トルコの銭湯「ハンマーム」に行く
カフラマンマラシュの町では、トルコ名物の「ハンマーム」に行った。ハンマームはお金を払って入る町のお風呂、つまりは日本の銭湯のようなものである。
ハンマームには「男湯」「女湯」という暖簾が掛かってはいなかったけれど(男女は時間交代制らしい)、中は日本の銭湯とよく似たつくりになっていた。番台に初老の男がちょこんと座っていて、その奥に脱衣所と貴重品を入れるロッカーがある。番台の男に身振りで値段を訊ねると、マッサージ料込みで250万トルコリラ(250円)だという返事が返ってきた。夕方の早い時間だからなのか、客は僕以外に誰もいない様子だった。
日本と違って、お客は全裸にはならない。最初に黄色いタオルを渡されるので、それを腰に巻いて入浴する。風呂場はモスクのように天井が高く、広々としている。ドーム型の天井には、明かり取りの窓がいくつも開いているので、室内は明るい。「トルコ風呂」という言葉から勝手に連想していた陰湿なイメージは、そこにはなかった。
風呂場には日本のような湯船はなく、洗い場がいくつか設けてあるので、お客は各自そこで汗を流す。流し終わる頃に、マッサージ担当のおっさんが登場した。腕は棍棒のように太く、胸毛はヒグマのように濃い、この道30年という感じのおっさんである。表情は「さぁいっちょ揉んでやるかぁ」という気合いに充ち満ちている。彼ももちろん腰布一枚である。
僕はおっさんに指示されるままに、風呂場の真ん中にある大理石でできた円形の台に寝そべった。その腕の太さを見て嫌な予感がしていてのだが、やはりおっさんの繰り出すマッサージは相当に荒っぽいものだった。
おっさんはまず僕の背中の肉を力一杯つまんで、ぎゅうっと引っ張り上げた。悪いことをした子供へのお仕置きみたいなつまみ方である。思わず「痛い!」と声を上げそうになるが、おっさんになめられるのもしゃくなので、とりあえず我慢する。続いておっさんは僕の背中に乗ってぐいぐいと踏みつけてきた。頑固者の蕎麦打ち名人のように、両足で強く踏み込む。つままれるよりは踏まれた方が幾分気持ちがいいのだが、なんだかSMクラブにいるような気もしないではない。
マッサージが終わると、今度は垢擦りが始まった。おっさんは垢擦り用の手袋を右手にはめて、つま先から順番にゴシゴシとこすっていく。これも腕力勝負という感じで、力一杯こする。そうすると、出るわ出るわ、びっくりするぐらい大量の垢が出てくる。おっさんも「おい、これを見てみろよ」と目を丸くするほどである。旅をしている間、湯船につかることも丁寧に身体を洗うこともなかったから、全身に垢がたまっていたのだ。
「これは半年分の旅の垢なんだ」
と言ってみたが、英語のわからないおっさんに通じるはずもない。きっと彼は「日本人は垢だらけだ」という間違った印象を持ったことだろう。
垢をすべて洗い流してしまうと、おっさんは不思議な白い布を使って全身を洗ってくれた。袋状になった布にふーっと空気を吹き込むと、どういうわけか石けんの泡がむくむくと湧いてくるのである。この泡を使って全身をくまなく洗ってくれるのだが、おっさんの手が僕の腰布の下にまで入ってきたときには、ちょっと困った。
「そこは洗わなくてもいいよ!」
と慌てて言うと、その手はさっと引っ込んだから、変な意図はなかったのだろうが、「日本人はゲイにモテるから気を付けな」とパキスタン人に言われたことを、ふと思い出してしまった。
そんなこんなで、ハンマームの全行程が終わって風呂場を出たのは、入浴から一時間後のことだった。揉まれて踏まれて擦られて、かなりハードな一時間ではあったけれど、風呂から出てきたときにはすっかりリフレッシュした気分だった。古い皮を脱ぎ捨てて、また新しい旅が始められる。そんな風に思った。
ボスポラス海峡を渡ってヨーロッパへ
目を覚ましたときには、バスはもうイスタンブールのオトガル(バスターミナル)に到着していた。ほどよく暖房が効いた車内で、思いのほか熟睡してしまったらしい。
しまった、と思った。オトガルに着いたってことは、ボスポラス海峡を通り過ぎてしまったってことじゃないか!
