ケシ栽培の村

af04-5781 翌日も朝の四時に起こされ、四時半に町を出発した。日が昇る前に出発し、日が落ちると休息を取る。これがアフガニスタンでの移動の鉄則である。街灯というものがひとつもない真っ暗な道を無理に走るのは無謀なことだし(ひとつ間違えると崖の下へ真っ逆さまということにもなりかねない)、夜になるとゲリラや盗賊が車を襲撃することもあるからだ。

 二日目になると、道は更に険しさを増し、周囲の景色は更にワイルドになっていった。埃っぽく緑の乏しい土地だった。たまに背中にたくさんの荷物を積んだラクダのキャラバンとすれ違ったり、遊牧民に率いられた羊の群れの中を通り抜けたりすることもあったが、それ以外はほとんど人の姿を見なかった。

af04-5728 色彩の乏しい風景を何時間も走り続けた後に、突然色鮮やかな花畑が現れた。赤や白の大ぶりの花が等間隔に並び、強い日差しを受けて輝いている。日本では見たことがない種類の花だった。
「あれが何か知っているか?」とラフマーンは訊いた。
「ノー」と僕は答えた。
「麻薬になるケシの花だよ。あれがヘロインになる。とても危険な麻薬だ」
「これ全部がケシなのかい?」僕は唖然として言った。
「これだけじゃない。この辺り一帯の畑は、全部ケシが植わっているんだ」

 ラフマーンが言った通り、僕らはそれからしばらくケシ畑の続く道を走ることになった。ケシの栽培は実に堂々と行われていた。アフガニスタンの辺境地域でアヘンやヘロインの原料になるケシが栽培され、密輸されているというニュースは既に何度か耳にしていたが、それは人目を盗んでこっそりと行われているものだと思っていた。ところが実際のケシ栽培は、野菜や小麦を作るように普通に行われていたのだ。

 畑の中では、スカーフを被った中年の女達が、慣れた手つきで花弁の落ちたケシの実にナイフで傷を付けていた。そうやって麻薬の原料となる樹液を採っているのだという。しかしそんな予備知識がなければ、ただの収穫期のひとこまのように見えただろう。当たり前の日常の中で、強力な麻薬の原料が作られている。それは驚くべき光景だった。

af04-6878「ここの村人が麻薬をやるわけじゃない」とラフマーンは言う。「みんなウズベキスタンやイランに運ばれるんだ。それからヨーロッパに行く。もちろん麻薬には高い値段が付く。この辺の村はとても貧しいから、金が必要なんだ。知ってるかい? この国の輸出品の第一位はケシなのさ」

 最後の方はおどけてみせていたけれど、ラフマーンの口調はシリアスなものだった。彼もこのような場所を早く抜けてしまいたい、と思っているようだった。

 タリバン政権崩壊後に誕生したアフガニスタン暫定政府は、国際社会からの圧力もあって、麻薬栽培の撲滅を政策の柱に掲げている。しかしそれがまるで実行されていないことは、このあっけらかんとしたケシ栽培の様子を見れば明らかだった。今のところ暫定政府の権力が及んでいるのは都市部だけであり、地方では「軍閥」と呼ばれる有力者が武力と実権を握っている。ケシ栽培はその軍閥の資金源となっているので、中央政府が禁止したくてもできないというのが実情のようだ。

「あの女達は自分が何を作っているのか知らないんじゃないかな」
 とラフマーンは言った。おそらく農民達は軍閥に利用されているだけなのだろう。しかしだからといって、彼らが育てた大量のケシが世界中で麻薬中毒者を生み出しているという冷ややかな事実は変わらなかった。

 
 

腹の底からの信仰

af04-6503 ハイエースで移動する間、僕らは何度か休息を取ったが、それはすべて礼拝の時間に合わせたものだった。僕が今までに旅したイスラム諸国の中でも、アフガン人はもっとも真剣に礼拝に取り組んでいた。たとえ移動中であっても、一日五回の礼拝を決して欠かさなかった。

 祈りの場所は様々だった。草原の真ん中に絨毯を敷いて祈ることもあれば、切り立った崖のそばで祈ることもあった。適当な場所、適当な時間に「それじゃ、この辺でやりますか」という感じで運転手が乗客の合意を取り付け、車を止めるのである。近くに川が流れている、もしくは井戸があるというのが必須条件だった。礼拝の前には必ず手足と顔を洗い、身を清めなくてはいけないからだ。

af04-6993 祈りの長さは人によってまちまちだった。ひとつひとつの動作にじっくり時間をかけて十分以上祈る人もいれば、祈りはさっさと済ませて煙草を吹かせている人もいた。アフガン人にとっての礼拝とは、食事や睡眠と同じように生活習慣の一部になっているようだった。だからこそ、他人がどう祈ろうが、それに口出しすることはなかった。

