9295 許萍が予言した通り、彼女が降りてしまった後の車内で、僕は暇を持て余した。外の景色をぼんやりと眺めたり、売り子から一個5元の弁当を買ってもそもそと食べたり、うたた寝をしたりしながら、丸一日を過ごさなければいけなかった。駅に停車するたびに乗客は入れ替わったが、国慶節前の帰省ラッシュによる混雑状態はずっと変わらなかった。

 湖南省から江西省に入るあたりから、景色はひどく退屈なものになった。平らな田畑と、無個性を絵に描いたようなコンクリート作りの集合住宅が、果てしなく続くばかりだった。それはこの一ヶ月間、僕が見続けてきた変化に富んだ景色とは対照的なものだった。

 中国は実に広かった。国土の広さだけで言えばロシアの方に軍配が上がるのだが、中国の場合は単に面積が広いというだけに留まらず、変化に富んだ地形と気候を持ち、なおかつ様々な民族と文化が混在し、共存し合う国だったのである。

 内モンゴルでは広大な砂漠地帯を走り抜け、チベット高原の山道を登っては下り、雲南省南部では亜熱帯の植物が生い茂る地域を通った。この一ヶ月間、僕はオンボロバスに揺られながら、中国の広さと多様性とにただただ驚かされるばかりだった。丸一日をかけた移動でも、地図上ではほんの少ししか進んでいなくて、がっくりと来ることもしょっちゅうだった。そんなとき、僕はお釈迦様の手の平で弄ばれている孫悟空みたいな気持ちになった。

 中国はひとつの国じゃない。ひとつの世界だ。
 中国という国を表すのに、これより優れた言葉はおそらく見つからないだろう。中国縦断の旅の終点・上海にようやく辿り着いたとき、僕ははっきりとそう思った。

 

 

上海は中国にあって中国ではない

9366 上海では6人部屋ドミトリーに泊まった。安い宿でもシングルルームは200元(3000円)以上するというので、仕方なく一泊55元(800円)の大部屋に泊まったのである。地方都市を旅している限り、宿代の心配はほとんど要らなかったのだが、上海ともなるとやはり特別に物価が高くなるようだった。

 上海は想像以上の大都会だった。道路も地下鉄も新しくて清潔だったし、海に面した再開発地域には巨大な高層ビルが天高く聳えていた。中心街には小綺麗なブランドショップが軒を連ね、デパートの家電売り場やコンピューターショップには客が群がり、外国製の高級乗用車が道路を行き交っていた。他の地方都市では「いつかは購入したい憧れの商品」が、この街では「購入を真剣に検討する対象」になっているようだった。

 

9390 「上海は中国にあって中国ではない」と言われるのだが、中国西部の辺境の町を転々としてきた僕には、その言葉の意味がよくわかった。西部の田舎町と大都会・上海とが、地続きの同じ国だとは到底信じられなかった。メルセデスベンツのハンドルを悠々と切る人と、バスの運賃を1元値切るために喧嘩を始める人とが、同じ国に住んで、同じ言葉を話しているのだと思うと、不思議な気持ちになった。

 

9384 宿で同室になった中国人の大学生は、こんな風に言った。
「上海の街はこの10年で大きく変わりました。いや、3年ごとに変化している言った方がいいかもしれませんね。以前は地下鉄もなかったし、道路もこんなに広くはなかった。高層ビルディングも少なかった。やはり経済システムが変わったことが大きいんだと思います。昔はいくら働いてももらえるお金は同じだった。しかし今はよく働けばその分たくさんのお金がもらえる。上海では月収1万元(15万円)を超える人も珍しくありません。平均すると、4000元ぐらいじゃないでしょうか。ええ、田舎の町とは全然違いますね。もちろん僕は今の上海の方が好きですよ。みんなそう思っているんじゃないかな。だから以前のように、才能を持った人が海外に出て行くことも少なくなりました。逆にどんどん帰ってきているぐらいです」

 しかし、僕は上海の街になかなか馴染めなかった。確かに、明るくて清潔で近未来的である。でもどこか薄っぺらな印象を拭いきれなかったのである。

 

9388 海に面した再開発地に建てられた「東方明珠塔」という巨大なタワーは、近未来的な上海を代表するシンボルである。高さ468メートルはアジア1の高さであり、二つの球体が塔にくっついた特異なシルエットは、上海でも一際目立つ存在だった。

 だけど僕には、それが張りぼてのように見えて仕方なかった。思いつきで作った近未来都市の成れの果てを見せられているみたいだった。「東方明珠塔」を取り囲む高層ビル群も同じように薄っぺらかった。万博のパビリオンのような間に合わせの入れ物が、延々と並んでいるようにしか見えなかった。

 上海の中心街はどこも凄まじい人混みで、半日も歩くとぐったりと疲れてしまったので、宿の近くにある下町を覗いてみることにした。

 上海の中心地の大部分は既に再開発が終わっているのだが、蘇州川の北側には下町風情のある古い町並みが辛うじて残っていたのだ。そこは、高層ビル群とは対照的に、生活感溢れる町だった。道路を遮るように干された洗濯物。朝食代わりにキュウリをぼりぼりと齧っているおばさん。古いラジカセから流れてくる歌謡曲の音色。そんな雑多なものの中をぶらぶらと歩いていると、上海の街の空気がようやく僕の体にも染み込んでくるように感じられた。

 ただ建物を眺めているだけでは何もわからない。そこに生きる人々の中を歩き、生活の匂いを嗅ぎ、手触りを感じることによって、初めてその土地に馴染むことができる。僕は10ヶ月間、そのようにして歩いてきた。それは人口数百人の農村でも、1千万の大都会でも変わらないことだった。

 

9339 中国での最後の食事は、そんな下町の一角にある屋台で食べた。長旅を締めくくる食事ぐらいは何か豪勢な料理を、と思って歩き回ってみたのだけど、結局美味しそうな匂いに誘われて、「刀削面」が売り物の小さな屋台に入ってしまったのである。どうやら僕はこの10ヶ月の旅で、根っからの貧乏性になってしまったらしい。

 「刀削面」は文字通り、小麦を練った「たね」から刀で削ぐようにして麺を作り出していく料理である。若い主人が慣れた手つきで麺を削りだしていく様は、なかなか見事だった。カツオ節が削られるみたいに、麺が煮えたお湯の中に次々と吸い込まれていく。一杯3元という激安プライスにもかかわらず、麺のコシもあってとても美味しかった。

 中国の庶民の味、B級グルメのレベルの高さは、おそらく世界随一だろう。どの店に入っても、安くて早くて美味しい。中華料理は中国人が発明したものの中でも、最も優れたものだと思う。

 刀削面を食べ終わると、僕はバックパックを背負って、船着き場へと急いだ。大阪行きの定期船が、宿の近くの港から出ているのである。

 港には巨大なコンテナがいくつも積まれていたが、その間からも、あの「東方明珠塔」を見ることができた。近くから見上げても、遠くから眺めて、やはりその塔は奇妙であり、どことなく薄っぺらかった。