ボスポラス海峡はアジアとヨーロッパとを地理的に分ける全長32kmの海峡である。ここでアジアが終わり、ここからヨーロッパが始まる。だからこの海峡に架かる橋を渡ることは、アジアを横断する旅人にとって特別な意味がある。長い旅のひとつの到達点になる場所なのだ。朝日の中できらきらと光る海峡を望みながら、アジアに別れを告げよう。イスタンブール行きの夜行バスに乗り込むときに、僕はそう心に決めていた。それがこのざまである。
いつもは眠りたくても眠れなかった夜行バスなのに、こういう日に限ってぐーぐーと眠りこけてしまった自分に腹を立てながら、とぼとぼとバスを降りた。こうして僕はヨーロッパ大陸における第一歩を、寝ぐせ頭と共に記したのだった。
イスタンブールのオトガルは、日本の二倍の面積を持つトルコの交通網の中心に相応しい規模を誇っていた。今まで通り過ぎてきた地方都市のオトガルとは比べ物にならないほど、巨大かつ近代的だった。陸上競技場を思わせる楕円形のターミナルの周囲に、バス会社のオフィスがずらりと並び、地下にある駐車場からひっきりなしにバスが発着している。ショッピングセンターや地下鉄の駅もある。バスターミナルよりも空港の方が感覚的に近いかもしれない。
「さすがにイスタンブールは都会だなぁ」
と田舎から出てきたばかりの青年のような独り言を呟いてみたりもした。
都会を感じさせたのはオトガルの外観だけではなかった。地下鉄のホームに設置されていた自動販売機にも驚いた。コインを入れると扉が開いて、チョコレートやガムを取り出す仕組みになっていた。トルコで自動販売機を目にしたのはこれが初めてだったし、この後にも見かけることはなかった。おそらく物珍しさから設置してみたものの、有効に機能していないのだろう。
だいたいトルコ人は自動販売機なんてものを必要としていない。トルコ以外のアジアの国々でも、それは同じである。僕の見たところ、自動販売機が普及する社会というのはかなり限定されていて、それが成立するには次の4つの条件を満たす必要がある。
(1)硬貨が流通していること
(2)人件費が機械導入費および維持費のそれを上回っていること
(3)自動販売機のような複雑な機械をメンテナンス出来る体制が整っていること
(4)治安がそれなりに安定していること
(1)に関しては「そんなの当たり前じゃないか」と思うかもしれないが、実際アジアには硬貨が流通していない国が多い。トルコの場合には(3)や(4)の条件を満たしていると思うのだが、問題は(2)である。自動販売機を導入するためにはコストがかかる。あれだけの自動機械は決して安くないし、中身を冷やしておくための電気代だってかかる。そんなことに投資するよりは、賃金の安い物売りの少年達に任せておく方がはるかに合理的なのだ。
イスタンブールではアヤソフィアやブルーモスクといった観光地にも足を運んだ。しかし、どれもあまり印象には残らなかった。東ローマ帝国の歴史やビサンティン文化に興味のある人にとっては、間違いなく見て損のない壮麗な建築物である。けれど、そういった予備知識のない僕のような人間にとっては、700円という高額な入場料に辟易とさせられただけだった。何しろ700円というのは、イスタンブールでの宿代一泊分に相当する金額なのだ。いくら外国人向け料金だとは言っても、あんまりである。
でもイスタンブールの町自体は、とても居心地が良かった。これはトルコという国全体に言えることだけど、とにかく食べ物が安くて美味しかった。「トルコ料理は世界三大料理のひとつなんだ」とトルコ人が胸を張る(本当なのか?)のも頷ける。
イスタンブールでは一日中食べてばかりいた。まず朝はロカンタ(食堂)に入ってライススープとトルコ風のひらべったいパンを食べる。それから、クルミを一袋買ってリスのように頬張りながら市場を歩き、昼はナスと挽肉のムサカをたっぷりと食べ、ガラタ橋の周辺を散歩しながら名物の「サバのサンドイッチ」にかぶりつき、夜は羊のケバブを腹におさめる。さらには屋台でサクランボを500gほど買ってホテルに帰って食べる、というような具合だった。
特にサクランボはちょうど収穫時期を迎えていたらしく、とても甘い上にとても安かった。日本だとデパートで贈答用としてパッケージ入りで売られているような大粒のブラックチェリーが、1kg100円ほどで売られていた。100g100円ではなくて、1kg100円である。
しかし慣れない土地で暴飲暴食(トルコでは基本的にお酒は飲めないから「暴食」のみということになる)を続けるのは、当然のことながら体には良くない。ほどなく僕は「原因自明」の下痢症状に襲われることになったのだが、それもトルコ製の強力下痢止めのお陰で、すぐに治ってしまった。何しろこの薬、3日間続いた下痢をピタリと止めた上に、その後3日間便秘症状にしてしまうほどドラスティックな効果があるのだ。タイ、インド、パキスタンとアジア各地の下痢止めを買って試してみたけれど、トルコ製は群を抜いて優秀だった。
この強力下痢止めがもう一度役に立つときが来るのだが、それはずっと先の話である。