カイロからバスに乗ってアレクサンドリアに向かった。アレクサンドリアは地中海に面した港町で、猥雑でアラブ色の濃いカイロとは違って、開放的でコスモポリタンな雰囲気が漂う町だった。
アレクサンドリアのスーク(市場)には、港町らしく魚介類を売る店が多かった。港に水揚げされたばかりのぴちぴちの魚を氷の上に並べた店や、その魚を大きなオーブンでグリルして食べさせてくれる食堂などが軒を連ねていた。
体長40cmはあろうかという大きな海亀が、生きたまま台の上に寝かされて店頭に並べられている海亀専門店もあった。仰向けの状態で不器用に手足をばたつかせている4匹の海亀は、「かに道楽」の看板にも負けないほどインパクトのあるディスプレイだったが、その姿はなんとなく哀れだった。
店の親父に聞くと、この海亀はオッパと呼ばれているという。
「オッパ、とっても体にいい! オッパ、ハーフキロで25ドル!」
と親父は言った。エジプトの物価を考えれば0.5kgあたり25ドルというのは、とてつもなく高価だ。きっとオッパは日本のスッポンと同じような高級珍味なのだろう。
「オッパ、あっちの方も強くなる!」
親父はにやけた顔つきで自分の股間を指さした。なるほど、そういう効果もスッポンと同じなんだなぁと妙に感心してしまった。
スークの中には、籠に入れたウサギや、鳩やウズラといった小鳥を売る店もあった。しかし、これはエジプトの狭い住宅事情に合わせたペットショップではなさそうだった。店のレジの隣に、肉屋で使うような計りが置いてあったのだ。ペットショップに計りは必要ない。
「これ食べるの?」
と身振りで聞いてみると、店主は「当たり前だろう」と強く頷いた。「食べる以外に何に使うんだ?」とでも言いたそうな表情だった。「動物愛好家の方には、見学はお勧めできません」というラクダ市場についてのガイドブックの記述を、僕はもう一度思い出した。
アレクサンドリアのスークにおける食べ物部門の主役は新鮮な魚介類だったが、衣料雑貨部門の主役は靴だった。これはアレクサンドリアに限ったことではなくて、エジプトの他の町でも同様だった。さらに言えば、トルコやイランなどの他のイスラム国でも靴の人気はとても高いのだが、その理由はよくわからなかった。まさかコーランに「ファッションの基本は靴ですよ」と書かれているわけではないだろうし。
十人以上の男女がショーケースを熱心に見つめていたので、一体何が入っているのだろうと思って肩越しに覗き込んでみると、何の変哲もない(少なくとも僕にはそう見える)赤いハイヒールが、ターンテーブルに乗せられてぐるぐると回っていたこともあった。まるでモーターショーでの新車発表みたいな華々しい扱いだった。
そんな靴好きのエジプト人に影響されたわけでもないのだけど、僕もアレクサンドリアでサンダルを新調した。それまではバンコクで買った安物のサンダルを、世界各地で修理しながら履き続けていたのだけど、遂に底のゴムが擦り切れてしまったのだ。
スークには高価な革製品からビニールの安物まで様々なサンダルが並んでいたのだけど、その中でも60エジプトポンド(1800円)とかなり値の張るサンダルを買うことにした。スカイブルーの鮮やかな色が気に入ったのだ。
そのブルーのサンダルを履いてアレクサンドリアの町をぶらついていると、前から来た二人組の男にいきなり声を掛けられた。
「君、それは新しいサンダルだね?」
と彼らは言った。僕が頷くと、やっぱりそうだと二人はにっこりと笑い合った。
「それはいくらだったんだい?」と彼らは聞いた。
「60エジプトポンドですよ」
僕が答えると、二人は「それは高いな」「いいや、そうでもないよ」と値段の妥当性を議論し始めた。おかしな二人だったが、特に悪意はないらしい。
アラビア語で話しているから内容まではわからないけれど、二人の議論は平行線を辿っている様子だった。それならば、と二人は僕に向き直った。
「その靴をちょっと履かせてもらえないかな?」
