質問:カンボジア人との恋愛
初めまして。
いつも写真に写る子供達のように楽しんで三井さんのたびそらを見ています。
私は今21歳の大学3年生。今年大学を休学して、4月から今現在シンガポールに約9ヶ月(来年の1月に日本に帰る予定です)の英語留学(Singlish?)に来ています。
ごめんなさい。これから質問する事は、全然写真とはかけ離れたものになってしまいますが、気長に聞いてくれれば幸いです。ましてやお返事なんてくれたら嬉しい限りです。。
話はカンボジアに関連するものです。
私が初めてカンボジアを訪れたのは約2年前です。私の大学の教授が立ち上げたNGOのStudy tour(と言えるかわからないぐらいマイナーなstudy tour)でカンボジアに言ったのが最初でした。
突然ですが、三井さんは首都プノンペンのスタンメアンチャイ地区にある大きなゴミ山をご存知でしょうか?プノンペンで出たゴミの全てがやってくる場所です。ここでは、多くの大人や子供達がリサイクルできるゴミを集めて、それを換金し生計を立てるという生活を送っています。
どうやら近年、NGO関連のStudy tourでは、どの団体も決まってこの場所を訪れるらしいです。いわば、カンボジアの「闇の観光スポット」的な存在にもなっているがこのゴミ山ですね。
実は唐突で申し訳ないですが、私の恋人はそこで(かつて)ゴミ拾いをして生活していた16歳の少女です。幸運にも今はゴミ拾いは終えて、カンボジアの学校に通い始めました。
彼女に出会ったのは1年半前。あることをきっかけ(話始めると夜が明けてしまうので・・・)に恋に落ち、現在に至ります。出会った当初彼女はもちろん携帯電話や、パソコンもなく(インターネットもしたことなく)、去年の4月から今年の7月までの約1年間は、そういった日本で恋人同士が当たり前のようにするメールや電話なんてものは一切できませんでした。一つだけできたことと言えば、彼女の通っていた学校にクメール語で手紙を書き写真を同封して送るぐらい。そして、先生から彼女に渡してもらうみたいに・・・届いたかどうかなんて私は知るよしもなくただ祈るだけでした。全部で4回ぐらい手紙を送ったかな。のちのちカンボジアで彼女に実際に会って自分の手紙が、本人の元にちゃんと届いているもの確認できました。
なぜ彼女の家に直接送らなかったかと言うと、住所があるようなところには住んでいないからです(笑)。でもカンボジアにおいては、多くの地域の家が「住所」というものは不明確らしいですね・・・
突然のカンボジアでの出会いは、私の人生を変えるものになりました。だからまず今年の初め決心したのは、英語の勉強でした。元々留学はしたいと思っていましたが、自分の溜めたお金で行ける英語圏というのは凄く限られていて・・・(1)アメリカ、イギリス=さようなら。(2)カナダ、オーストラリア=うーんまだ無理だな・・。(3)シンガポール=ここならかろうじて行ける!という感じでした。でも一番の理由は「カンボジアに近いから」ですがね。彼女がカンボジア人じゃなければ正直シンガポールは選ばなかったと思います。少しばあちゃんからお金借りてニュージーランド辺りに行っていたでしょう・・(笑)。
この選択のおかげて、カンボジアにはシンガポール滞在中すでに2回行くことができました。この2回が自分にとって大きかったんです。はっきり言ってシンガポールに来る前の自分と彼女の関係は名目上は恋人同士ですが、実感が沸かず夢の中を泳いでいるような感じでした。
一回目では携帯電話をプレゼントし、念願の「電話」というものができるようになりました。シンガポールに帰ってきて初めて彼女に電話したときの「感動」は一生忘れないでしょう。お互い嬉しさのあまり爆発してました!!電話という道具がどれだけすっごい物なのか、改めて気付いた瞬間でした。今まで距離的にもの凄く遠かった彼女が、電話を通して今その瞬間の声を聞くことができるなんて、「あァ彼女も同じ地球に生きているんだな~」なんて少し大げさですが、本当にそう思います。
