3575 ブッダガヤに来たのは、いつだったっけ・・・
 目覚めたばかりのぼんやりとした頭で、僕はそう思った。腕時計のデジタル表示を見るが、2月27日が果たして何日目を意味するのか、僕にはわからない。長く旅をしていると、まず曜日の感覚がなくなり、次に日付の持つ意味も失われていく。それでもしばらく意識を集中して、ようやく三日前にここにやってきたことを思い出す。

 ベッドの下には、インド製蚊取り線香の燃えかすが描く渦巻き模様が三つ残っていた。それが、僕の曖昧な記憶を裏付ける唯一の物証だ。蚊取り線香の周りには、無数の蚊の死骸が落ちている。中にはまだ死にきれずに羽をばたばたさせているものもいる。
 床には空になったミネラルウォーターのボトルと、埃と汗を吸い込んでくたびれたサンダルが転がっている。両足のかかとは黒く汚れている。いくら洗っても落ちない宿命的な汚れだ。そういえば、「アジアを長く旅している者は、足の裏でわかる」と誰かが言っていたっけ。

 僕は万国旗みたいなかたちに干されたTシャツとトランクスとタオルを取り込んで畳み、荷物をまとめてチェックアウトの準備をする。蚊取り線香は折れてバラバラにならないように、タオルに包んで仕舞う。旅立ちの支度はものの10分で終わる。最後に忘れ物がないか、もう一度確認してから部屋を出る。

 宿を出て、バス停に向かって歩いていると、荷台に大きなスピーカーを乗せた小型トラックとすれ違う。スピーカーが流しているのは、インドポップスの例の甘ったるい歌声だ。ブッダガヤにいる間、何度もこの車を見かけた。宿の男は、「もうすぐ村の選挙が行われるので、ああやって宣伝をしているんだ」と教えてくれた。「○○をよろしくお願いします」という日本の連呼式宣伝カーもはた迷惑だが、このどんちゃん騒ぎも意味不明である。ただ騒々しい音楽を流すだけで、候補者の宣伝になるんだろうか。

 あまりいい思い出のないまま、僕はブッダガヤを離れようとしている。それもこれも、バンコクで謎の老人にかけられた呪いのせいだ。
「インドでは絶対に物を盗まれますよ」
 と老人は言った。そしてその言葉は、ここで現実のものとなった。

 
 

バスは国境を越えて、大都会カルカッタへ向かった

3610 バングラデシュのジェソールからバスに乗って国境の町ベナポールに行き、インドに入ったのは6日前のことだった。係官はとても愛想がよく、僕が日本人だとわかるとパスポートのことなんかそっちのけで、
「この時計はカシオなんだ。な、いい時計だろう? あんたの時計はどこ製? 日本はビューティフルだって聞いているが本当か?」
 と矢継ぎ早に質問してきた。バングラ人はどこへ行ってもこの調子らしい。でも、このフレンドリーで好奇心いっぱいのバングラ人ともお別れである。

 国境に隣接する駅で確かめると、カルカッタまでの鈍行列車は15ルピー(38円)で、3時15分に出発するという。しかし10分が過ぎ、20分が過ぎてもなかなか列車は来ない。まぁインドの列車は遅れるのが当たり前だと聞いているし、気長に待とうかと思っていると、隣にいた男が僕の時計を見て言った。
「あんたの時計は、バングラ時間じゃないかね?」
 そうだ。バングラとインドは30分の時差があるから、国境を越えると時計を戻さなくちゃいけないのだ。そうこうしていると、カルカッタ行きの列車がホームに入ってきた。ダイヤ通り、3時15分ちょうどだった。インドの列車を疑って悪かった。

 カルカッタでは、バックパッカー達の多く集まる『サダル・ストリート』に宿を取った。格安の宿はどこも満室だったので、インド人が多く泊まる少し高めのホテル(といっても300ルピー=750円なのだが)にチェックインした。ホテルの部屋には衛星放送付きのテレビがあり、CNNを見ることができた。表通りに出るとインターネット・カフェがいくつもあったので、1ヶ月ぶりにメールをチェックした。

