ラトヴィアの首都リーガでロシアビザを手に入れる
ポーランドからバルト三国のリトアニアに入り、すぐにラトヴィアに向かった。
バルト三国はいずれもとても小さな国である。旧ソビエト連邦の広大な領土を足の形と見るなら(実にサイズ1万kmの巨大な足である)、バルト三国のエストニア、ラトビア、リトアニアはそれぞれ小指、薬指、中指に相当する位置にある(ちなみにベラルーシは人差し指に、ウクライナに親指にあたる)。
ソビエト中央政府から見れば、地勢的にも経済的にも足の指ほども重要視されていなかったようだけれど、バルト三国の国民からすればソ連という大国に一方的に主権を奪われたという思いは相当強かったらしい。だからソ連邦の崩壊はまずバルト三国の反逆で始まったのである。
東欧圏を旅していると、ロシアという国が周辺諸国から相当に嫌われているということがよくわかる。多くの人は「ロシアが我々を支配したせいで、自由を奪われ、こんな風に遅れた国になったんだ」と思っている。だから旧ソ連が崩壊して中央集権体制のくびきから解放された途端、東ヨーロッパの国々はロシアにそっぽを向いて、EU諸国を見るようになった。皮肉なことに、今ロシアと最も接近しようとしているのは、かつての敵アメリカであるようにも見える。
リトアニアの首都ヴィリニュスもラトヴィアの首都リーガも、小綺麗で落ち着きがあり居心地は悪くなかったのだけど、旅をしていて楽しいところではなかった。ヨーロッパの端っこにある、これといった特徴のない田舎町だった。
バルト三国に立ち寄ったのは、ここでロシアビザが簡単に手に入るという情報を聞きつけたからだ。バルト三国の人々がロシアよりも北欧や中欧の方に親近感を抱くようになった現在でも、かつてソ連の一部だった関係上、これらの国々ではロシアビザを簡単に発給してくれるのだ。
実際、ロシアビザの取得はとても簡単だった。リーガにある旅行代理店に行き、35ドルを払ってパスポートを預けると、翌々日にはビザが手に入った。
日本からロシアに入る場合にはこれほど簡単にはいかない。旅行会社の主催するツアーに参加するか、ホテルや交通機関を全て予約して費用を払い込んだことを証明するバウチャーが無いと、ビザが発給されない。少なくとも建前としてはそうなっている。
何故そんな回りくどいシステムを取っているのかというと、少ない外国人旅行者からきっちりと外貨を巻き上げておきたいというロシア政府の思惑があるかららしい。ミャンマーで行っている強制両替と基本的な発想は同じである。
至るところに外国人料金が設けられているという点も、ロシアとミャンマーは共通している。例えばエルミタージュ美術館の入場料はロシア人なら15ルーブル(63円)なのだが、外国人は300ルーブル(1260円)もするし、鉄道料金だってロシア人の二倍の外人料金を取られる。
外国人料金というのは、外国との経済格差が圧倒的である貧しい国(例えばベトナムやミャンマーやインドなど)が設定しているものであったから、理不尽ではあるけれどある程度は仕方ないものだと思っていた。しかし、かつて世界を二分する超大国であったロシアが、発展途上国と同じような考え方をしているというのは、どうにも納得できなかった。それほどまでにこの国は困窮しているのだろうか。
物乞い犬の悲哀
ロシアの町を歩いてみて、まず目に付いたのは、物乞いの姿だった。インドやバングラデシュのように町に物乞いが溢れているというわけではないけれど、他の東欧諸国に比べると数が多いように思った。社会主義時代のソ連は物乞いやホームレスなどがいないという点を、欧米の資本主義国との違いとして華々しく宣伝していたはずなのだが、資本主義経済への移行に伴う大インフレと不況によって、社会の底辺を支える受け皿が機能しなくなってしまったのだろう。
サンクト・ペテルブルグの路上には「物乞い犬」がいた。二匹の痩せた犬が首にプラカードを下げ、どことなく哀しそうな視線で通行人を見ているのである。彼らの目の前に毛羽立った帽子が置かれていて、その中にはいくらかの小銭が入っている。状況から見て、物乞いをしているとしか考えられない。僕はロシア語が読めないのだが、きっとプラカードには「ボクたちおなかが空いているんです」とでも書かれているのだろう。
