スリモンゴルから夜行列車でダッカに戻り、そのままチッタゴンに向かった。チッタゴンは古くから港町として栄えたバングラデシュ第二の都市なのだが、あまり面白味のない街だった。ダッカと同じようにゴミゴミして人が多く、やたらうるさかった。緑豊かな田園地帯が広がるスリモンゴルとは、まるで別世界だった。
ホテルもハズレだった。210タカ(420円)というやや高めの部屋代のわりに、部屋は狭くて暑苦しく、ホットシャワーを備え付けているというマネージャーの言葉も嘘だった(結局バングラデシュでは一度もお湯にありつくことはできなかった)。
「ミスター、あんた一人で旅しているのかい? それは寂しいだろう。女はいらないか?」と部屋に案内してくれたボーイは言った。
バングラのホテルには――それがどんな安宿であっても――ボーイがいる。彼らの本来の役目はよくわからないのだが(働いているところをあまり見たことがない)、何かにつけてドアをノックして、用事はないかと聞きに来る。「洗濯物はないか?」「お茶はいらないか?」「タクシーを呼ぼうか?」などと。
でも、「お前は寂しいだろうから、女を世話しようか?」というのは、大きなお世話というやつだ。だいたい一人で旅することに切実な寂しさを感じるような人間が、わざわざバングラなんかに来るものか。売春がしたければ、もっと他の国に行けばいいんだ。
「いらないよ」僕は素っ気なく断った。
「30分で500タカだ」とボーイは言った。
約1000円。安いことはよくわかったが、いらないものはいらない。僕が「ノー」と首を振ると、ボーイもそれ以上しつこく食い下がらずに引き上げていた。
娼婦を紹介するような安宿は、今までにもいくつかあったが、バングラデシュにもあるというのは意外だった。あまり表にも出歩かず、婚前交渉も許されないような保守的なバングラ女性のイメージと、売春という行為は結びつかなかったからだ。もっとも、「娼婦は人類最古の職業」と言われることからもわかるように、売春のない国なんてどこにもないのだろうが。
「現地の水は飲むな」という旅の鉄則
荷物を置くと、チッタゴンの街に出た。ずっと列車に乗っていたせいで、朝からチャぐらいしか口にしていないことに気が付いたのだ。
バングラの街にはカレーを出す大衆食堂がたくさんある。しかしメニューを置いている店はほとんどないし、英語も全く通じないので、料理を注文するのにも骨が折れる。直接厨房に行って「こいつとライスをちょうだい」というふうに指をさすのが一番手っ取り早い。
カレーは肉か魚が入ると30から50タカぐらいするのだが、野菜だけだと5タカ(10円)ほどで食べられる。野菜カレーとライスと最後にチャを頼んで、全部で30円ぐらい。とにかく安いし腹持ちもいいのだが、いつもいつも同じ味のもの(特にまずくもないが美味いとも思わない)を、一週間食べ続けるといい加減飽きてくる。
和食とは言わないまでも、たまには中華料理や西洋料理を食べてみたいと思うのだけど、なかなか見つからない。バングラデシュという国は、食に関しては――他の面でもそうかもしれないが――かなり保守的である。
食堂には不満が多かったが、茶屋はお気に入りの場所だった。少し喉が渇いたり、歩くのに疲れると、茶屋に入って一休みした。茶屋は食堂以上にたくさんあって、暇そうなおっさん達の社交場にもなっている。ここに置いてあるのは、チャと揚げパンのような軽食と冷たいデザートなど。甘いミルクティーは疲れた体にちょうどいいし、一杯がだいたい2,3タカ程度なので、ミネラルウォーターを買うよりもずっと安い。
茶屋に入ると、下働きの少年が水の入ったガラスコップを2,3個置いてくれる。「現地の水は飲むな」というのがアジアの旅の鉄則だから、最初は口を付けるのを遠慮していていたのだけど、バングラに来てから3日もすると、平気でごくごく飲むようになった。喉が渇いているのに、ミネラルウォーターを買いに右往左往するのも面倒だったし、どうせ料理人の手も食器も同じ水で洗われているんだから、腹を壊すときは壊すときだ、と考えるようになったのだ。どうもバングラデシュという国は、人をケセラセラ的思考にさせてしまうようだ。
結局、お腹は壊さなかった。たぶん旅を続けているうちに、胃だか腸だかに免疫が出来ていたのだろう。日本からいきなりこの国に飛んできたら、間違いなく下痢で苦しむことになると思うけど。
「グッド・モーニング」と少女は言った
コツコツコツと遠慮がちに部屋のドアがノックされたとき、僕はベッドに寝転がってカポーティーの『ティファニーで朝食を』を読んでいた。バンコクの古本屋に立ち寄ったときに、たまたま手に取ったものだった。机に置いた腕時計は、午後11時15分を示していた。
どうせまたボーイが用件を聞きに来たのだろうと思ったので、最初のノックは無視した。でも、ドアの向こうの相手は簡単には諦めてくれなかった。少し間を置いてから再び三度のノック。それも無視していると、また三度。わかったよと呟きながら、僕はベッドから起き上がってサンダルをつっかけ、ドアを開けた。