二回目(今月の初旬)では彼女のご両親にも会いました。かなり緊張しましたが、二人とも真面目で気さく、凄く親切な人達だったので安心しました。今では、私の願い(英語の勉強)も受け入れてくれて、彼女は英語の学校にも通うようになりました。
「お金は私が払うから」という当初の意見に対し、「ダメ!!」と言われ。ちゃんと彼女の両親が払っています。
私は実際に将来、彼女との結婚も考えています。そうでなきゃこんな風にはならなかっただろうし、二回目の旅の最後には彼女を病院に連れて行きHIVなどの検査もしてもらいました(彼女にとっては生まれて初めての病院だったんです。採血もレントゲンも初体験です。怖がることは一切なく正直私の方がビビってました)。幸い全て異常がなく健康と言うことも判明。
色々な事をお互い一緒に経験していくことを通して、お互いの距離が徐々に近づいていっているように最近思えるようになりました。
金銭的に貧しい人々と、外国人(一応お金持ち?)の恋愛でよく言われるのが、お金の問題です。「彼女はきっとお金目当てだよ」など決まり文句ですよね? しかしながら、私はその面ではあまり心配していません。彼女を見ていればはっきり分かります。まだ16歳なのに、とても大人、こんなに人間ができていて、正直(ダメならダメと言うような)で純粋な女性は、今まで出会ったことがありません。日本人とも違う「落ち着き」と「お茶目さ」が私を離してくれません(笑)
彼女と私の間では口頭で「結婚」の約束もしています。お互いの親はそこまで知りませんがね。私の将来の密かな夢3つを三井さんだけに紹介します(聞きたくない場合はスキップしてくださいね(笑)。1「彼女とまずアンコールワットに行くこと」です(彼女は一度も行ったことがありません)。次は世界中の絶景が掲載された本をプレゼントし、どこか一つ行きたい場所を選んでもらいます。2「その場所に二人で将来旅する」。最後3は、「彼女の家族と自分の家族全員でどこかに旅行にいくこと」です。客観的に見たらちょっと夢が小さいように見えるかもしれませんが、これが今の私にとっての一番の「大きな夢」です。
必要なのは「愛」と現実的なところで「お金」でしょうか。ハハハッ
現在シンガポール滞在6ヶ月目に突入しています。毎日将来の自分と彼女の事、そして自分の仕事などについて考えない日はありません。来年の1月、日本に帰ったら何をするか?就職活動?それともお金を貯めなおしてカンボジアに留学してクメール語の勉強?など悩みは絶えず・・。カンボジアに関しては言えば、初めてこの国を訪れた時から、私はこの国の人や雰囲気が大好きでした。だから就職するなら「興味のあるカンボジアと関わりがある何かと」考えています。NGOも興味のある職種の一つです。しかし、事実給料は決して十分とは言えない。NGOに女性が多く働くのもその理由でしょう。私1人ならそれは全然構わないのですが、将来「彼女と結婚して、子供ができて」なんて事を考えると、このような要素も考慮せざるを得ません。
私としては、お互いの国を尊重して生きていきたいので、どちらか一方に死ぬまで住むというのは、考えていません。または、お互いの国ではない第3国で暮らす事もいいかもしれません。しかし、どの選択もそれなりのお金が必要です。カンボジアで仕事し、暮らす事は可能かもしれませんが、収入は目に見える程少なく、きっと日本やその他の国に行って生活するだけのお金は蓄えられないでしょう。これがこれからの、私と将来の妻や子供のためにいいことなのか、それは自分でも分かりません。
今年の12月下旬、日本に帰る前に私は再びカンボジアに行きます。そして、彼女に近い将来の事(日本に帰ってから自分がどう動くのかなど)を説明するつもりです。
それができなきゃ日本に帰れませんよ。無責任過ぎますからね!!