人間と動物が一緒に物乞いをしている姿はルーマニアなどでも見かけたことがあったのだが、犬だけの物乞いを見るのは初めてだった。彼らのそばでしばらく観察してみたのだが、物珍しさも手伝ってか、お金の集まりは悪くなさそうだった。同じ人間よりも犬の方が同情を集めやすいのかもしれない。それも何だか切ない話だけど。
ロシアには美人が多いが無愛想
ロシアには美人が多い、という噂を耳にする機会は何度かあったが、実際に町を歩いていると思わず振り返りたくなるような綺麗な女の子が何人もいた。肌が透き通るように白く、ナチュラルな金髪で、目鼻立ちの整ったスラブ系美人。要するにバレリーナのような造形美を持つ女性である。
しかし働く女性の無愛想ぶりには閉口した。ブルガリアに入ったときにも同じように感じたのだが、かつて社会主義の宗主国だったロシアは、愛想の無さでもワンランク上だった。食堂でも雑貨屋でも駅の窓口でも、笑顔で働いている女性の姿は一度も見なかった。
ロシアは男女の労働機会均等が徹底している国である。「働く女性が多い社会は活気に溢れている」ということはよく言われるし、僕も基本的にはその意見に賛成なのだけど、労働そのものに何の喜びを見出せていないような顔で渋々働いているロシアの勤労婦人を見ていると、制度的に平等を押しつけられた社会というのも結構問題が多いんだなぁと思ってしまう。
何度も言うけど、女性が怒っている国は全然魅力的じゃない。これだけは間違いない。
観光地はどこも修復中
ロシアの観光地では、修復中の建物がやたらと多かった。最初に訪れた街サンクト・ペテルブルグでは、世界で三番目に大きいという「イサク聖堂」が修復中だったし、エルミタージュ美術館の前の宮殿広場に聳える「アレクサンドルの円柱」も周囲を無粋な足場に囲まれていた。
モスクワの「赤の広場」では、見事なたまねぎ型ドームが印象的な「ワシリー教会」がネットを被せられて修復中だったし、クレムリン内にある「ウスペンスキー大聖堂」も大がかりな修復作業中だった。シベリアの町イルクーツクにある教会も、やはり足場で囲まれていた。
僕はそれほど熱心に観光名所を見て回るわけではないのだが、訪れる場所がどこもことごとく修復中なのにはがっかりした。ロシア政府の巧妙な嫌がらせなんじゃないかと疑いたくなってしまった。
こうした宗教的建造物というのは、社会主義時代にはろくな手入れもされずに放置されていたので、老朽化が進んでいるようだ。「宗教はアヘンだ」と言ったのはマルクスだから、社会主義国で宗教がないがしろにされたのは当然のことだったのだろう。
しかし社会主義体制が崩壊した後、ロシア人は再び教会に集まるようになった。そして、そのことが教会の修復を進めている原動力なのだろうと推測する。それに加えて、これから積極的に観光地開発を進めていこうというロシア政府の方針もあるのかもしれない。
読書する人と警官が多い国
ドストエフスキーやトルストイといった文豪を生み出した国だけあって、ロシア人は読書家である。それは地下鉄や夜行列車に乗っているときによくわかる。列車の中というのはロシア的な暗さ(つまりできるだけ無駄な電力を使いたくない、という種類のぼんやりとした暗さである)の中にあるのだが、そんなところでも人々は平気で本を読む。
不思議なことに、暗いところで本を読むわりに、眼鏡を掛けた人はあまり見かけない。ロシア人は昔から長く暗い冬の間にせっせと本を読んできたので、暗い場所でも本が楽に読めるように特殊な進化を遂げたのかもしれない。光のない洞窟でも空を飛ぶことができるようになったコウモリみたいに。
読書する人が多いのだから、当然本屋もたくさんあった。平積みされている売れ筋の中には著名人の伝記が目立っていた。レーニンやスターリンやフルシチョフといった歴代の指導者について書かれたもの、外国人だとチェ・ゲバラやジョン・F・ケネディーの伝記なども人気があるらしかった。
イメージ通り、と言ったら失礼かもしれないけれど、ロシアには警官や兵隊がたくさんいた。「警官と兵隊の国・トルコ」に匹敵するぐらいの高い割合である。
ロシアの警官は地下鉄の出入り口などの人が多く集まるところで、頻繁に職務質問をしていた。ロシア人は常に身分証明証を携帯しなければいけないらしく、身分証を持っていないことが警官にばれると逮捕拘束されてしまうという。なんだかんだ言っても、まだ国家権力が威張っている国なのである。