予想に反して、そこに立っていたのは一人の少女だった。濃い色の口紅を引き、けばけばしいイヤリングやネックレスで飾り立てているものの、顔や体つきは幼かった。12、3歳ぐらいに見えた。
「ミスター、ミスター。レディーを連れてきたよ」
ドアの影から、さっきのボーイがにやけた顔を出した。ということは、この少女が娼婦なのだろうか。そう思って改めて見ると、彼女の派手な服装や化粧の匂いには、商売女独特の気怠い雰囲気が漂っている。でも、その上に乗っている小さな顔は、まだ大人になる前のあどけない少女そのものだった。
「グッド・モーニング」
少女が初めて口を開いた。きっとそれが彼女の知っている英語の全てなのだろう。相手は外国人だから、何とか英語を話さなければと思って言ったのか。あるいはボーイに仕込まれたのか。
「どうだい? いい女だろう?」とボーイは言った。
「女はいらないって言っただろう」
僕は首を振った。いらないものはいらない。
「帰ってくれ」
僕がドアを閉めるのを見て、ボーイが慌てて足を割り込ませようとしたので、彼の太股はドアに軽く挟まれる格好になった。
「痛てて・・・」
ボーイは大袈裟に痛がってみせた。
「まぁ待ってくれよ、ミスター。気に入らないのなら、チェンジしてもいいんだ」彼は卑屈な笑みを浮かべて言った。「どんな女が好みなんだい? 胸の大きいの? え? 違うのかい? わかったよ、安くしとくよ。400タカでいいよ。それでもダメかい? オーケー、それじゃ300タカでどうだい?」
その間、少女は自分を売ろうとする男と自分を買おうとする男――少なくとも彼女はそう思っているはずだ――の押し問答を黙って見上げていた。彼女の表情を欠いた一対の瞳を見ていると、自分の中に持って行き場のない感情が生まれるのがわかった。
僕はドアノブから手を離して、ポケットから100タカ札を出した。そしてそれを彼女の手に握らせた。
「この金はこの子にやる。だからもう帰ってくれ」
僕はボーイに言った。それでどうなるわけでもないことはわかっていたけれど、そうしないわけにはいかなかった。少女は状況がよく飲み込めないらしく、右手に100タカ札を握り締めたまま、相変わらず表情を欠いた目で僕を見上げていた。
「グッド・モーニング」
僕は少女に言った。すると、彼女の口元に笑顔のカケラのようなものが、ほんの少しだけ浮かんだ。
「この金は彼女にあげたんだからな。お前のものじゃないぞ」
僕が言い含めると、ボーイはわかったよという風に首を少し傾けた。卑屈な笑みは、まだ彼の顔に貼り付いたままだった。
二人が引き上げていってしまうと、僕はベッドに仰向けに倒れ込んで、シミだらけの天井を眺めた。ひどく頭が重く、打ちのめされたような気分だった。少女に金を渡したのがいいことなのか悪いことなのか、しばらく考えてみたが、結論は出なかった。たぶん、どちらでもないのだ。
今までは、子供達にせがまれても、物乞いにまとわりつかれても、決して金は渡すまいとしてきた。一度やり出すときりがないし、与える側と与えられる側という立場の隔たりを作りたくなかったのだ。
立場の隔たり――僕を打ちのめしたのは、おそらくこのことだった。ダッカのスラムを歩き、スリモンゴルの田舎道を歩くことで、僕はこの国を人々と同じ目線の高さから眺めようとした。そして、バングラ人のことを少しはわかった気になっていた。
でも幼い娼婦の存在は、僕のそんな甘い認識を粉々に打ち壊してしまった。結局のところ、僕は金持ちの国から来た旅行者で、彼女は幼い娼婦だった。僕ら二人は50cmと離れていないところで向かい合ってはいたが、お互いの住む世界のことを全く理解できない遙か彼方の存在でしかなかった。それが現実だった。
彼女の住む世界に対して、僕は全くの無力だった。与えられた選択肢は、少女の体を「買うか」「買わないか」の二つだけだった。彼女に同情を寄せたところで、それは何の役にも立たないのだ。
僕はダッカのスラム街で逞しく生きていた水汲みの少女のことを思い出した。二人の年齢は同じぐらいだろう。同じぐらい貧しい境遇にいるのだろう。でもふたつの人生は、決定的に違っていた。二人が見せた笑顔も、全く違っていた。
水汲みの少女は、僕に伸びやかな眩しい笑顔を見せてくれた。彼女の顔には、生きることの喜びが溢れていた。娼婦の少女が最後に見せた笑顔のカケラは、哀しかった。それは心臓の辺りがぐっと締め付けられるような哀しい笑顔だった。
その夜は眠れなかった。何度か寝返りを打ち、また天井を眺めた。やがて夜が白々と明けてくるまで、少女の哀しい笑顔が浮かんでは消えた。
「グッド・モーニング」
僕は天井に向かって言った。
僕には、彼女にいい朝が訪れるように、と祈ることしかできなかった。