初めてのメールでこんなに長々と書いてごめんなさい。今のこの私の現状、はっきり言って辛くはないんです。ただ誰かからの意見が欲しくて。何か人生の先輩として、顔も知らない私ではありますが、アドバイスできるような事がありましたら、何でもおっしゃってくれると嬉しいです。感想でも何でも構いません。
最後に、三井さんの写真に写る多くの「純粋な瞳」の少女達、私にとって自分の彼女も「同じような純粋な目」をしています。きっと三井さんになら想像できると思います。私の心がたびそらに留まったのも、自分の彼女と似た目をしている人々がたくさん写っていたからかもしれませんね(笑)これからも、ずっと期待しています。お身体には気を付けて旅を続けてください。
最後まで読んで頂いてありがとうございました。
三井からのアドバイス
まず最初にお断りしておかなくてはいけないのは、僕は旅をしている間に現地の女の子と恋愛関係を持ったことは一度もないということです。前にもどこかで書いたけれど、旅のあいだは「恋愛モード」にはならないのです。ですから僕が「人生の先輩」としてアドバイスできることは限られています。
しかし僕の例はともかくとして、実際にアジアを旅していると、現地の人と恋愛し結婚した外国人旅行者や在住者の話をよく聞きます。そのうちのいくつかは「たびそら」旅行記の中にも書いていますね。成功例もあるし、失敗例もある。たぶん日本人同士の恋愛や結婚と同じように。
だから「国境を越えた恋愛・結婚」というものを僕は否定しないし、あなたが彼女にとても惹かれているのだとしたら、その気持ちは大切にするべきだと思います。
ただ、メールを読んでいてひとつ気になったのは、コミュニケーションの問題です。彼女と最初に出会ったときのことはあまり詳しくは書かれていませんが、どのようにしてお互いの気持ちを確かめたのでしょうか? 当時あなたは英語もクメール語もあまり話せなかったんですよね? 彼女も英語を学んではいない。その状態で、どうやってお互いに惹かれ合うことになったのか、僕にはもうひとつ理解できないのです。
もちろん言葉が通じなくても、恋愛感情を持つことは可能です。あるいは性欲を抱くことが可能だと言い換えることもできます。だからこそ、日本人男性がアジアに買春ツアーに行ったりするわけです。(ご存じのようにカンボジアは買春先として日本人に最もよく利用されている国のひとつです。僕はそういう男たちがヘドが出るほど嫌いだし、あなたもそんな男たちと同列に語られたくないと思うだろうけれど、これも紛れもない現実のひとつです)
コミュニケーションが不完全な場合、それを補うのは想像力です。これは僕が旅先でいつも経験していることだけれど、相手の英語力が乏しい場合には、相手が自分に何を伝えようとしているのかを、状況や表情を見ながら想像力で補っていかなければいけないのです。
この「想像力で補うべきコミュニケーションの断層」は、相手に恋愛感情を持っている場合には大変危険です。なぜなら、あなたが「彼女はこう思っているに違いない」と考えるとき、そこに容易に「自分の願望」が入り込むことになるからです。
日本人同士の会話なら「10」伝わることでも、外国人同士だと「3」しか伝わらないとすると、残りの「7」を想像で補うわけですが、それが「こうであって欲しい」というこちらの一方的な思い込みの反映にならないとは限らないのです。
ですからまず、お互いに共通の言葉(あなたの場合には英語かクメール語になりますね)を持ち、その土台に立った上で、お互いが何を考えているのかを理解する必要があります。
二人のあいだに横たわる大きな溝を埋めるのは、愛情の強さではありません。ましてやお金でもない。必要なのは、お互いを理解することです。相手を願望の投影としてみるのではなく、お互いの考え方や価値観の違いをそのままに受け入れることです。
異国の男女が惹かれ合い、恋心を抱くことはそれほど特別なことではありません。でもその愛情を持続させ、一緒に生活したり結婚したりするというのは、それとは次元の違う問題です。そうするためには長い時間が必要だし、忍耐力も必要でしょう。
今年、インドネシアで出会った男性の話をしましょう。彼は5年間日本に住んでいて、日本人の奥さんと子供が二人いるのですが、今は家族とは離れて暮らしています。彼はインドネシアにいて、家族は日本に住んでいます。
その原因は(彼自身は気が付いていないけれど)、彼が精神を病んでしまったことにあるようでした。彼は「知らない誰かが自分の噂話をし始めたのだ」と言っていました。会社でも、電車の中でも、飛行機の中でも、誰かが自分の噂話をしているというのです。明らかな幻聴です。統合失調症がかなり進行しているという印象を受けました。
おそらく彼は外国で働くということ、家族を持つということの重圧に耐えられなかったのだと思います。生真面目な男でしたが、その生真面目さ故にいろんなことを一人で抱え込んでしまったのでしょう。彼はインドネシアの中でも比較的豊かな街から日本に出稼ぎに行ったのですが、それでも異国で働き、異文化で育った人とコミュニケーションを取り、家族を養うということの精神的な負担は相当に大きなものだったのです。
愛情やお金ではどうにもならない問題もあります。あなたがカンボジアに住むにしても、彼女が日本に来るにしても、そのような現実があるのだということを自覚しておいた方がいいと思います。
何よりも大切なのは、「急ぎすぎない」ということです。あなたは21歳で、彼女は16歳。世間的にも、僕の目から見てもとても若い。恋愛を持続させている時間も短いですよね?