僕も警官に呼び止められて、パスポートの提示を求められたことが二三度あった。外国人でもパスポートを携帯していない場合には3時間は拘束できるという法律があるらしい。もちろん僕はパスポートを携帯していたから事なきを得たけれど、特に何もしていないのに犯罪者のように見られるのは、あまり気持ちのいいものではなかった。
肉ひと切れ買うのに何時間も並んだソ連時代
社会主義時代末期の物不足の折には、「パンひとつ買うのに半日並ぶソ連の人々」みたいな新聞記事をよく見かけたけれど、もちろん今はそんなことはない。町の商店にも(溢れているとまでは言わないけれど)モノは豊富にあった。
それでもファストフード店のカウンターや、駅の切符売り場など、町のあちこちで人の行列を見かけた。中でもエルミタージュ美術館の入り口には、中に入ろうという気が失せてしまいそうなほどの長蛇の列ができていた。いつまで経っても減りそうにないほどの人の数だった。
「でもね、こんな行列はたいしたことないよ」
と僕に話し掛けてきたのは、四十過ぎぐらいの頭の禿げ上がったおじさんだった。彼は僕が長蛇の列に恐れをなしているのを慰めようとしているらしい。
「昔はひどかったんだ。肉ひと切れ買うのにも何時間も並んだもんさ。本当だよ」
もちろん日本人だって行列を作ることはあるのだが、ディズニーランドのビッグサンダーマウンテンの前で1時間待つとか、こだわりのラーメン屋に30分並ぶとか、新装開店のパチンコ屋の前に行列するとか、「並びたいから並んでいる」場合がほとんどである。ロシア人の行列の「切実さ」とは明らかに質の違うものだ。
いつ終わるとも知れない切実な行列を数多く経験してきただけあって、ロシア人の行列は実に整然としていた。インド人のように最前列で割り込みをしようとする者もいなかったし、「あと○分待ちです」という表示がなくても、誰も苛々したり不満の声をあげたりはしなかった。さすがに行列の達人である。
結局、僕らはエルミタージュ美術館に入るために1時間近く待たされることになったのだが、エルミタージュはその苦労を裏切らないものだった。コレクションの質と量、それに建物自体の豪華さは、僕が今までに訪れた美術館の中でも群を抜いていた(とは言ってもルーブル美術館も大英博物館にも行ったことがないのだが)。閉館まで4時間近くいたのだけど、とても全部を見て回ることはできなかった。
ロシアにはスーパーがない
他の国にはあるのに、ロシアにはないものもいくつかあった。その代表がスーパーマーケットである。僕が歩き回ったのは、サンクト・ペテルブルグとモスクワの二大都市の限られた地域だったけれど、ディスカウント・スーパーやコンビニエンスストアのたぐいは一切なかった。商店といえば社会主義体制からあるこぢんまりとした「ロシア式商店」ばかりだった。
「ロシア式商店」(というのは僕が勝手に名付けたものだ)には、他国の商店にはない独特の雰囲気があった。ひとことで言うと「客よりも売り手の方が立場が上」ということになる。ロシア式商店では、お客は品物を直接手に取ることができなくて、カウンターの中にいる店員に「パンを2つと、牛乳1本、それと石けんを3個」という具合にいちいち頼まなければいけないのだ。商品は完全に店側の支配下にあり、お客はそれを「分けてもらう」という感覚なのだ。
立場の違いがそうさせるのか、たいていの店員は横柄である。「それ欲しいの? じゃ売ってやるよ」ってな態度なのだ。「ありがとうございました」みたいなことも言わない。客へのサービス精神というものは、この国では重要視されていないのである。
当然のことながら、この「ロシア式商店」はロシアに来たばかりでロシア語も全然わからない外国人旅行者には大変に利用しづらいものだった。英語を理解してくれる店員もまずいないから、指さしと身振りだけが頼りである。食事を確保するだけでも汗をかいてしまう。
スーパーマーケットの無い国はアジアにもあった。でもバングラデシュのような貧しい国でさえ、首都の中心街では旧来の個人商店を押しのけるかたちで、スーパーマーケットが進出し始めていた。流通の効率化と小売業の大型化は国境を越えた時代の流れなのだ。
その大きな流れにロシアが乗り切れていない(あるいは拒んでいる)ように見えるのは、ロシア人の国民性のようなものが関わっているのかもしれない。あるいは既存の社会システムの惰性の力がまだ強く残っているのかもしれない。いずれにしても、ロシア人が本格的な資本主義経済に慣れるには、まだしばらく時間がかかりそうだった。