今回、ヒンドゥー教最大の聖地バラナシを訪れるつもりはなかった。3年前と14年前の二度も訪れているし、とにかく人だらけで道路もぎゅうぎゅうに渋滞していて疲れる街だからだ。
聖地バラナシに昇る朝日を浴びながらヨガをする若者
そのバラナシに来てしまったのは、ミルザプールという町のホテルで次々と宿泊を断られたからだ。インドにはたまに「外国人お断り」の町がある。外人を泊めるのは面倒だから、どのホテルも揃って「部屋なんてないよ」と首を振る。本人たちは嫌がらせをしているつもりはないのだろうが、立て続けに十軒も断られて、1時間以上も町をうろうろしていると、意味もなく小突き回されているような気分になってきて、次第に町全体を憎むようになる。
以前はどんな辺境のホテルでも笑顔で迎えてくれたものだ。それが「ガイジンは面倒」に変わったのは、インドのポンコツ官僚が決めた規則「Cフォーム」のせいだ。Cフォームの歴史は古く、もともとは1971年に導入された制度らしい。その当時は外国人も珍しく、その行き先をトレースすることが必要だったのかもしれないが、グローバル化が進む21世紀にあって、一人一人の外国人の居場所を中央政府の監視下に置けると本気で考えているのだとしたら、時代錯誤も甚だしいと言わざるを得ない。
有名無実化していたCフォームが最近になって多くの町で義務化されるようになったのは、テロ対策のためだという。具体的に言えばパキスタンからやってくるイスラム過激派を封じ込めたいのだろうが、どうでもいい項目を長々と書かされることで迷惑を被るのは一般の旅行者と宿泊施設だ。ご苦労なことに、インドは好感度を自らのルールで下げているのだ。
「外国人はカネ持ってくるから、ビザ要件もどんどん緩和してウェルカムだ!」というのが世界の潮流だとして、その流れを全力で逆向きに泳いでいるインドは、ある意味では素敵だ。みんなが「インドなんて面倒くせぇ」と思っているから、国の規模に不釣り合いなほど外人が少ないわけだから。
とまぁ、Cフォームに関して言いたいことは山のようにあるわけだが、一番の問題は「ホテルが面倒くさがって外人を泊めなくなる」ことにある。特に外国人があまりやってこないミルザプールのような町だと、この傾向は強まる。そしてその結果、(大いに腹を立てながら)バラナシに泊まることになったのだった。
バラナシの朝日を見つめるサドゥーと野良犬
心ならずも訪れることになったバラナシだが、翌朝ガンガー沿いを散歩してみて、すぐに「この街は特別なんだ」と感じた。目にするもの全てが新鮮な輝きに満ちていた。ガンガーに入って沐浴をする人、洗濯物を乾かす人、怪しげな存在感を放つサドゥー、外国人旅行者をわんさか乗せた観光ボート、雑然とした壁の落書き、そして遺体が次々に焼かれていく火葬場。バラナシをバラナシたらしめている舞台装置は、僕がここを初めて訪れた14年前と何ら変わっていないのだが、その不変性がインドを見慣れたはずの僕の目にとても新鮮に映ったのだ。
朝日に向かってホラ貝を吹くサドゥー
ガンガーに祈りを捧げるサドゥー
聖地バラナシはどこをどう切り取っても絵になる
まるでインド初心者のように、僕は夢中で写真を撮った。この街で、僕はとても自由だった。10メートル歩くたびに「ボート乗るか?」と声を掛けてくるめんどくさい船頭たちを除けば、基本的にこの街は外国人を放っておいてくれるのだ。子供たちがわーわー後をついてくることもなければ、おっさんたちから「お前はここへ何しに来た」と詰問されることもない。
毎朝6時前に起きて、ガンガーの向こうから朝日が昇るのを眺め、ガート(沐浴場)が連なる河岸を歩きながら写真を撮った。巡礼者もサドゥー(行者)も、土産物屋も、野良犬も野良牛も野猿たちも、すべてがひとつの舞台を演じる役者のようだった。
夜明け直後のガンガーを眺める男
ガンガーの水で洗ったシーツを干す洗濯屋
バラナシで見かけた不思議な日本語。「カーナは、ゲストハワスを支払う」
そ、そうですか。支払ってくださるんですか。ところで「ゲストハワス」って何ですか?