3480 バングラデシュでは旅行者は映画スターのような扱いを受けるんだ、という話を東南アジアのどこかで耳にしたことがあった。物珍しさに外国人の周りには人だかりができ、時にはサインまでねだられる、と。
 そんなのは話半分だろうと聞き流していた。まぁ多少珍しがられることはあっても、映画スターというのは旅人の誇張だろうと思っていた。でも実際にこの地を歩いてみると、それがまるっきり真実であることがわかった。

 リキシャに乗っているとすれ違いざまに「ハロー!ハロー!」と手を振られ、街を歩いていると突然握手を求められ、食堂でお茶を飲んでいるとサインをしてくれと頼まれた。確かにこれは映画スター状態である。スターと違って、近寄ってくる人のほとんどがヒゲ面のおっさんだというのが哀しいところではあるけれど。

 特に僕の場合は一眼レフのカメラで写真を撮り歩いていたから、余計に目立ったのだろう。道端で暇そうにしている子供達の格好の標的になってしまった。彼らは何ごとかベンガル語で叫びながら、僕の後ろをついて歩く。角を曲がっても、線路を越えても、どこまでもついてくる。しかもひとつ角を曲がるたびに、子供の数はどんどん増えていく。まさに「ハメルンの笛吹き」状態である。

 しかし、いつまでもこんな事を続けていられないし、子供達が諦める様子もない。とにかくしつこいのだ。というわけで、僕は角を曲がった瞬間に猛ダッシュで逃げた。でも人間の習性なのか、こっちが必死で逃げようとすると、向こうも必死で追いかけてくるのだった。

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 「トムとジェリー」みたいな追いかけっこをしばらく続けているうちに、自分でも可笑しくなってきて、僕は足を止めた。そして振り返って「じゃあ写真を撮ろうか?」とカメラを向けた。すると100人の群衆から「ワー!」と歓声が上がった。いつの間にか、群衆の中には大人も混じっていて、子供と一緒にはしゃいでいる。まったく面白い国である。

 ここまで極端な例は少ないにせよ、バングラデシュではどこへ行っても好奇の視線で見つめられることになった。これは正直言って、かなり疲れるものだった。僕らは「見ること」には慣れているけど、「見られること」には慣れていない。それが悪意のない純粋な好奇心だとはわかっていても、せめて食事ぐらいは静かに食べさせてくれよ、と思う。

 旅行者というのは、普通は「見る側」にいる。遺跡や古い町並みや少数民族の住む村などを訪れて、そこで見る。動物園の構造と基本的には同じである。僕らは動物園を訪れて、檻の外からシロクマやアフリカ象やジャイアントパンダといった珍しい動物を見る。

 しかし、バングラでは僕ら旅行者の立場は「見る側」から「見られる側」へと逆転してしまう。これはまさに旅における革命的大転換、パラダイムシフトである。その立場の逆転を素直に楽しめるか、あるいはひたすらうざったいものだと感じるかで、バングラを旅することの意味は180度変わってしまう。つまりバングラデシュという国に入った瞬間から、僕らは「檻の中のパンダなのだ」と覚悟を決めなければいけなくなるのだ。

 
 

男ばかりの市場

2950 宿の近くのカウラン市場でも、やはり僕はパンダ扱いだった。僕はゆっくりと品物を見て回る余裕も与えられず、威勢のいいオヤジ達に口々に話しかけ、「俺の店に来い」だとか「うちのバナナを食っていけ」などと、腕をぎゅーぎゅーと引っ張られた。

 活気に溢れているのは東南アジアの市場と同じだったが、明らかに違う点がひとつあった。売るのも買うのも男ばかりなのだ。
 イスラムの国では女性の多くは仕事に就かず、あまり外にも出ないということは聞いていたけれど、実際に男ばかりの市場を歩くというのは不思議なものだった。市場とは女のものである、というのが東南アジアでの常識だったからだ。ベトナムもラオスもミャンマーも、よく働くのは女性ばかりで、男はだいたいグータラしていた。そんな国々を旅した直後だから、なおさらその違いは明確だった。

