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  たびそら > 旅行記 > インド編(2015)


女神ドゥルガーになった女たち


 インドの祭りで儀式を行うのはもっぱら男性に限られていて、女性はその様子を遠巻きに見守るという役割しか与えられていない。御輿を担ぐのも男性だし、派手なコスチュームで歌ったり、爆竹を鳴らしたりするのも、ほぼ100%男がやる。インドでは今でも男女の役割がはっきりと分かれていて、宗教儀式の場ではそれがより明確になるのだ。「ギャル御輿」なんかが一般的になった日本とはまるで状況が違うのである。

 しかしそんなインドにも、まれに女が主役の祭りが存在する。ビハール州東部のガンガー沿いにある村で行われていた「ドゥルガー・プジャ」はそんな珍しい祭りのひとつだった。

 最初はごく普通の村祭りだと思っていた。寺院の前の広場に300人ほどの村人が集まり、家族ごとに車座になってゴザの上に座っている。ピクニックに来た大家族のような牧歌的な光景だ。しかし人々の様子が何かおかしかった。まだ日が高いにもかかわらず、多くの村人は酒を飲んで酩酊しているか、チャラスを吸ってハイになっているのだ。チャラス(大麻樹脂)の吸引はインドでは黙認されているのだが、だからといってサドゥーでもない一般人が屋外で大っぴらに吸うのは珍しい。中には感極まったように泣き出したり、唐突に奇声を上げたりする人もいた。あたりにはただならぬことが起こりそうな緊張感が漂っていた。





 神像をまつる祠には、若い女が両手を合わせて祈る姿があった。頬は涙でうっすらと濡れ、額には汗が滲んでいた。しばらくすると、彼女は言葉にならないうめき声を発しながら、頭を振り回し始めた。長い髪の毛が歌舞伎役者のように豪快に舞う。トランス状態に入ったのだろう。これでもかというぐらいぐるんぐるんと頭を振り続けた後、彼女は突然「ガー!」と大きな叫び声を上げて、ばったりと地面に倒れ込み、糸が切れた人形のように動かなくなってしまった。

 そのまま1分以上じっとしていただろうか。彼女が再び体を起こしたときには、さっきまでとはまったく別人の表情になっていた。目に見えない「何か」が彼女に取り憑き、体を操っているようだった。彼女は「カカカカカ」という不気味な笑い声を上げながら、両手を大きく左右に広げ、その場にいる人々に命令するような口調で何ごとか叫んだ。







 その声を合図にして、まわりにいた女たちが次々と「別人」に変わっていった。ある者は怒りを爆発させ、ある者は声を上げて泣き、ある者は腹の底からおかしそうに笑う。いずれの女も別の世界にいる化け物をにらみつけるような異様な目をしていた。








「これはドゥルガー・プジャって儀式なんだ」
 パイプでチャラスを吸っていたおじさんが力を込めて説明してくれた。彼によれば、村人たちは今日から9日間毎日ここに集って、女神ドゥルガーに祈りを捧げるという。その祈りによって目覚めたドゥルガーが、女たちに特別な力を授けるのだ。

 「ドゥルガー」とは「近づきがたい者」を意味するという。外見は優美なのだが、その本性は恐るべき戦いの女神なのだ。血走った目で髪の毛を振り乱す女の姿は、まさに「近づきがたい者=ドゥルガー」そのものだった。この儀式によって女たちの肉体には一時的にドゥルガーの魂が宿り、荒ぶる女神のようにふるまうのである。

 女たちの変貌ぶりは、インド人の女性観そのものを表しているのだろう。インドの女性は「保守的でおとなしい」というイメージが強いのだが、それはあくまでも「表の顔」であって、激烈な感情をほとばしらせる「裏の顔」も持ち合わせているのだ。普段は抑圧され表に出てくることのない「裏の顔」が、何かのきっかけであらわになる。それがこの儀式が持つ本当の意味なのだろう。女神ドゥルガーとは「貞淑であると同時に野蛮などう猛さも持っている」という女性の二面性を体現する存在なのだ。






 トランス状態になった女たちを撮影するのは容易ではなかった。そもそもこの祭りはきわめてローカルな秘儀であって、誰もがオープンに参加していいものではない。しかも村人の大半は酒かチャラスで酩酊している。そんなところに事情もよく知らない外国人が足を踏み入れたら一体どうなるのか、僕にもまったく予想できなかったのだ。

 実際、写真撮影を拒絶する女性もいたし、レンズを手で覆い隠して「撮るな!」と怒鳴る人もいた。そう言われたら、もちろんそれ以上は撮らなかった。しかしその一方で「いいから撮りなよ。わざわざ日本から来たんだって?」と優しく声を掛けてくれる人もいた。断固たる拒絶と温かい歓迎とが同じ場所に混在していて、どちらを信じればいいのかわからないという状況が、いかにもインドらしかった。

 露骨な撮影拒否に遭いながらも退却をせず、隙をうかがいながら撮影し続けたのは、この儀式がとても魅力的だったからだ。先の読めない展開にもそそられたし、女たちの目から放たれる異様な光にも惹かれた。これほど得体の知れない儀式は滅多にお目にかかれない。それだけははっきりとしていたから、遠慮などしている場合ではなかったのだ。女たちの迫力にびびって撮るのをやめてしまったら、あとで必ず後悔することになる。そう思ったのだ。









 オリッサ州北部の山村でも、トランス状態の女たちが主役の祭りが行われていた。
 女たちは苦悶の表情を浮かべながら、太鼓の音に合わせて体を揺り動かし、徐々に感情のボルテージを高めていた。その姿はあの世から姿を現した死者のようにも見えた。


この儀式には女性だけでなく、顔を赤く塗った長髪の男も参加していた。彼が女として儀式に加わっているのか定かではなかったが、踊りのキレやパフォーマンスの熱気はすさまじかった。

[動画]トランス状態で踊る異様な人々


 こうした呪術的な儀式は、中部デカン高原やインド南部で見かけることが多かった。北インドの宗教儀式は洗練され、形式化されたものが多いのだが、中部から南部で行われている宗教儀式には、激しい痛みを伴った土俗的なものが多いのだ。

 これはインドの歴史と深く関わっている。古くからインドに住みついていたドラヴィダ語族の住民たちは土着の神々を信仰していたのだが、その後インド北西部に侵入してきたアーリア人が信仰するバラモン教とその土着信仰が混ざり合うことによって、ヒンドゥー教という多神教が生まれたのである。つまりインドでは、北部よりも南部の方がより強く土着文化の影響を受けているのだ。







 摩訶不思議な儀式が南インドに多く残されているのは、ヒンドゥー教が成立する以前から存在する「インド人の魂」と呼ぶべきものが、南インドの人々に受け継がれている証拠なのだろう。女たちがトランス状態に陥ったり、男たちが激しい苦痛に耐え抜いたりする「尋常ならざる祭り」の源流には、文明が興る前から存在した得体の知れない闇の力があるのだ。

 闇と混沌。恐怖と衝動。
 何千年も前の人々が感じていた記憶が、様々な儀式を通じて現代に受け継がれている。
 その事実が、インドという国の奥深さを我々に伝えている。



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