もうすぐ3歳になる娘は、生まれたときからとても気むずかしい子供でした。ニコニコ機嫌がいいときもあるけれど、どんなことに対してもおそろしく過敏で、とにかくよく泣く子供でした。過去形じゃないな。今でもよく泣きます。笑ってると、こんなにかわいいのにね。
 

 
 僕らにとって初めての子供だったから、生まれてからしばらくは「赤ちゃんはみんなそういうものだ」と思っていました。みんな昼夜を問わず1時間おきに泣いたり、ちょっとでも気に入らないことがあると猛烈に泣きわめくものなのかと。

 大人がそうであるように、赤ちゃんにも生まれ持った個性があって、性格がまったく違うのだと気がついたのは、しばらく経ってからのことです。他人の家の床でも平気ですやすやと寝息を立てる子供がいる一方で、うちの子のように母親が一瞬でもそばから離れると、それを敏感に察知して猛烈に泣き叫ぶ子もいるのです。

「夜泣きが本当にひどくって・・・うちの子は3時間おきに泣くんですよ」と訴えるお母さんのインタビューを見て、我々は愕然としました。3時間? うちなんてきっかり1時間おきに目を覚まして大泣きするという状態がもう半年以上も続いていたのです。

 この3年間、僕らは幼い暴君に常に振り回されっぱなしでした。夜泣きは長く辛く、イヤイヤ期はあまりにも理不尽で、気分の浮き沈みはいつも極端なまでに激しかった。どうやったら泣きが収まるのか、どうやったらこの子が泣かずにいられるのか、いろんなことを試してみたけれど、いつも徒労に終わっていたのです。

 この子が泣くのには何か原因があるのではない。「泣きたい気分」というものがまず先にあって、「泣きの理由」は後から適当なものを見つけて泣いているらしい。最近になってようやくそのことに気付きました。その気分の根本にあるのは「眠い」とか「空腹」といった生理的な不快感です。

「眠いんだったら、目を閉じて眠ればいいじゃないか」と大人は考えます。でも赤ちゃんの中には「眠り方」がよくわからない子がいる。眠たいんだけどうまく睡眠に入れなくて、だんだんと不快感が溜まっていって、自分ではどうしようもできなくなり、身近にいる親に当たり散らすわけです。

 食欲も同じ。「お腹が空いたんだったら、勝手にどんどん食べればいいじゃないか」と思うんだけど、それがうまくできない子がいるのです。空腹による不快感と「食べる」という行動がうまく結びつけられないのでしょう。

 そのようにして不快感が溜まった結果、突如爆発した我が子は、とんでもないエネルギーで泣き叫びます。あまりの大声に鼓膜がびりびりと震えるのがわかるほど。涙とよだれで顔はぐちゃぐちゃになり、大声を出し過ぎて喉が痛くなってゲホゲホと咳き込んだりする。何か狂気じみたものが取り憑いているんじゃないかと思うぐらいすさまじいものです。

 こうなってしまうと、もう誰にも止められない。母親でもダメ。もちろん父親である僕にもどうしようもできない。娘の脳の中で何か特殊な反応が起きていて、彼女の意志に関係なく、体が動いているような感じです。

 しかしそうやって30分ぐらい大爆発すると、あとは憑き物が落ちたようにおとなしいいい子に戻るのです。悪魔の形相で叫んでいたのが嘘のように、天使の表情に変わる。それが毎日(ひどい時には一日に4,5回)起きるのでした。

 理由はよくわからないのですが、この子は定期的に泣き叫ぶことを必要としているようです。それによって愛情を確かめているのかもしれないし、精神のバランスを保っているのかもしれない。フロイトならうまい説明をでっち上げるでしょう。

 とにかく僕らは娘の泣きの原因を探るのをやめ、ただ好きなだけ泣かせることにしました。溜まった不快感を泣くことで出し切ってしまえば、彼女は正気に戻るのだから。

 しかしそう心がけていても、突然娘が大爆発を起こすと、その圧倒的なパワーの前に平常心を保っているのは難しいことでした。自分の心の中に怒りや憎しみの感情が生まれるのを抑えるのは大変だったのです。

 テレビで幼児虐待のニュースを聞くと、「信じられない」「なんてひどい母親だ」といった反応を示すのは、比較的おとなしく育てやすい子供を持った人なのだと思います。僕は「虐待なんて絶対にあり得ない」とは思えません。たまたま育てにくい子供を持ってしまった親が、誰にも相談できずに徐々に追い詰められていく様が、僕らには容易に想像できるからです。それは決して他人事ではないのです。

