朝の目覚し時計代わりになったのは、少女の歌声だった。
 ベトナムのわらべ歌のようなものなのだろう。手拍子でリズムを取りながら、舌足らずな声で同じフレーズを何度も繰り返している。どこかで聞いたことがあるメロディーのような気もしたが、たぶん思い過ごしだろう。
 僕は寝台車の固いベッドから起き上がり、スニーカーをつっかけて廊下に出た。少女と同じベッドに寝ている父親が、《起こしちゃってすまないね》という表情で僕を見た。《いいんですよ、もう8時だから》僕は腕時計を指差して首を振った。

1222  サイゴン(ホーチミン市)行きの夜行列車は、昨日の午後10時にハノイ駅を出て、既に10時間走り続けていた。僕はこの列車で、ハノイからおよそ600km南にある町・フエまで移動するつもりだったが、まだ駅に到着する気配はない。最高速度でも、せいぜい時速7,80kmというところだろう。日本人の感覚からすれば、実にのんびりとした特急列車である。

 ベトナムを旅する外国人にとって、鉄道は決してメジャーな移動手段ではない。ベトナムという国は日本のように南北に細長い形をしていて、その北端と南端との距離は1650kmもある。これは北海道の北端と本州の南端との距離に相当する。これだけ長い国土を持つ国を、日本の鈍行列車よりも遅いベトナム列車で移動するのは、楽ではないのだ。

 というわけで、お金はあるが暇はないツーリストは、当然飛行機を利用する。そしてお金は無いが暇だけはたっぷりあるという節約旅行者の多くが、ツーリストバスを利用する。鉄道はベトナム人のおよそ2倍の外国人料金が設定されているから、旅行代理店が出しているツーリストバスの方が、ぐんと割安な上に便利なのだ。例えば、ベトナム最大手の旅行代理店である「シンカフェ」が出しているツーリストバスは、ハノイからホーチミン市まで30ドル余りを払えば、途中の町に乗り降りするのは自由である。

 でも僕は、東南アジアの旅をのんびりと鉄道に揺られて始めるのも悪くないと思っていた。多少金がかかっても、あまり気にはならなかった。夜行列車なんて、日本にいてもなかなか乗る機会がないからだ。

 
 

チューインガムのお返しに

 列車は濃い霧の中を走っていた。僕は廊下の重いガラス窓を押し上げて、首を外に突き出してみたが、霧のせいで視界はよくなかった。
 それでも、見知らぬ土地を鉄道で移動するというのは心地良かった。ここには「金鳥」の看板もないし、お城に見立てたラブホテルも見えない。電柱さえまばらだった。その代わりに見えるのは、水田にぽつんと立つ水牛や、畦道に沿って並ぶ背の高い椰子や、派手な色使いが特徴的なベトナム式のお墓だった。そのどれもが、厚い霧の中でぼんやりと輪郭を失っていた。
 湿った風を顔に受けながら、僕はそんな風景を飽きもせず眺め続けた。

0875 しばらくすると、車掌のおばさんがカートを押して僕らのコンパートメントにやってきた。朝食は料金に含まれているらしく、豚まんとミルクが一人一人に配られた。
 寝台車のコンパートメントは、2段ベッドが2つ向かい合った4人部屋である。僕のベッドは下段で、向かいには歌好きな少女とその父親がひとつのベッドを共有していた。朝食が配られると、少女は歌を一休みしてミルクを飲み始めた。
「ジャパニーズ?」と父親が僕に言った。「イエス。英語が話せますか?」「少しなら」 そこで僕らはお互いに自己紹介をした。少女の名前はウェンといって、年は5歳ということだった(父親の名前は忘れてしまった)。二人はハノイから終点のホーチミン市まで、丸二日間をこの列車で過ごすのだという。ウェン嬢はお近づきのしるしとして、チューインガムを一枚くれた。
 僕が覚えたてのベトナム語で、「カムオン(ありがとう)」と言うと、彼女は照れくさそうに父親の首に両手を回した。ちなみに「カムオン」は、英語の「come on」ではなく、漢字の「感恩」からきた単語だ。ベトナムも日本と同じように中国文化の影響を強く受けた国なのだ。

 ウェンは5歳ながらも、なかなかのおしゃれさんだった。両耳には小さな金のピアスをしているし、長く伸びた爪にはブルーのマニキュアが塗られている。顔立ちもなかなか整っている。ベトナムは美人が多いことで有名な国だが、ウェンも将来はアオザイの似合うベトナム美人になること間違いなしだろう。

 僕はチューインガムのお返しに、何かあげられるものはないかと荷物を探ってみたが、あいにく何も持ち合わせていなかった。菓子類は食べないし、荷物になるような余計なものはなるべく買わないようにしていたからだ。

 
 

私も鶴を折りたい

 しばらく考えてから、ポケットの手帳を破って折り鶴を折ることを思い付いた。問題は、僕が最後に折り鶴を折ったのが、もう思い出せないぐらい昔だということだったが、細い細い記憶の糸をたぐって、何とか最後まで折りあげることが出来た。十数年ぶりにしては、まずまずの出来映えだった。
 僕がウェンの小さな手の平に、出来上がった鶴を乗せてあげると、彼女は嬉しそうに「カムオン!」と言った。どういたしまして、お嬢様。

 それからウェンは、「今度は私も鶴を折りたい」と言い出した。そこで僕と彼女は、備え付けの小さなテーブルに並んで、一緒に鶴を折ることにした。手帳を破った小さな紙で折り鶴を折るのは、5歳の子供にはなかなか難しいようだったけれど、彼女はなんとか作り上げた。
 ウェンは僕の折った二羽の鶴と、自分の折った少しばかり不恰好な鶴を並べて、嬉しそうに父親に話しかけた。「なんて言ってるんです?」僕は父親に聞いた。
「この子はこう言っています。『三羽の紙の鳥のうち、一羽は餌を食べているの。もう一羽は歌ってるの。そしてもう一羽は楽しそうに踊ってるの』と。ウェンが好きなことは三つ。食べることと、歌うことと、そして踊ることなんですよ」

0870 なるほど。歌も歌ったし、朝食も食べた。となると、残りは踊りということになる。案の定、折り鶴遊びが一段落すると、ウェンは廊下に出て優雅な踊りを披露してくれた。コンパートメントにいる4人の男達は、その踊りに歌と手拍子で応えた。
 ウェンはひとしきり踊ると、満足した様子でベッドに戻り、父親の膝の上に頭を乗せると、すぐに小さな寝息を立て始めた。踊り疲れたのだろう。
「・・・で、好きなことの四つ目が『寝ること』ですね」
 僕が言うと、父親は娘を起こさないように静かに笑った。

 寝台車のベッドという狭い空間にいるからかもしれないが、ウェンと父親は普通の父娘以上の強い絆で結びついているように見えた。娘が父親にべったりなのはわかるけれど、父親の方も決して邪険にはしない。彼は本当にいとおしそうな目で、膝の上の我が子を見つめていた。そしてウェンが眠るときには、薄い白磁の器を扱うみたいにそっと頬にキスをした。
 もしかしたら、ウェンには母親がいないんじゃないだろうか、僕はふとそう思った。特に根拠らしい根拠があるわけでもないけど、そんな気がした。
 でも結局、それを確かめることはできないまま、僕はフエの駅で列車を降りた。