質問:日本人の表情

豊かで便利になってしまった日本は、同じアジアの国でも東京は特に瞳が死んでる人が多いことに気付きます。わたし自身が死んでるような瞳だなぁと感じることも要因のひとつかもしれませんが。便利で先進国になっているのに、素顔で生きにくい環境になってしまっているように思えます。(私の個人的主観での日本のイメージですが)
 
でも3歳位までの子供の笑顔は、日本人でも無邪気さを感じます。豊かであることはイイ部分もあり、その分失われてしまう部分もあるのだと29歳になってやっとわかるような気がします。またその失われた部分というモノが意外と人間にとって大切なモノのような気がします。
 
三井さんは日本を離れて生活してみて、客観的に日本をどう思いましたか?
 
 

三井の答え

 あなたがおっしゃるように、今の日本人の表情と、僕が旅しているときに出会うアジアの人々の表情は違いますね。それは日本人が特別に無表情だということではなく、都市化が進んだ場所であれば、どこでも同じように表情が硬くなる傾向にあります。ネパールだって、田舎と首都カトマンズとでは人の表情が全然違います。
 
 東京の通勤電車は、さながら無表情の見本市みたいですね。人と人とがものすごい密度で密着し合っているけれど、決して誰とも目線を合わさずに、ひたすら沈黙して時を過ごす。日頃からああいう訓練を行っている人が、人前で素直にニコニコ笑うことは難しいと思います。
 
 それと対照的なのが、今年の2月に旅した東ティモールでした。ここでは、僕がバイクで走っていると、道を歩く人々が右手を上げてニコッと笑いかけてくれるのです。どうやら東ティモールの田舎では、すれ違う人に対して誰でも笑顔で挨拶をするというのが習慣になっているようなのです。人口密度も低いし、のんびりとした時間の中で生活しているから、ひとりひとりの顔をちゃんと見る余裕があるんですね。そのことは、僕が撮った写真の中にも表れていると思います。
 
 物質的な繁栄が特定の場所への人口の集中によってもたらされるのだとしたら、そのことが人から豊かな表情を奪うのは必然なのかもしれません。大都市というのは、モノや情報の伝わる速度があまりにも速すぎるのです。心を落ち着けて何かを眺めるための、時間的、空間的な余裕がないのです。僕は通勤電車に乗って毎日都心に通う身ではないけれど、東京に少し住んでみて、そのことを実感しています。
 
 「超高層ビル」が「通勤列車」と「ターミナル駅」とで結ばれる街。そこでは、僕の表情も旅をしているときとはまったく違ったものになっているはずです。
 
 東京に住む人が無表情になっているのではなくて、東京という街が人に無表情であることを要求しているのです。僕にはそう思えます。