逆に言えば、お互いを理解するための時間は、まだたっぷりあるということです。このまま遠距離恋愛を続けてみるのもいいし、近くで暮らしてみるのもいい。時間をかけて、少しずつ相手との距離を縮めていく。
その結果、「お互いがかけがえのない存在なのだ」という結論に達したのなら、結婚という選択肢を選ぶのもいいと思います。そのときには、お祝いの言葉を贈りますよ。
質問者からの返信
ご丁寧なお返事どうもありがとうございます。
三井さんの答え(アドバイス?)を読んで、大きく二つの重要な事に改めて気付きました。
(1)コミニュケーションの重要さ
(2)焦らずstep by stepで
まずコミュニケーションの問題ですが、当初私が彼女と出会った頃はそれこそ、ほぼ”body language”での会話でした。最初は特に、このbody languageの力に驚かされ、「人間言葉がなくても通じ合えるんだな」と感動。事実その仮定で恋いというものが自分の中に芽生え始めましたからね、率直に言えば、彼女の「笑顔への一目惚れ」です。「これ以上の素敵な笑顔をする女性は世界を探しても見つかるまい」と若干21歳ながらに思い、1人歩きし始めました。しかし、次に待っていたのは「もっと知りたい」という感情でした(すぐにこの症状に襲われました・・)。これは人間が「何かに興味を持ったとき(それが人でも物でも)」誰もが自然とそう思う一般的なルートだと思います。彼女をもっと知るにはどうするか?それは彼女の言語を勉強することしかありませんでした。正直、クメール語の勉強を本格的に始めたのは、今年の6月辺りです。言い換えれば、今年の4月にシンガポールにやってきて、7月、10月と二回カンボジアに行ったことで初めて彼女の家族の事や生活風景などが徐々に見えてきたんです。出会ったのは、去年の4月ですが、お互いを知り始めたのは本当にここ最近の話ということです。
出会って恋いに落ちた当初は、「根拠のない自信?」のようなものが私の中にあったんです(今でも進行形です)。出会って一年間は、前に述べた通り電話などで彼女の近況や気持ちなどは一切確認できませんでした。そんな状況に関わらず「彼女は絶対に自分の事をずっと想っていてくれるんだ」という、「自信」に満ちあふれていたんですね(かっこよく言えば「彼女に対する信用」が自分の中にはすでに形成されてたんです。まあ客観的に言えばただの「想像と妄想」ですがね(笑)それはそれは危険な部分と紙一重です。一般的に恋愛というのは危険と表裏一体のような気もしますが。”Love is blind”という言葉があります。これは果たしてまずいことなんでしょうか? そりゃ時々周囲を見渡して自分を客観的に見ることも大切だと思います(特にコミュニケーションがお互い完全ではない私みたいな場合は重要)でもその一方「盲目」になってなんぼの部分もあるように私は思います。「恋愛感情を自分の頭の中で緻密にコントロールできる」そんな超人どこにもいないでしょう。いても退屈そうですし。
三井さんがおっしゃた、
>「想像力で補うべきコミュニケーションの断層」は、相手に恋愛感情を持っている場合には大変危険です。
ということ、とてもよく理解できます。だからこそ「言葉」が最重要事項になってくるのですね?言葉なくしての恋愛は、それこそ「夢物語」の世界です。お互いを理解するための言語、これがいかに大切なのかは、今シンガポールで英語の勉強をしている私にとっても非常にリアルに感じられます。その土台にはい上がる努力をしないと。そしてもう一つ、恋愛と結婚とでは次元の違う話ということも理解しなくてはなりません。これはいかに違うのか、未婚ながらに何となく想像がつきます。想像に過ぎませんがね。この事に関してもまずはその土台を作ってからでないと想像もつきづらいし、しっかり考えられません。土台作りを彼女と共に時間をかけて築いていくことで、お互いを知る事もたくさんあると思いますし。
私は「日本人の一般的な大学生」、彼女は「カンボジア人の少女」。私たちが、言葉はまだまだ理解するにはほど遠いなかで、今まで出会って1年半やってこれたのには理由があります。それは、彼女も自分では気付いてないと思いますが、私を精神的に決して窮屈にしない(追い込まない)んです。言い換えれば、必要のないプレッシャーを私に浴びせることがない。これは感覚で感じます(言葉からではありません)。まあ、ここで言う「プレッシャー」とは何なのかは自分でもうまく説明できませんが、例えば「彼女は外国人だ」という感情や「私は日本人だから何かしなきゃ」などという感情を必要以上に私に感じさせないんです。それは、「あなたがまだ彼女を全然知っていない証拠だ」と言われればそこまでですがね(笑)。これは彼女が自分で意識しているのではなく、自然に私にかもしだしている最高のプレゼントなんだと思います。その感覚が私にとって一番重要なのかもしれません。三井さんが今回くれた「急ぎすぎない」というアドバイスを助長してくれるありがたいプレゼントです。
