9269 大理からバスで昆明に行き、そこから盤県という町へ向かった。昆明から盤県へは「寝台バス」に乗った。これは文字通り普通のバスの座席部分を取り外して、代わりに二段ベッドをずらりと並べたという代物である。

 僕は今までに様々な国のローカルバスを乗り継いで旅を続けてきたわけだけど、ベッドのあるバスというのは一度も見たことがなかったし、噂にも聞かなかったから、おそらくこれは中国で独自に開発された乗り物ではないかと思う。もちろん他の国でも、座席を大きくリクライニングさせることによって、体を横に倒して眠ることができるバスはあったが、「寝台バス」はそれとは全く発想の違う乗り物だった。

 通常のバスと違って、寝台バスには「豪華汽車」というネームプレートが与えられていた。デラックスバス。しかし実際に乗ってみると、豪華でも何でもないことがすぐにわかった。ひとつの寝台は普通のシングルベッド程度の長さと幅があるのだが、なんとこれを二人でシェアしなくてはいけないのである。
 見ず知らずのおっさんと肩を寄せ合うようにして眠らなくてはいけないバス。これが「豪華汽車」の正体だった。

 この「寝台バス」は一晩中移動する長距離路線にのみ採用されているもので、半日、あるいは数日かかることもある地方都市間の移動の疲労を、少しでも和らげようと開発されたものだと思うのだが、残念ながら僕は一度も熟睡することなく、次の朝を迎えた。ベッドがあまりにも狭っ苦しいうえに、さっさと先に寝てしまった隣の男が、盛大なイビキを一晩中かき続けていたのである。

 中国での移動は、なかなか楽をさせてくれない。一泊の宿代と移動時間が節約できる、なんて喜んで乗ったのはいいけれど、結局次の朝に疲労を持ち越しただけの結果になってしまったのだった。

 
 

たった1元を巡るバトル

9206

巨大な頭飾りが特徴的なイ族の女性

 早朝に盤県に到着し、そのままバスを乗り換えて貴陽へ向かった。寝台バスの中ではほとんど眠れなかったから、盤県に一泊しても良かったのだが、宿を探してウロウロする気力すらなく、着いたその足で次のバスに乗り込んでしまったのである。

 貴陽までの道はとてものどかだった。道を塞いでいる水牛をクラクションを鳴らしてどかしたり、草むらから飛び出してきたガチョウの群れを慌てて避けたりしながら、バスは進んだ。寝台バスで横になっているより、普通のバスの座席に座っている方が、何故かよく眠れた。

 ところで、中国のローカルバスの路線には、停留所というものはなく、乗客は好きなところで乗り、好きなところで降りていく。途中下車や途中乗車の乗客の運賃を決め、それを徴収するのは車掌の役目である。中国では、バスの車掌のほとんどが若い女性だった。

 日本でバスに同乗している女性といえばバスガイドぐらいだし、彼女達は「どんなときでも明るくにこやかに」をモットーにしているのだけど、中国の車掌はそれとは正反対の人種だった。中国の車掌はお客にサービスするために乗っているのではなく、時にお客と対決し、大声で怒鳴ることを仕事としているのである。

 例えば、田舎道を走っているときに、農具を担いだ男が手を挙げてバスを止める。男は車掌に向かって「○○まで!」と行き先を叫ぶ。車掌の女は「それだったら4元だよ!」と男に告げる。男はバスのステップに片足をかけながら「いいや、3元だ!」と叫ぶ。貧しい農村ではたった1元(15円)の違いが相当な重みを持つので、バスでも値切り交渉を欠かさないのである。

 しかし車掌はあくまでも強気である。1元でも負けようものなら、私の存在意義が失われてしまう、とでも言わんばかりに。
「4元だって言ってるじゃないか! イヤなら降りな!」
 大声で啖呵を切る。お金を持っていそうにない農民だからといって容赦などしない。
 ほとんどの場合、客は諦めて車掌のいい値を受け入れることになるのだが、中には少しでも安く行くために他のバスを探す人もいた。