 そのカウラン市場の中で、ハルという流暢な日本語を話す男と知り合いになった。彼は1990年から10年間、埼玉や群馬の工場で働いていた人だった。
「いやー、驚いた」とハルさんは言った。「だって、この市場で日本人を見たのは初めてだよ。あなた、ここで何してる?」
「ただ、ぶらぶらと歩いているだけですよ。たまたまこの近くの宿に泊まっているから」

 僕がそう言うと、ハルさんはちょっと妙な顔をした。「ぶらぶら」とか「たまたま」とかで市場に来るような人間は、バングラではあまりいないのかもしれない。
「でも、あなたと会えて嬉しいよ」ハルさんは気を取り直して言った。そして日本語でもっと話がしたいから、ぜひ自分の家に遊びに来て欲しいと言った。

 ハルさんの自宅は、市場近くのマンションの2階にあった。日本で稼いだお金でこのマンションを建て、近くにもうひとつ新しいビルディングを建設中なのだという。日本とバングラでは物価に何倍もの差があるから、日本でしっかり稼いでバングラに帰れば、彼のようなちょっとした資産家になれるのだ。

「日本では1ヶ月に30万円稼いだこともある」とハルさんは言った。「グンマのプラスチック工場で、一生懸命働いたんだ。仕事はきつかった。一日に15時間働いたこともある。それでも残業手当はあまり貰えなかった。大変だったよ」

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18歳の奥さんと結婚したばかりのハルさん

 彼は去年結婚したばかりだという新妻と、まだ12歳だというお手伝いの少女と一緒に暮らしていた。ハルさんが呼ぶと、奥の部屋から赤いサリーに身を包んだ奥さんが、恥ずかしそうに顔を出した。妊娠7ヶ月ということで、お腹はふっくらと丸みを帯びていた。

「綺麗ですね」と僕はハルさんに言った。お世辞ではなく、本当に美人だった。インド映画のヒロインのように目が大きく、鼻筋がすっと通っている。ハルさんがそれをベンガル語に訳して聞かせると、彼女ははにかんで奥の部屋に引っ込んでしまった。バングラの女性はとてもシャイなのだ。

 彼女はまだ18歳だということだった。32歳のハルさんとはずいぶん年の差があるが、この国ではさほど珍しいことではないらしい。
「バングラでは結婚相手は親同士が決めるものなんだ。私たちはね、結婚する当日まで一度も話をしなかった。そういう決まりになっているんだよ」

 結婚相手の条件は、容姿に加えて相手の家柄や収入が大きくものを言う。カーストのような階級制度もまだ根強く残っていて、どの職業の娘とは結婚してはいけないという決まりもあるという。ちなみのハルさんの父親は貿易関係の仕事を、奥さんの父親は警察で高い地位にある人なのだそうだ。

「写真だけで決めたんですか?」と僕は訊いてみた。
「やっぱりね、私も相手の顔ぐらい見ておきたいよ。だから奥さんが通っていた学校の前で、出てくるのを待った。彼女に気付かれないようにこっそりと」
「それで気に入ったんですか?」
「うん。一度見たら十分。それで結婚しようって決めたよ」
「若くて美人ですもんね」と僕が半分茶化すように言うと、
「そう、若くて美人だ」と彼はいたって真面目に答えた。

 しばらくすると、お手伝いの少女がティーカップを載せた銀のお盆を持って現れた。彼女は緊張した表情でテーブルの上にカップを載せると、足早に奥の部屋に戻っていった。奥に引っ込んでから、様子をうかがうように頭だけひょこっと出したが、僕と目が合うと慌てて引っ込めてしまった。

「お酒があれば、一緒に飲みたいんだけどね」とハルさんはチャに砂糖を入れながら言った。「バングラでお酒を買うのは難しいんだ。中国やタイからの密輸品があって、それを買うこともできるけど、それは高いし、いい酒じゃない。日本で飲んだアサヒスーパードライが一番うまかったな」
 ハルさんが酒の味を覚えたのは日本だった。ムスリムはアッラーが見ている限りたとえ日本であってもお酒を飲んではいけないのだけど、彼はそれほど熱心な信者ではないようだった。

 
 

東京の女子高生のスカートはなぜあんなに短いの?