 当たり前のことだけど、1ヶ月僕がニュースを見ないでいても世界は滞りなく動いていたし、1ヶ月僕がメールを送らないでいても特に誰も心配してはいなかった。近代文明の利器というのは、それがなきゃ生きていけないように「見せかけて」はいるものの、なくたってそう不便なものでもない。なくてはならないものなんて、本当はとても少ないのかもしれない。

 インド第二の都市であるカルカッタは大都会だった。街の中心にはパソコンを扱う店や、インド人向けの(つまり外国人ツーリスト向けではない)ネットカフェや、外資系のCDショップが建ち並び、オフィスビルや大学に向かって歩く女性の姿も多かった。それはダッカとはまるで違う光景だった。

「インドは発展しつつあるんだ」と言ったのは、ジェソールで知り合ったバングラ人のイクパルさんだった。「貧しさから抜け出そうとしている。中国だって同じだ。しかし我々のバングラデシュは発展から取り残されている」
 彼の言う通り、インドの都市部はかつての貧しく混沌とした世界から、近代化した秩序ある世界へ変貌しつつあった。カルカッタは2,30年前にヒッピー達がこぞって目指し、アジアの旅人が繰り返し描いた場所とは違う町になっていた。

 もちろん、野戦病院みたいに汚い安宿や、道端でガンジャを買わないかと声を掛ける売人や、道端の物乞いなど、当時と変わらないものもある。スラム街だって広範囲にある。それでもやはり、この街がバンコクやホーチミン市のように活気ある近代都市に変わりつつあるのは、明らかだった。

 
 

ガヤ行きの夜行列車

3590 そんなわけで、僕にとってカルカッタはあまり魅力的ではなく、ろくに歩き回らないままガヤに向かう夜行列車に乗った。列車は時間に正確で、出発も到着も時刻表と20分も違わなかった。
「いつも2時間も3時間も遅れていたのは一昔前のことだよ。今じゃだいぶマシになったね」と一緒に乗り合わせたビジネスマンが教えてくれた。「たまに脱線したり、衝突したりして死者も出るがね。それも以前に比べたら減ったと思うな。まぁこの列車は大丈夫さ」

 そう願いますね、と僕は答えた。彼は鞄メーカーの営業マンだった。僕が日本人だと知ると、今売り出し中だというジュート製の2ウェイバッグをスーツケースから取り出して、僕に見せてくれた。
「内側には防水加工がしてあって、とても丈夫なんだ。使わないときはこうやって折り畳めば小さくなる。で、これをもし日本で売るとしたら、いくらになると思う?」
「そうだなぁ・・」僕はしばらく考えて言った。はっきり言ってデザインはいまいちだったが、買い物袋にはいいかもしれない。「まぁ5、6ドルってところじゃないかな」
「5ドルね」彼は手帳にその情報を書き込んだ。「インドではこれを40ルピーで売っているんだ。1ドルだね。そうすると、これを日本に輸出すれば、4ドルの儲けになる。そうだね?」
「そういうことになりますね」
「君はその関係の人間に知り合いはいないかい? いたら教えて欲しいんだが」

 男がどこまで本気なのかよくわからなかったが、たまたま乗り合わせた旅行者にビジネスの話をするのには驚いた。あるいはインド人のビジネスマンは、どんな機会も逃さない姿勢でないと生き残れないのだろうか。
「いや、僕はただの旅行者だし、日本にもそんな知り合いはいませんよ」
 僕がそう答えると、「そうかい」と男は意外にあっさりと引き下がり、すぐに寝台に横になっていびきをかき始めた。しつこいようで諦めが早い。インド人の行動は、僕には予測できない部分が多かった。

 
 

仏教最大の聖地ブッダガヤ

 列車は朝の6時半にガヤの駅に着いた。人気の少ないプラットホームに降りると、朝の冷ややかな空気に触れて体が一瞬震えた。まだ暑気を迎える前の北インドでは、朝晩はかなり冷え込むのだ。