 まず布を地面に敷いて、その上に靴を脱いで立つ。両手を耳の後ろにつけ、アッラーの声に耳を澄ませる。 目を閉じ「アッラーは偉大なり」と唱える。額を地面に着け、アッラーへの絶対服従を表す。彼らはそれを何度となく繰り返した。

 人を寄せ付けないアフガニスタンの荒野の中で、ただ黙々と祈り続ける人々の姿は、彼らが「何があっても揺るがないもの」を持っていることを示している。神の前にただ一人で立ち、自らの信仰を確認する営み。「腹の底からの信仰」というのは、きっとこういうことを言うのだろう。

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 二日目の夜も、小さな集落に車を止めて、食堂でケバブとパンを食べ、車の中で眠った。そして再び夜明け前に起き出して、荒野をひた走った。ヘラートの町に到着したのは、三日目の午後六時過ぎだった。

「約束通り三日で到着した。あんた運が良かったな」とラフマーンは笑顔で言った。
「運転の腕が良かったからだよ」と僕も応じた。ラフマーンはアフガン人には珍しく安全重視の運転スタイルだったので、ここまでトラブル無しに走り終えることができたのだろう。

「いいや、アッラーのお陰だよ」
 彼は謙虚に言った。そして愛車ハイエースのボディーを叩きながら、こう付け加えた。
「トヨタのお陰でもあるな」
 この言葉をトヨタのエンジニアが聞いたらきっと喜ぶだろうな、と僕は思った。

 
 

ヘラートの床屋で散髪する

af04-7012 ヘラートの町に着いてまず最初にやったことは、散髪だった。考えてみれば、もう二ヶ月以上も散髪をしていなかったので、相当にむさ苦しい頭になっていたのである。

 外国の辺鄙な町で散髪してもらうのは、少しばかり勇気がいる。床屋の方も外国人のお客の扱いには慣れていないし、言葉の壁があってコミュニケーションが上手く取れないから、こっちの希望通りの髪型に仕上げてもらうのは、まず不可能だと言っていいからである。ところが、ヘラートで最初に目に付いた床屋の主人は、とても流暢な英語で僕を出迎えてくれたのだった。

af04-7052「ウェルカム、ウェルカム。ヘラートへようこそ!」
 二十代半ばとおぼしき若主人は、君の来店をずっと待ちかねていたんだ、とでも言いたげな表情で、にこやかに挨拶した。狐につままれたような気分で、僕は革張りの椅子に腰掛けた。

「どうして君は英語が話せるんだい?」
 開口一番に僕は訊ねた。今までにも、世界各地のいろんな町で散髪した経験はあるのだが、英語の話せる床屋に出会ったのは初めてだった。
「僕はこの近くにある英語学校に通っているんだよ」と若主人は陽気に答えた。「将来はインドかイギリスに行って働きたいんだ。そのためには英語を身につけないといけないからね」

af04-7123 彼にとって床屋という商売は、あくまでも外国で働くためのステップなのだろう。しかしだからといって、散髪を手抜きするようなことはなかった。むしろ丁寧すぎるほど丁寧な仕事ぶりだった。しかしあまりにも仕事熱心なためなのか、どの部分も僕の希望する長さよりも二割ほど短めに切り揃えられてしまったのは、少し残念だった。もっとも、アフガン男性のヘアスタイルは短い刈り上げが普通だから、それを忠実に守っている彼を責めることは出来ないのだが。

 散髪をしている間、若主人は自分のガールフレンドについて話してくれた。英語学校で知り合った三才年下の女の子だという。もちろんお互いの両親は二人の関係を全く知らない。バレたら大変なことになるからだ。タリバン政権時代ほどではないけれど、まだまだ男女が自由恋愛を謳歌できる空気にはないのだ。今は携帯電話という便利なものがあるから、秘密の連絡も取りやすくなったんだよ、と彼は嬉しそうに言った。

af04-7098 散髪が終わり、若主人が僕のシャツに付いた細かい毛を丁寧に払い終えると、僕はポケットから財布を取り出して「いくらだい?」と訊ねた。
「いらないよ」
「いらないって、どういうこと?」
「君は遠い国からやって来た大切なゲストだからね。お金をもらうわけにはいかない」
 彼は当たり前じゃないかという風に言った。アフガニスタンを旅する間、僕は何度もアフガン人の親切に助けられてきたのだが、無償サービスの申し出にはさすがに面食らってしまった。

 いやいや、そういうわけにはいかないよ、と僕が金を渡そうとすると、だからいいんだって、と彼が押し返す。そんなやり取りを何度か繰り返した。そして最後にはこちらが根負けして、彼の親切を有り難く受け取ることにした。
「タシャクール(ありがとう)」
 僕は右手を自分の胸に当てた。それがイスラム式の敬意の表し方なのだ。
「ウェルカム ウェルカム」
 若主人は嬉しそうに同じポーズを返した。

 意に反してさっぱりと刈り上げられてしまった襟足を撫でながら、僕は宿への帰り道を歩き始めた。

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