そう言うと、僕の返事も待たずに、彼らは自分達の靴紐を解き始めた。最初は何かの冗談なのだろうと思っていたのだけど、二人は真面目な顔で靴下まで脱いでしまったので、僕は慌てて「ノー!」と言った。いくら靴に対する情熱が強いと言っても、赤の他人の靴を履くことはないじゃないか。
「そんなに気に入ったのなら、靴屋に行けばいいじゃないか」と僕は言った。
「それはそうなんだけどね。履き心地を確かめてみたかったんだ」
二人はいかにも残念という顔で、靴紐を結びなおした。その姿を見ていると、なんだか二人に悪いことをしたような気持ちになった。ひょっとすると、エジプト人の間では見ず知らずの人間の靴を試しに履かせてもらうという行為が、さほど珍しいことではないのかもしれない。
スエズ運河以外に見るべきものはない
アレクサンドリアから再びバスに乗ってポートサイドという町に行き、そこから「セルビス」でスエズに向かった。セルビスとはエジプトの乗り合いタクシーである。特徴はとにかくボロいこと。セルビスに使われているのは、2、30年は走り続けていると思われる旧型のフィアットやプジョーが多かった。元はいい車なのだろうが、エジプト人は「車なんて走ればいい」と思っているのか、ドアノブは折れたままだし、窓は開かないか、開いたまま閉まらないかのどちらかという有様だった。シートは擦り切れてスポンジが飛び出しているし、メーター類がまともに作動している車すら一台もなかった。壊れたら修理するという発想がないらしい。
それでもカーステレオだけは一応動くのだが、テープの方がダメになっていて、曲の途中でテンポが遅くなったり早くなったりする。その度に運転手は、左手でハンドルを握りながら、右手でカセットを振ったり叩いたりして必死に復旧させようとするものだから、危なくて仕方がないのだった。
そんなひどい車を運転するドライバーが、「ここはひどい町だよ。さっさと通り抜けた方がいい」と太鼓判を押すのが、スエズの町だった。そしてその言葉はまったく正しかった。
スエズと言えばスエズ運河だが、それ以外に見るべきものはなく、いかにも「運河のために間に合わせで作られた町」という雰囲気の町だった。スエズの町並みはイスラエルとの中東戦争で激しい爆撃にさらされて、一度破壊し尽くされてしまったという。以前の町がどんなだったか知る術はないけれど、少なくとも今のスエズは灰色のマッチ箱のようなアパートが延々と並ぶ、見事なまでに無個性な町だった。
昼のスエズは暑かった。砂漠から吹く熱風のせいで町はかまどのような状態になっていて、少し歩いただけでたちまち喉が渇いてくるので、何度もチャイハネに入って休憩しなくてはいけなかった。
エジプトではチャイを注文すると、チャイグラスと共に水道水を入れたコップが出てくるので、(正しい作法がどうなのかは知らないけれど)とりあえずコップの水をごくごくと飲み干してから、甘いチャイに取りかかることにしていた。この国ではお茶を楽しむよりも、喉を潤すことの方が先決なのだ。
もっとも、土地の人間はくそ暑い昼間なんかにノコノコ歩き回ったりはせずに、昼寝をしたりしてのんびりと過ごしているようだった。
スエズの町に活気が出てくるのは、夜9時を過ぎてからのことだった。モスクのミナーレ(尖塔)からこの日最後のアザーンが流れてくると、それを合図にするかのように人々が町へと繰り出してくるのだ。
表通りには街灯が煌々と灯り、食堂で遅い夕食を取る家族や、カフェに集って水煙草を吹かせるおっさんたちの姿がそこかしこに見られた。両親に手を引かれた小さな子供も、11時を過ぎた夜の町でウィンドウショッピングを楽しんでいた。
スエズに限らず、エジプトの町は夜に賑わう。砂漠性の乾燥した気候の元では、出歩く気が失せるほど暑い昼間とはうって変わって、夜はかなり快適に過ごせるのだ。砂漠と隣り合わせに生きる人々が宵っ張りになるのは、ごく自然なことなのだろう。