 駅の外にいるリクシャを捕まえて、ローカルバス・ターミナルまで行く。10ルピー(25円)。ブッダガヤまではバスで40分ほどかかる。こちらは5ルピー。バスの車体は、バングラの田舎を走るオンボロバスに勝るとも劣らないほどガタが来ているが、それでも一応は走る。

 僕は大きな荷物を抱えていたので、邪魔にならないように一番後ろの席に座った。隣にはひどく顔色の悪い男が座っていて、元の色がわからないぐらい汚れた布を頭から被って、気味の悪い咳を繰り返してた。彼の周りの空気だけ重く淀んでいた。彼に死が近づきつつあることは、隣にいる僕にもわかった。

 ブッダガヤに来たのは、ミャンマーのポッパ山で修行をする僧侶ウィザヤが、ぜひ行きなさいと勧めたからだった。
「仏陀が悟りを開いたという最大の聖地です。とても神秘的な場所だと聞いています。私も死ぬまでに一度は訪れたい。しかし私達は自由に外国に行けるわけではないのです」

3626 ブッダガヤに憧れているのは、彼だけではなかった。仏教最大の聖地というだけあって、ここには世界各国から巡礼者が集まっていた。仏陀が悟りを開いたという菩提樹の傍には巨大な仏塔が建てられ、それに向かって僧侶や信者が熱心に祈りを捧げていた。彼らは顔立ちも、身につけている衣も、祈りの様式も異なっていた。何人かのグループでタイからやってきた僧侶がいるかと思うと、ニューエイジっぽい欧米人の若者が木陰で瞑想していたりした。

 中でも目立っていたのが、チベット人の「五体投地」という祈りだった。彼らは一畳ぐらいの大きさ板を地面に敷き、立ち上がった姿勢から腕立て伏せの要領で大地にひれ伏し、経典に頭をつけ、また立ち上がる。それを一定のリズムで延々と繰り返す。それは祈りというより、ある種のエクササイズのように見える。

「心とからだは一体のものです」ミャンマーの僧侶ウィザヤは、洞窟の中で僕に語った。「自分のからだの動きをコントロールできない限り、涅槃に近づくことはできないのです」
 ここにいる様々な国、様々な宗派の仏教徒達も、涅槃を目指しているのは同じだ。しかし、そこに至る道のりはひとつではなく、それぞれに異なったアプローチの仕方があるのだろう。

 ブッダガヤは聖地ではあるが、そこに特別な霊山や象徴的な建物があるわけではない。仏陀が悟りを開いたのは、これといった特徴のない「ただの農村」だった。周囲の仏塔や寺院も、仏陀の入滅後に造られたものだった。

 
 

電子辞書を盗まれる

 僕はいつものように貸し自転車を借りて、あてもなく農村を走ってみた。そして、これといった特徴のない「ただの村」が、仏陀の死後2500年経った今も「ただの村」であることを確かめた。水辺で草を食む水牛がいる。ナタで雑草を刈る男がいる。村の井戸に水を汲みに来る少女がいる。燃料にする牛糞を手で捏ねている女がいる。

3615 一見したところ、農村の暮らしはバングラデシュでもインドでもほとんど変わらないように感じられた。育てている作物が米から小麦に変わるぐらいだ。人々は人懐っこく、特に子供達は自転車でえっちらおっちらやってきた妙な東洋人を珍しがって取り囲んだ。写真を何枚か撮り、子供に手を振って自転車で町に帰った。ここまでは、いつもの旅の一日だった。

 カメラバッグに入れて持ち歩いていた電子辞書が無くなっていることに気が付いたのは、宿に帰ってシャワーを浴びてからだった。どこをどう探しても見つからない。入れていた場所を考えると、途中で落したということもあり得ない。導き出される結論は、どこかで盗まれたということだった。

 一日の行動を振り返ってみると、確かにカメラバッグから目を離したことはあった。農村の子供達に囲まれて、写真を撮っていたときだ。たぶんその一瞬の隙をついて、誰かがバッグの中から珍しい機械を持ち去ってしまったのだろう。