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日本で稼いだお金でビルを建てたハルさん

「日本では嫌なこともあったけど、いいことの方がずっと多かったな」とハルさんは振り返った。「日本人にはとても親切にしてもらったし、バングラにないものがたくさんあったからね。私が日本で一番驚いたのはね、どこにもゴミひとつ落ちていないって事だよ。電車にもびっくりした。時間通りに来るし、ものすごく速い。日本は素晴らしい国だよ。ダッカを見たでしょう? 空気は汚いし、街はゴミだらけだし、お酒は飲めないし、女の子と遊ぶこともできない」

 自国への不満をぶちまけると、ハルさんは大きくため息をついた。
「もう一度日本に行ってみたいですか?」と僕は訊いた。
「もちろん行きたいよ。でも今は無理だね。バングラ人にはなかなかビザが下りないんだ。そうだな、今なら300万円ぐらいのお金が必要だ。みんな日本に行きたがっているけど、今はとても難しいんだ」

 1990年頃、イランをはじめとするアジア諸国から大量の外国人労働者が流れ込んだ時期がある。ゴールドラッシュのように、多くの外国人がバブル華やかしき頃のジャパンを目指した。彼らの多くは学生ビザや観光ビザで入国して、期限が切れてからも不法就労者として何年も日本の町工場などで働いてお金を貯めた。ハルさんもそんな外国人の一人だった。

「東京のジョシコーセーはすごいね。みんなすっごい短いスカートをはいてるでしょ? 私、駅の階段を上るとき、どこを見ていいかわからなかったよ。どうしてジョシコーセーは、あんなに短いスカートはいているの?」
「パンツを見せるためですよ、きっと」
「ニッポンはいい国だねー。バングラじゃ考えられないよ」とハルさんは笑った。「でも、ニッポンは不思議な国だねー」

 街角であからさまなコスチュームプレイを楽しんでいるニッポンのジョシコーセーの姿は、外国人から見れば不思議な人々に映るだろう。日本人である僕ですら、あれを見せられると時々頭が痛くなるぐらいだから。日本の代名詞が「フジヤマ」「サムライ」から、「ピカチュウ」「ジョシコーセー」に変わる日も近いのかもしれない。

 その夜はハルさんが泊まって行けというので、居間に泊めてもらうことにした。彼は日本の思い出話をたくさん聞かせてくれた。日本に渡って、最初は食べ物で苦労した。食堂に連れて行ってもらっても、お米しか食べられなかったこともあった。言葉もわからないし、ホームシックにもかかった。でもすぐに日本が好きになった。本当はもう少し日本で働くつもりだったけど、弟が事故で死んで両親が悲しんでいるのを知って、バングラに帰ってきた。今でも何人かの日本人と文通をしている。いつかまた、日本に行ってみたいよ。今度は家族を連れてね。

 日本で働いていた頃撮った写真も見せてもらった。ハル青年は日本人の従業員と一緒に肩を組んではしゃいでいた。
「今とは全然違うでしょ?」と彼は言った。
 確かに写真の中のハルさんは、今とは別人のように痩せていて、引き締まった顔をしていた。
「日本語でなんて言うんだっけ。セイ・・・セイ・・・」
「青春?」
「そう、セイシュン。これが私のセイシュン」
 ハルさんはそう言うと、懐かしそうに目を細めた。