」の患者は、日本では幼い頃に余分な1本を切断して5本にするのだが、インドではそのまま残している人が多いようだ。手術代を払う余裕がないからなのだろう。「指が6本あったって、別に不便はないよ」と彼は笑う。「まぁ手袋はうまく着けられないけどね」 |
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インドの相撲・クシュティー
インド伝統のレスリング「クシュティー」の道場を見学できたのは、全くの偶然だった。マレガオンの下町をぶらぶらと歩いているときに、屈強な体をした二人組の若者が「ここで何しているんだい?」と声を掛けてくれたのだ。
「ただ歩き回っているだけだよ」
いつものように僕が答えると、彼らは「だったら俺たちの道場に来ないか?」と誘ってくれた。
彼らが毎日通っている道場は「アカラ」と呼ばれていて、大きなモスクに隣接していた。道場にはさまざまなトレーニング道具と、1辺5メートルほどの正方形の砂場があった。砂は少し赤っぽく、倒れても怪我を負わないように柔らかく耕されていた。この砂場で行うのがインド伝統の格闘技「クシュティー」だった。
クシュティーは西洋のレスリングに似たスタイルで、相手を投げるか背中を地面につければ勝ちとなる。選手が身に着けるのはふんどし一枚のみなので、見た目は日本の相撲にも近かった。クシュティーの歴史は古く、紀元前5世紀ごろのアーリア人の南下にともなってペルシャの格闘技がインドにもたらされたのがその起源だという。
この道場には10歳から30歳までの20人の若者が所属しているのだが、最強なのは25歳のタイールだった。タイールは現役の警察官で、クシュティーの州大会でチャンピオンにも輝いたことがあるという。その体つきは屈強なレスラーそのものだった。胸板がぶ厚く、腕っ節も太い。毎日のトレーニングと牛乳のお陰なのだとタイールは言う。朝に2リットル、夜にも1リットルの牛乳を飲み続けているのだ。
練習は夜の6時から8時まで。それぞれ学校や仕事が終わってから道場に集まり、筋力トレーニングと練習試合を行う。筋トレに使われるのは「ミール」と呼ばれる棍棒だった。10キロほどの重さがあるミールを片手で振り回しながら、握力と腕力を鍛えるのだ。
練習試合はタイールの独壇場だった。他の選手よりも体格がひとまわり大きいこともあるが、体のバランスがよく、相手に後ろを取られても決して倒れないのだ。練習相手はすぐに全身砂まみれになってしまうのに、タイールの体は最後まできれいなままだった。
タイールの悩みはライバルとなるような強い選手がいないこと。最近の若者はふんどし一枚になるのが恥ずかしいらしく、年々入門者が減っているという。廃部の危機に瀕した大学の相撲部と同じような状況なのかもしれない。
今のところインド出身の力士はいないようだが、近い将来日本の大相撲を目指すインド人が出てきても不思議はないと思う。強い筋力と体幹を備え、なによりもハングリー精神があるからだ。
四股名は「太島春(タージマハル)」とか「厳地州(ガンジス)」なんてどうだろう?
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