 電子辞書を無くしたことは、もちろん大きな痛手だった。少ないボキャブラリーを増やすために、辞書はかなり役に立ってくれていた。わざわざ旅行のために買ってよかったと思える数少ないモノだった。でも無くしたものは買えばいい。日本語の電子辞書を外国で買うことは無理だろうが、普通の辞書ならどこかで探せば手に入るだろう。

 僕にとって失ったモノ以上に大きかったのは、これから先自分がインド人を信じることが出来なくなるかもしれない、ということだった。都会の盗人にやられたのなら、そういう人間がやったことだからと諦めもつく。でも、盗んだのは農村にいるごく普通の子供だった。盗んだモノの価値など知りようもない、ただの子供だった。
 普通の子供達に対して、「もしかしたら、この子達は俺の鞄の中身を狙っているんじゃないか?」という疑いの目を向けなくてはいけない。この先、そんなふうにして旅を続けていくのかと思うと、気が重くなった。

 せめてもの救いは、盗まれたのが現金でもカメラレンズでもなく、電子辞書だということだった。日本語の電子辞書はインド人にはまるっきり価値のないモノだから、それを売って大金を手に入れることはまず不可能だ。だから外国人からモノを盗めば簡単に金儲けができる、という悪知恵をつけることはないはずだった。

 
 

一流商社マンの呪い

3621 僕は2ヶ月前にタイのバンコクで出会った日本人の老人との奇妙なやり取りを思い出した。
 その時僕は激しい下痢に悩まされていて、ツーリスト向けのカフェで熱い紅茶をすすっているところだった。老人は「ご一緒してもいいですか」と言って、僕の返事を待たずに向かいの椅子に座り、帽子を取ってテーブルに置くと、勝手に話を始めたのだった。

「私は一流商社に勤めていたんですよ」と彼は言った。いちりゅう、という言葉だけやたらとはっきり発音した。
「若い頃から、アジアや南米やヨーロッパなど、世界中のいろんな国に派遣されました。30年のうち、日本で暮らしていたのは何年にもならんのじゃないですかな。まぁ、今はリタイヤして気ままな旅暮らしですよ。妻は日本にいますが、私はしょっちゅう一人で旅をしています。日本でじっとお茶を飲んでいるなんて、性分に合わないんですな。あなたはどこに向かうんですか?」
 東南アジアを回ってからインドを西へ行くつもりだ、僕が答えると、彼は身を乗り出してきた。

「インドでは、あなた気を付けなさいよ。絶対に物を盗まれますよ」
「絶対に、ですか?」
「ええ、絶対に。インドを旅行したら、あなたは絶対に何かを盗まれます。間違いありません」
 老人ははっきりとそう断言した。彼の言い方は、若い旅行者に老婆心ながら注意を促すというよりは、軽い呪いのように聞こえた。だいたい『絶対に』盗まれるんだったら、いくら気を付けても無駄だってことじゃないか。

 でも、その時の僕は下痢で本当に参っていて、反論する気力もなかったので、「わかりました。インドに行ったら気を付けます」とおとなしく頷くことしかできなかった。
「気を付けるに越したことはありません」と老人は席を立ち、帽子をかぶりながら言った。「でも、いずれにせよ絶対に盗まれますよ」
 最後にまた呪いの文句を吐いて、彼は店を出ていった。老人が席を立ってしばらくしてから、彼が自分の飲み物の代金を払わずに店を出ていったことに気付いた。ただうっかりしていたのか、確信犯だったのかはわからない。とにかく僕は、見知らぬ相手から気分の悪いことを言われた上に、彼のビール代まで払う羽目になったのだった。

 電子辞書を盗まれるまで、そんな出来事はすっかり忘れていた。でも結果的に、彼の呪いは現実のものになったのだった。僕は運命とか呪いの存在を信じているわけではないけど、ひょっとしたらあの元「一流」商社マンには何かが見えていたのかもしれない。