東京国立近代美術館で行われているアンリ・カルティエ=ブレッソンの写真展「知られざる全貌」を見てきました。
ブレッソンは僕がもっとも敬愛する写真家の一人なのですが、これだけ大規模な回顧展を見るのは初めてでした。
彼が活躍したのは1930年代から50年代、第二次世界大戦を挟んだ時代ですが、作品を見ているとこの時代に世界が大きくうねっていたことを実感します。
スペイン内戦、自らも従軍して捕虜となったドイツ占領下のフランス、ガンディー暗殺に立ち会ったインド、国民党の敗走と共産党の支配が始まる中国、独立戦争を戦うパキスタン。ロバート・キャパ同様、歴史的な場面に「立ち会う能力」が彼には備わっていたのでしょう。そしてそういう瞬間に立ち会っていることの喜びが、写真から伝わってくるのです。
以前、ブレッソンの作品を振り返るドキュメンタリー映画を見たことがあります。その中で彼は意外なひとことを発するのです。
「写真家は短気な方がいい」
ブレッソンの作品の最大の特徴は、その「構図」にあります。あらかじめ計算され尽くしたように、背景と人物とが「あるべき場所」に位置している。だからこそ、僕は彼がその「決定的瞬間」を狙って、じっと待っていたのだろうと想像していたのですが、実際はそうではなかったのかもしれません。「スナップ」という言葉の通り、さっとカメラを構えて、さっと撮って、さっと去っていく。そういう撮り方をしていたのかもしれない。
僕も短気な質なのです。ある瞬間を捉えるために、何時間もじっと待つなんてことはできない。だから動物写真家や自然写真家には逆立ちしたってなれないだろうな、と思っています。巣穴から出てくるホッキョクグマの姿を何時間も待ち続けたり、朝日に輝く富士山を撮るために何日も通い続けたり、ということは僕にはできそうにありません。
「そうか、写真家って短気でもいいのか」
ブレッソンの言葉を聞いたとき、僕は師匠の言葉に励まされた弟子のような心境になったのですが、しかし彼が本当に短気だったのかはよくわかりません。彼は後年、写真よりも絵画に没頭するようになるからです。彼が得意としたのは素早い筆致で対象を描くデッサンでしたが、それにしても写真を撮るよりは忍耐力を必要とする作業です。短気な人間には向いていない。
写真展に展示されている作品を年代順に追っていくと、初期の頃は「!」と感じた瞬間をそのまま切り取っているのに対して、後年の作品は時間をかけて構図を決めてから撮ったものが多いように感じます。
とすれば、「写真家は短気な方がいい」という言葉の中には、自由自在にスナップ写真を撮り歩いていた若い時代を懐かしむ気持ちが込められていたのかもしれません。
○「A Propos De Paris」
ブレッソンのホームグラウンド・パリのスナップ写真を集めた写真集。もっともブレッソンらしい構図の美しさを味わえます。
○「Henri Cartier-Bresson」
ブレッソンの代表作ばかりをまとめたダイジェスト版写真集。激動の時代を写しとっています。