最後にもう一つだけ、三井さんがおっしゃた、
>「もちろん言葉が通じなくても、恋愛感情を持つことは可能です。あるいは性欲を抱くことが可能だと言い換えることもできます。だからこそ、日本人男性がアジアに買春ツアーに行ったりするわけです。(ご存じのようにカンボジアは買春先として日本人に最もよく利用されている国のひとつです。」
ということ、特にカンボジアへの売春ツアーに関することですが、私は「売春ツアー」=「Fuck yourself Tour」だと考えております。カンボジアでは売春が数え切れない程あって、その多くに日本人が関係しているという事実を初めて知ったのは、私が人身売買で売られた子供達を保護する場所で、その子供達と遊んでいたちょうどその時でした。ショックと同時になんとも言えない感覚に陥りました。
「ここで今自分と一緒に笑っている子供達も中には日本人に買われた子もいる」などと考えると、もう人事だと思えなくて、自分を責めるような気持ちに襲われました。
私は彼女に対してそのような目(性欲だけの目線)で恋愛感情を抱いた事は正直ありません。これは嘘じゃないですよ。そりゃ確かに日本で誰かに恋に落ちていたときは、即座にそんな事ばっか考えていましたが(笑)カンボジア人の彼女の場合は何か特別なんです。ご存じの通り、一般的にカンボジアの女性は結婚するまでは、体の関係は認められません。それが私にとって辛い事か?といえば決してそんな事はありません。これは「自分の性格(感覚?)」にありがとうですね。全然気になりません。日本人(世界中誰でも)の21歳男性、性欲真っ盛りなはずの私ですが、カンボジアのこの文化?風潮にはむしろ感謝しています。私の性格に合っています(笑)。ごめんなさい。こんな事はどうでもいいですね?書いてから「書かなかった方がいいかも」と少し後悔・・・。
気付けばまた長ったらしくて意味が理解しづらい文章になってしまいました。国語からやり直した方いいかもしれませんね私。。
三井さんの親切なお返事本当に嬉しく思います。正直最初、自分のメールなんて相手にされないかな~って不安だったんです。ありがとうございます。
次にメールを送るときはきっと「結婚のお知らせ」でしょう!ハハッ!何年先の話やら!(笑)
三井さんの「おめでとう」を聞けるように日々努力していきますね。
それではお体に気を付けて、これからもたくさん笑顔でみんなを魅了してやってください。
三井の返信
あなたのメールからは、あなたの真面目な人柄が良く伝わってきます。
あなたは彼女の笑顔の中に特別なものを見出した。一目惚れをした。そのことはよくわかります。恋をすれば誰でも、多かれ少なかれその想いをテコにして突っ走るものです。特に若い頃の恋は盲目です。(僕にもそういう時代があったのだろうか・・・うん、たぶんありました)
しかし、真面目であるがゆえの「危うさ」を感じてしまうのも事実です。彼女への想いがあまりにもストレートすぎるので、「このさき大丈夫かな?」とちょっと心配になってしまうのです。
あなたも認めている通り、彼女と出会ってからしばらくのあいだは、あなたの彼女への想いは一方通行でしかなかったわけです。確かめたくても確かめようがなかった。ただ「根拠のない自信」だけがその気持ちを支えていた。
この「根拠のない自信」は、もちろん恋の原動力になるものだけれど、ひとつ間違えると、「自分勝手な押しつけ」にもなりかねません。恋を始めるのは自分の都合だけでできるけれど、それを育てていくためには相手のことを理解し、自分のことを相手に理解してもらわなければいけません。
二人のあいだには乗り越えなければならない壁が数多くあります。まずは言葉の壁。そして育ってきた文化の壁。経済格差の壁。いずれも高く、分厚く、固い壁です。生半可なことでは乗り越えることができないし、また乗り越えたとしてもハッピーな未来が待っているとは限らない。
しかもあなたの場合には、単に恋愛を成就させたいということではなく、彼女と結婚することを目標としているわけだから、これらの壁をひとつひとつ乗り越えていかなければいけません。
前のメールにも書きましたが、時間をかけてゆっくり行きましょう。
うまく行けばいいけれど、仮にうまく行かなかったとしても、自分を責めてはいけません。恋愛は相手があってのこと。自分の努力だけではどうにもならないことだってたくさんあるのですから。