ミャンマー西部ラカイン州に住むムスリム住民「ロヒンギャ」の村を訪れていた。昨年一昨年と同じように古都ミャウーを基点にして、その周辺に点在する村々をバイクで回りながら、村人の暮らしぶりを撮影した。

 この2年の間に、ロヒンギャ問題は一気に深刻化した。2017年8月25日にミャンマー軍とロヒンギャのあいだで大規模な衝突が起こり、その影響で70万人を超す人々が難民となって隣国バングラデシュへと逃れた。その結果、いまだに膨大な数の避難民が劣悪な難民キャンプでの暮らしを余儀なくされている。

 最近「難民の帰還が始まる」というニュースも流れてきたが、全体から見ればごく一部に過ぎず(第1陣は2250人)、再び迫害を受けるのではないかという恐れから、難民自身も故郷への帰還を拒否している。難民問題の長期化は避けられない状況だ。

 

my18-06845

my18-05034
my18-06522

 

 僕が訪れたミャウー周辺のロヒンギャたちは、虐殺と焼き打ちが起こったマウンドー地区のような直接的な暴力に晒されたわけではなかった。彼らはテレビや新聞に取り上げられる「日々の食料に事欠く難民」ではない。自分たちの土地を持ち、そこから日々の糧を得ることができている。比較的平穏な日常を送っている。

 しかしロヒンギャたちには市民権がない(ミャンマー人とは認められず無国籍状態に置かれている)ので、村の外に出る自由がない。現金収入を得られるような職はほとんどなく、村には電気すら通っていない。「普通の」ミャンマー人とは明らかに違う差別的な境遇に置かれていた。

 このような状況にあっても、ロヒンギャの村人は日々をたくましく生きていた。自分たちがやるべき仕事に精を出していた。そのような彼らの強さとたくましさに心打たれたから、僕は何度もラカイン州を訪れることになったのだ。

 国籍を奪われ、医療や教育へのアクセスを禁じられ、差別的な境遇にじっと耐えながら暮らしている。そうしたロヒンギャたちの声なき声を拾うように、僕はシャッターを切り続けた。

 

my18-05121稲の収穫を行う村人。すぐ隣の仏教徒の村では、クボタの大型収穫機が稼働していたが、ロヒンギャの村では男たちが手刈りで収穫を行う。空は青く、大地は黄金色に輝いていた。

 

my18-06955脱穀の準備をするロヒンギャの村人。田んぼの一角を平らにならして、そこに稲穂を並べ、その上に牛を歩かせて脱穀する。手間と時間がかかる伝統的な農法だ。

 

my18-06332牛を使って畑を耕すロヒンギャの男。村人の主な仕事は農業と漁業だ。農業機械を買うお金などないから、すべて人力と畜力に頼った昔ながらの農法だった。

 

my18-15735牛車を作る男。丸太をノミで削って作った部品を組み立てていく。外部との接触が少ないロヒンギャの村では、なんでも自分たちで作り、自分たちでメンテナンスするのが基本だ。

 

my18-17642ロヒンギャの村で出会った渋イケメン。川で汲んだ水をポリタンクに入れて運んでいた。もちろん村には水道なんてないから、日々の生活用水はすべて自分たちで運ばなければいけない。

 

my18-08624ロヒンギャの村で出会った男は、大量の竹を担いで歩いていた。この竹で家の壁や柵などを作るという。

 

my18-07842収穫が終わった後の稲の茎を、ナタを使って豪快に刈り取っていくロヒンギャの村人。こうして刈り取った茎は牛の餌にする。