 子育ては一般論には回収しきれないものです。そのことを僕は痛いほど思い知らされました。Aちゃんにはうまく行く方法が、Bちゃんにはまったく効かないということが実によく起こります。大方の場合、それは赤ちゃんの個性によるものなのですが、多くの人は「赤ん坊なんてみんな同じなんだから、親のやり方が悪いに決まっている」と考えてしまいがちです。

 真面目な人であればあるほど、子育てがうまく行かないときに自分を責めてしまう。自分で自分を追い詰めてしまいます。でも結局のところ、我が子は自分とは違う存在、つまり「他人」であって、他人が何を考えて、どういう原理で行動しているのかはよくわからないのです。

 そのよくわからない存在とうまく折り合いをつけながら、だましだまし日々をやり過ごしながら子供の成長を待ってやるというのが、僕らが取った方法でした。もちろんこれもまた万人に当てはまる子育て法ではありません。僕らにとってはこういうやり方がベターだったというだけです。

 理不尽なほど猛烈に泣き叫ぶ子供に対して冷静さを失い、怒りの感情を抱く自分に「子に対する愛情が不足しているのではないか?」「こんな私は親失格ではないか?」と問いかけるのは危険です。それは愛情の問題ではありません。これだけははっきりと言えます。

 僕らも最初の頃は、「愛情を持って耳を傾ければ、泣きの意味がわかる」と考えていました。でも愛情を持って受け止めようとすればするほど、娘の泣きは激しさを増し、何かを「試す」かのような底意地の悪い揺さぶりをかけてきて、僕らはそれに疲弊していったのです。

 確かに通常レベルの夜泣きやイヤイヤであれば、愛情を込めて真摯に向き合えば泣き止むでしょう。でもうちの場合はそのレベルを超えていた。だから謎だった。不条理だった。そういうことで悩んでいる親御さんは少数だろうけど、それでも少しはいるはずです。

 大切なのは自分を責めないことです。だからといってわが子を責めるわけにはいかない。だから「視点をずらす」ことが必要です。泣きを正面から受け止めずに、理性を失った別の人格がいっとき彼女を支配しているんだと考えること。その時間が過ぎ去るのをのらりくらりと待つこと。

 愛情と憎しみとの葛藤に巻き込まれてしまったらドツボです。僕らも何度かその底なしの井戸に落っこちかけた。そこで気付いたのです。大切なのは愛情ではなく客観性であり、反省ではなく、目の前の状況を笑いに変える余裕なのだと。

「この子は泣くことを通じて、僕らに何かを伝えようとしている」とわかった瞬間、僕はこの世界に隠された秘密の扉のひとつを開けたような気持ちになりました。

 娘が猛烈な泣きを通じて僕らに訴えているのは、「世界は不安に満ちている」ということのようです。いろんなことに鋭敏な彼女にとって、この世界はあまりにも不条理で不安だらけなのでしょう。頭が考えることと肉体が要求することのミスマッチも、彼女にとってストレスなんだと思う。

 生まれたばかりの頃から、とにかく過敏な子供でした。ちょっとした物音ですぐに目を覚まして泣くし、ほ乳瓶が大嫌いでついに粉ミルクは飲まなかったし、公園に行っても「アリが怖い」と言って砂場から逃げ出すし、お風呂の水があふれるのが怖いからと2週間も入浴を拒み続けたりもしました。(無理に入れようとすると、それこそ地獄のふたを開けたような大騒ぎ)

 もちろん僕らは娘の不安をある程度までは取り除くことができます。でも完全に取り除くことは不可能です。あとは彼女が精神的に成長して、その不安に耐えられるようになるのを待つしかない。唯一「時間」だけがこの問題を解決してくれるんだとわかったのです。

「人は悲しいから泣くのではない。泣くから悲しいのだ」というのは誰の名言だったっけ? 脳科学の分野ではそれが実証されつつあるようですが、娘を見ていてもそれがよくわかります。今朝も「パパがふすまを開けたぁ」と唐突に泣き始めるわが子。理由付けがそこまで無茶苦茶だと、逆に面白かったりもしますが。

 娘の泣きの大爆発はこれからも続くでしょう。でも僕らはもうそれほど恐れてはいません。「涙の数だけ絆が強まる」。妻は子育て本に載っていたこの言葉を壁に貼っています。たぶん、その通りなのだと思います。