 この「車掌vs客」の対決を眺めるのは、退屈なバスの旅での数少ない楽しみのひとつだった。この手の交渉ごとを見ていて思うのは、中国人女性の負けん気の強さと声の大きさである。声が大きい方が交渉に勝つ、というような原則があるのかは知らないが、とにかく近くで聞いていると耳が痛くなるほどの大声で、わーわーと言い合うのである。

 男対女の場合には、男の方がわりにすんなりと折れることが多いのだが、どちらも女の場合には、女の意地を賭けた勝負が火花を散らすので、見応えがあった。
 一度、20才そこそこの車掌の女の子と、途中乗車してきた40過ぎのおばちゃんが、取っ組み合い寸前まで行ったことがあった。車掌がどうしても値切りに応じないことに腹を立てたおばちゃんが、胸ぐらにつかみかかったのである。幸い、近くに座っていた乗客が3人がかりで止めに入ったので事なきを得たのだが、バスを降ろされたおばちゃんはよほど腹立たしかったらしく、最後の捨てゼリフと共に、バスに唾を浴びせてから去っていった。町のチンピラそのものといったおばちゃんの行動には、さすがに開いた口が塞がらなかった。

 日本だと誰かが誰かに対して腹を立てたり、クレームをつけたりした場合、なるべく事を荒立てないように収めようとするのが普通だけれど、中国の場合は言われたら言い返す(しかももっと大きな声で)のが当たり前なのである。だから、日常的に口喧嘩が多くなるのだ。

 喧嘩っ早いことで言えば、パキスタンやバングラデシュなどのムスリムの男も相当なものだが、中国女性もそれに匹敵するほどキレやすい。もしムスリム男性と中国女性が結婚したら、家庭は毎日修羅場のようになるのではないだろうか。

 
 

女も男と同じように働く

 バスの車掌に限らず、中国の町では働く女性の姿が目立った。ホテルの受付や客室係、靴磨き、屋台の売り子といった仕事は、ほぼ全員が女性で占められていた。オート三輪タクシーの運転手が全員女性という町もあったし、大きな籠を担いで建設現場にセメントを運び入れている女性の姿も珍しくなかった。

9328 肉体労働に汗する女性の団体が、食堂で朝ご飯を食べているところに出くわしたこともあった。女達の前には、朝だというのにご飯を山盛りにしたどんぶり茶碗が置かれていた。男に負けないぐらい体を使って働くのだから、その分たくさん食べなくてはいけないのだろう。ここでは「働かざる者食うべからず」ではなくて、「勤勉なるもの者大いに食うべし」というのがモットーなのである。

「中国の女性が強くなったのは、毛沢東の政策が強く影響しているんです」
 そう教えてくれたのは、たまたま同じバスに乗り合わせた貿易商の男だった。彼は中国人には珍しく、とても流暢な英語を駆使して、中国女性の歴史を説明してくれた。

「共産化される前の中国では、伝統的に女性の立場はとても弱いものでした。女は家にいて家族を守る、というが当たり前だった。しかし毛沢東は『女性は男性と同じ能力があり、同じ仕事がこなせるはずだ』と指導したのです。それ以来、女性がいない職場というのは、ほとんどなくなりました。パイロット、長距離バスの運転手、土木作業員。ありとあらゆる職場に女性が進出したんです。日本も同じですか?」
「いいえ。日本では女性の働く場所は、まだ限られていますね」
 と僕は答えた。日本でも女性のパイロットや土木作業員はいるだろうが、中国のようにそれが当たり前に見られるという状況には、まだなっていない。

9282「そうですか。その意味では、中国は日本よりも進んでいると言えるのかもしれませんね。あるいは、進みすぎたと言うべきかもしれない。実はこの10年で状況が少し変わったんですよ」
「どういうことですか?」
「いくらなんでも、体の小さな女性が男性と同じように建設現場で働くのは無理がある。女性に適した職場、男性に適した職場というものがあるのではないか。最近は、そのような考え方が広まっているようです」

 社会主義計画経済から、資本主義市場経済へと移行しつつあることが、中国で女性と男性の役割を見直すことに繋がっているのは間違いない。イデオロギーとしての「平等」から、男と女の違いを認め合った上での「共存」へという流れは、おそらく今後も続いていくことだろう。